08. 御伽噺 ~2つの太陽~
小さな頃、ひとつの御伽噺に憧れていたと言ったら、笑われるだろうか。
それは、森に住む精霊と、ひとりの、人間の小さな男の子の物語。
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『~二つの太陽~』
ある森の中の村に、小さな男の子がおりました。
母親が違う三人の兄たちに苛められていたその男の子は、いつもボロボロになった古いお下がりばかり着せられていました。
どれも黒い服ばかり。
みんなはお日様の匂いのする明るい色の服を、毎日着せて貰っているというのに。
「死んでしまったお母さんなら、ボクにもお日様の服をくれたのかなぁ」
男の子はそう言いながら毎日、森の日陰でしくしくと泣いていました。
さみしくて、優しかったお母さんに会いたくて。
その姿を、木陰からそっと見守っているものが居りました。
森に住む、精霊の少女です。
「かわいそうに。あんなに小さい子が、一人きりで泣いているなんて」
美しい月色の瞳から涙を流した少女は、男の子にとびきりの笑顔をあげたくなりました。
そして、ひとつの名案を思い付いたのです。
「もう泣かないで」
いつものように泣いていた男の子は、誰とも知れぬ優しい声に話しかけられ、顔を上げました。
目の前に立っていた少女を見て、びっくりです。
なぜって、男の子はこんなに可愛くて綺麗な少女を、他に見たことが無かったのですから。
銀色の髪と、お月様の色をした大きな瞳。
見惚れて思わず泣き止んだ男の子に、少女は柔らかく微笑んで、そっと贈り物を手渡しました。
「これはなあに?」
「お洋服よ。あなたのために、わたしが月光を紡いだ糸でこしらえたの」
広げて見ると、たしかにそれは服でした。
真っ白な布でできているのですが、光に翳すと微かにキラキラとした月色の光がみえる、とても不思議な洋服です。
「ありがとう、精霊さん」
「どういたしまして。これからも、あなたのお洋服はわたしが仕立てて上げましょう」
明るいお日様のような男の子の笑顔を見て、すっかり嬉しくなった精霊の少女は嬉しくなってそう申し出ました。
季節が一つ、また二つ。
暦が四廻り、また五廻り。
「君はどうして、いつも月の光を紡いで洋服を作るんだい?」
ある日、男の子だった少年は、今もまだ美しい少女の姿をしている精霊に、ずっと不思議に思っていたことを問いました。
「太陽の光をめいっぱい吸い込んだ洋服を、君は着たことがあるかい? とっても温かでいい匂いがするんだよ。きっと、太陽の光で糸を紡げば、あったかくて素敵な服になると思うんだけれど」
素晴らしい思い付きだと嬉しそうに話す少年に、精霊の少女は静かに微笑んで言いました。
「あなたのいうとおり、太陽の光で紡げば、温かで素敵な服が出来上がることでしょう。でも、その必要はないのです。ひとは、太陽の欠片を身につけなくとも、もとより太陽を身の内に宿しているのですから」
「そんなはずないよ。僕はどこにも持っていやしないもの」
「いいえ、ちゃんと持っていますとも。目には見えない、ずっと奥底に」
そう言いながら、少女は向かい合っている少年の胸元に、白い手の平を当てました。
「温かすぎる洋服を着れば、あなたはあなたの太陽を見失ってしまう。誰かの太陽に触れた時、それが温かいということが分からなくなってしまう。わたしは、それが嫌なのです」
少年は、少女の言葉を上手く理解出来なかったけれど、少女の言葉はきっと正しいのだと感じました。
それに、月の光で仕立てられた今までの服が大好きなので、太陽のものでなくても、別に構わないとも思っていました。
月光で紡がれた洋服は太陽のものとは違うけれど、いつも温かい優しい匂いで、少年を包んでくれていたから。
少年の胸の上に当てられている、少女の手。
この手はこんなにも温かで、こんなにも小さなものだったでしょうか。
もしも本当に、ひとがみな太陽を持っているのだとしたら、いま、僕はこの娘の太陽に触れているのかもしれない。
もう小さな男の子ではない少年は、そう思いました。
季節が三つ、また四つ。
暦が二廻り、また三廻り。
「どうぞ、それを着て行って」
