07. 猫かぶり王女と、喉越しのいいお茶。
「そうかー、そりゃあ苦労したのぅ」
その言葉とともに目の前の素朴なテーブルの上に出された、花柄の木製カップ。
手の平で包むように持ち上げれば、温かな器が凍えた指先を優しくほぐしてくれた。……至福だ。
「はい、とぉっっても。でもそれでも、わたしたちは幸運です。こんなに親切な方々ばかりの、ステキな村に辿りつくことが出来たんですもの」
はふぅ、と隣で洩らされた儚げな溜息。
その様子に心を打たれた様子で、テーブルの向い側―――この家の家主であり村長である老人とその妻が、重々しい頷きを何度も繰り返した。
「ほんに、ほんにのう」
「本当に無事で良かったわ。この辺りの森には危険な幻獣がたくさんいるのよ? 村から離れれば、魔獣だっているし。マリカちゃんみたいな若い女の子が、腕の確かな護衛もなく彷徨うなんてとんでもないわ!」
「………」
ああ、美味い。
これは自家製のハーブ・ティーだろうか。喉通りが良く、爽やかな後口。
無我の境地に至ることは叶わなくとも、目の前の会話から現実逃避するにはもってこいなお茶だ。
……悪かったな、腕が確かそうに見えなくて。
「ほっほ。ワシ等とて、こんなに可愛い娘さんと坊主をお迎え出来て嬉しいさね。ちょうど祭りも近いしのう。なんもない所だが、まあ身の振りが落ち着くまでゆっくりしていくがいい」
「まあ、本当に? 何から何までありがとうございます、ペンターさん、ネリアさん」
「ほっほ。あんたみたいなベッピンさんにお礼を言われると、何だかくすぐったいのぅ」
「民宿にはわたしたちが話を通しておくから、気兼ねしないでちょうだいね。それと、あなたはウィセルさん、だったかしら?」
「へ? あ、はい!」
突然話を振られ、危うくお茶を零しそうになりながら、ウィード・セルは返事を返した。
まあまあ、と朗らかに笑いながら向けられている、温かな老女の笑み。
「あなたも困ったことがあれば、いつでも訪ねていらっしゃいな。村祭りが近いから、外のお客さんや旅人も増えてきているしね。マリカちゃん、こんなに可愛いんだもの。ヘンな虫に絡まれないよう、しっかり守ってあげなきゃ駄目よ?」
そう言って、村長夫人はお茶目に片目を閉じた。
続けて、「良かったら、お茶のおかわりは?」 と持ち上げられた水色のポット。それに木のカップを差し出しながら、“ウィセル”ことウィード・セルは曖昧に笑みを返すことしか出来なかった。
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庭に出ると、得も言われぬ甘やかな香りに全身を包まれた。
月光の庭。夜風に揺れる明るい色の花々に彩られたそこは、ついこの間目にした王宮の庭園に勝らずとも劣らない美しさを誇っていた。
中には森で咲く野草や、果物の木なども混じっている。贅を凝らしたものとはまた違った、別の美しさがそこにはあった。
きっと、この庭の主であるあの老夫婦が、長い時間をかけて手作りしてきたのだろう、温かい庭。
「素敵ね……」
隣で溢された、王女の呟き。
もしかして、彼女も同じことを考えていたのだろうか?
空色の瞳にうっとりとした光を乗せた横顔は、感嘆の吐息とともに柔らかく緩んでいた。
こうしていれば、この上なく愛らしい姫君だというのに……勿体無い。
そんなことを思いながら肩を落とせたのも、つかの間。
世界勿体無い大会・ディ=エルドレン代表候補たる王女は、さっきまでのしっとりした表情は何処へやら、唐突かつ乱暴に彼の腕を掴んでグイグイと引っ張りながら歩き始めた。
「さぁて、と。今夜のお宿はわたしの美貌で無事にゲットしたことだし。さっそく行くわよっ」
ぐぐっと夜空に向けて突き上げられた白い腕。
見慣れてしまったそのお決まりポーズを疲れた目で眺めつつ、もう抵抗する気力もないとばかりに、ウィード・セルはカックリ首を折った。
「……そーだな。早く飯を食って寝たいし」
やっぱり、まずは風呂だなと、重い足を引き摺り―――もとい、引き摺られながら鈍く思考を巡らせる。
アルダの墜落で打ちつけられたせいで全身が痛い。おまけに、あの時濡れた服は未だにそのまま。生乾きの布が肌に微妙に張り付いていて、最高に気持ち悪かった。
久々の宿だし、こんな酷い目に合った日くらい、温かい湯に浸かってまったりしたいものだ。
そして何より、風呂に入れば四六時中一緒だった王女の傍から離れることが出来る。
文字通り魂の洗濯だと、思わず頬を緩めかけたウィード・セルに、足を止めて振り返った王女が不思議そうに小首を傾げて言った。
「え、お風呂? そんなのまだ入れるわけないじゃない」
「は? 何で?」
「何でって馬鹿ね。宿より先に、お洋服を買いに行くのが先に決まってるでしょ?」
「はあ!? 勘弁してくれよっ。こんな目に合った日ぐらい……」
「お・だ・ま・りっ。勘弁して欲しいのはこっちだわ。見てよ、せっかくの限定服がドロドロのグシャグシャ! もぉう、一分一秒だって我慢出来ないわ」
うう~っ、と唸りながらも、王女はきっちりと呪いを発動させて喚く下僕の抵抗を奪った。
「だあぁあああぁあぁっ! わかっ、わかった! わかったって言ってんだろっ。行くっつってんだから、痒、この痒いの止めろ―――――ッ!」
じたばたと暴れて訴えたが、それを無視してズルズルと身体が引き摺られ始めた。引っ張られたマントがぐっと呼吸を塞ぐ。
「まっ……首、くるし――――ッ」
「よーしっ、気合い入れて探すわよ!」
おーッ、という可憐な声とともに、パーンと勢いよく庭から外へと繋がる木戸が跳ね開けられた。