相変わらず美しい少女の姿のままの精霊は、その夜そっと、少年ではなくなった青年に、月の洋服を手渡しました。
「すごい。なんて美しい素晴らしい衣裳なんだ」
青年は、思わず感嘆の吐息をつきました。
それはそれは美しい立派な衣裳。
こんな上等な洋服を、青年は見たことがありません。
きっと、都に住む王様だって、こんなに素晴らしい衣裳は持っていないはずです。
「こんなに良いものを、僕などが貰い受けて良いものだろうか」
戸惑う青年に、精霊の少女は静かな微笑みを浮かべて見せました。
「満月の光だけを紡ぎ取り、幾宵月分ものわたしの祈りを込めて織り上げました。あなただけのための特別な服です。どうか受け取って」
その言葉に、ありがとうと礼を告げた青年の嬉しそうな笑顔を見て、少女は幸せそうに、でもどこか泣きそうな顔でもう一度微笑みました。
「あなたが、どうか無事でありますように。
あなたがあなただけの太陽に、いつかきっと、ちゃんと出会えますように」
季節が一つ、また二つ。
暦が、たったの一廻り。
戦争がありました。
青年は国に仕える魔法使いだったので、王様の命令で戦地へと赴いていました。
大勢の人間が殺し、大勢の人間が殺され。
地獄のような戦場。
それでも、青年がひとの心を手放すことはありませんでした。
ときに心が暗闇に呑まれそうになっても、護られました。
なぜなら、彼には精霊の少女が仕立ててくれた、あの衣裳があったから。
月の衣であるこの洋服にはないはずの、温かなぬくもり。
白銀色のその衣裳を身につけていると、まるで少女の太陽に触れているかのような心地で。
青年は戦場で生かし、生かされ、生き延びました。
多くの武功を残し、戦争を勝利へと導いたこの青年を人々は英雄と褒めそやし、王様は褒美に好きな姫を一人、お前にやろうと申し出ました。
「それは出来ません、王様」
首を横に振った青年に、王様は何故だと問いかけます。
すると彼は、こう答えました。
「私には、もうすでに望む太陽があるのです。そしてそのひとに、私も私の太陽を捧げたいと願っているのです」
青年のまっすぐで誠実な心を目にした王さまは、そうか、と残念そうに笑い、
「では、そのお前の太陽に、これを贈るといい」
そう言って、一つの指輪を青年に与えました。
虹色に輝く石が嵌め込まれた、不思議で美しい指輪。
きっと、これなら精霊の少女に良く似合うだろうと青年は喜んで王様に礼を言い、懐かしい故郷への帰路を駆けました。
月夜が、たった九つだけ。
「どこだ、どこにいるんだい?」
いつもの森。
いつもの場所。
月明かりに満たされたその場所に、少女は現れません。
「お願いだ、出てきておくれ」
呼びかけても、呼びかけても、答えはなく。
どれほどの夜を過ごしたでしょう。
暗闇の中、愛おしい少女を求めて涙を流す、小さな男の子だった青年。
それでもやっぱり、彼が闇に呑まれることはありませんでした。
幾度目かの夜、綺麗な満月が登った頃。
「逢いにいこう」
探そう。
どこまでも旅して探そうと、青年は立ち上がりました。
彼は、自分の胸元をそっと押さえます。
そこは、いつか少女が手の平を当てた、その場所。
いまなら、分かる。
僕の中で、たしかに輝く太陽の在り処が。
だから、歩き続けよう。
二つの太陽を引き合わせることが出来る、その日まで。
夜の色しか知らない男の子だった月の青年は、旅に出ました。
月の輝きに満たされた夜。
太陽の夜明けを、求める旅へと。
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姫や王子が出て来る御伽噺が、反吐が出るくらいに大嫌いだった。
もしかしたら、このお話が好きだったのは、青年が王様の申し出を断って、お姫様を振ってやったからなのかもしれないと思う時もある。
――― だけど、この御伽噺を初めて読んだ時、確かに夢を見た。
お金持ちの王様でなく。
英雄になった青年でもなく。
ただ。
ただ、純粋に。
大切なそのひとを温かな想いで包み、護りたいと祈り続けた、心優しい仕立て屋の少女のように。
誰かに、自分の太陽の温かさを分け与えることが出来る人間になりたい――――― そう、憧れた。