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銀の姫君と蒼の魔法使い  作者: 苫古。
銀の姫君と蒼の魔法使い
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04. 物臭王子と、紅茶色の従士。

 夢幻の白城と名高い、ディ=エルドレンの王宮。


 その庭園の至る所で咲き誇っている月下蝋桜が、仄かな白い燐光を纏って緑の月明かりに佇む姿は、まるで幾人もの着飾った精霊の乙女たちが春の夜を静やかに祝福しに現れたかのようだった。

「はーっ。まさに、夢物語の姫君が住まわれるにぴったりなところですよねー」

 隣で感嘆の吐息を漏らした従士に、ヒースは視線を向けた。

 そこには、しきりに何かに感心するように頷きを繰り返す、ふわふわの紅茶髪頭。上下するそれに、ヒースはなんとなく軽く手の平を乗せてみた。

 先月、十六になったばかりの彼の従士――― アルフェンは、明るい栗色の瞳で主である彼を見上げてくると、幼さを残した愛らしい顔でニコリと笑う。濃いチョコレート色の従士服と、襟元で結ばれた桃色のタイの色合いも相まって、その笑顔は実年齢よりも遥かにあどけないものに見えた。

「〈天輪碑板〉で定められた婚姻だからどうなるか心配でしたけど、準備も順調に進んでるみたいでホントに良かったですよ。何てったって、王子は顔だけが取り柄ですからねー。一般庶民の職場じゃあ確実に使えないタイプだから、アクシデントとかもスマートに処理できない可能性が高いですし。あ、喜んでください! 噂によれば、今回の〈銀月姫〉は大層美しい方なんだそうですよ。やっぱり、美形には美形っていうのが相場ですから。ほんと良かったですねー、王子」

「……ありがとう」

 従士の際限ない寿ぎに、ヒースは抑揚のない口調で応えた。無表情のまま目元に掛る金色の前髪を払いつつ、その薄氷の双眸を王宮に向ける。


 今宵、薄暗い庭園のあちらこちらに、数多くの松明が設けられていた。

 月明かりに溶ける、暗い蒼の炎。魔術で灯されたそれは、一定の距離より遠のくと目に映らなくなるという不思議な代物だ。

 夜の緑深い庭に人気はなく静寂そのものだったが、その実、木々の陰には多くの騎士や宮廷魔導士が潜んでいた。

「もうすぐですよ、王子。そろそろ僕らも準備しなきゃ。ちゃんと台本覚えてます? 〈演劇儀礼〉で失敗したなんてことになったら、国際問題モノですよー」

「アルフェン。お前が毎晩枕元で読み聞かせてくれたおかげで、しっかりと覚えているから安心しろ。それと、出来ればその分厚い台本で叩くのはやめてくれないか」

「最近の若者には無気力な人間が多いっていいますけど、王子はその典型ですからねー。お世話係兼幼馴染としては、とぉーっても心配なわけですよ。あーまぁ、若輩者な主の面倒をみることも従士の大切なお役目の一つに過ぎないので、感謝のお礼とかはいいですよっ」

「若輩といわれても……というか、お前は私より年下だったように思うが」

 ヒースこと、ヒーセリジオ=ロア=テリシゼミアは今年で十七。ディ=エルドレンに隣接するテリゼード国の第三王子である。

 ディ=エルドレンとテリゼードは共に小国。二国が存在するこの大陸には、同様の規模の国々が繁栄と衰退を繰り返しながら連立している。当然、国土や利権を巡っての紛争も起こりやすい。

 幸いなことに、エルドレンとテリゼードはここ数百年の間、揉め事一つなく親交を深め合っていた。

 だが、それは決して、純粋なる和平によってもたらされたものではない。

「んー、何度考えても、〈天輪碑板〉って変な代物ですよね。書かれてる通りにしなきゃ、国が滅びるなんて」

 アルフェンは、『演劇儀礼・銀の姫君と夜の魔法使い』と印字された冊子を見つめながら、眉根を寄せた。


 ―――〈天輪碑板〉。


 それは、この大陸の各王家に一枚ずつ伝わる、漆黒の石板の総称である。

 いつもたらされたものなのか、いずこより伝わったものなのか、詳しいことは一切記録に残っていない。

 材質も解明されていない石板の表面は、通常、滑らかな無地の表面を晒しているだけだ。刃物で傷付けることはおろか、高い塔の上から投げ落しても破壊することが出来ない。

 ゆえに、永遠の遺物とも称される〈天輪碑板〉。

 だが、それにも稀に、大きな変化が起こる。

「今回の、この〈演劇儀礼〉の筋書きが碑文として現れたのって、もう三百年も昔の話でしたっけ?」

「演じられるのが今回で六回目らしいから、たぶんそうだろう」

「わー、そんなに何回も演ったんですか? およそ五十年周期とはいえ、何度も同じ物語を注文してくるなんて、神様も何が気に入らないんですかね」

 碑板の呼称通り、〈天輪碑板〉には時折文字が浮かび上がる。

 それは常に一つの物語を綴った形で現れ、その舞台は碑板を所有する王家にまつわるものであった。刻まれる物語には、発生の日時、配役などの描写が事細かに記載される。

 近い未来、現実に必ず訪れねばならぬ物語。

 戯れであるとしか思えないその御伽噺の紡ぎ手を〈神〉と呼び、人々は筋書き通り真剣に演じた。

〈演劇儀礼〉と呼ばれる国主催の演劇公演は、絶対遵守の儀式なのだ。


 ――― なぜなら、儀礼を怠れば、その国は確実に滅びを迎えるのだから。


 疫病の流行、天変地異など、その結果がどのような形で現れるかは分からない。ただ、物語の遂行を為すことが出来なかった場合、王家の権力と栄華を全て失うことになるという事実だけは、大陸の歴史を紐解けば明らかだ。

 ならば碑板を持たぬ国を興せば良いと考えた者も過去には居たが、彼らの国は儀礼が為されなかったときと同様、一年も経たずに崩壊もしくは滅亡の路を辿ることとなった。


 まさに、暇を持て余した神々のご機嫌を伺うために捧げられる、盛大な娯楽演劇。


 ディ=エルドレンとテリゼード両国の碑板に、初めてその御伽噺が刻まれたのは三百年前だった。

 同時期に、二つの碑板に現れたそれは全く同じ筋書きであり、それぞれの国から役者を提供することで一つの物語を為すものであった。以来、二国は友好条約を結ぶに至っている。もっとも締結当時は、これほど長期に渡るものと考えられていなかっただろうが。

 二つの国は、これまでに五度も同じ儀礼をこなし、無事に滅亡の危機を乗り越えてきた。

「やっぱり、今までのは配役がお気に召さなかったんですよ。役者は顔が命! 多少大根だったとしても、顔が良ければ世の中大抵のことは許して貰えるものですからね。その点、王子は大丈夫です! 怠け者だし、いつもぼんやりしてて、何考えてるのか分からない人格性質に多々難がありますが、顔だけはいいですから! 神々も地べたにひれ伏す美々しさに、太陽の光を紡いだような髪……って、あぁ!? 御髪がもつれてるじゃないですかっ」

「ん、そうか?」

「いつも言っているでしょう! 必要以上に頭を動かさないでくださいっ。僕が全身全霊を掛けて整えた髪型が崩れちゃったら、どう落とし前付けてくれるんですか」

 無理難題をがなり立てつつ、アルフェンはヒースを無理やり即席椅子に座らせた。

流れるような手つきで天鵞絨(ビロード)の髪紐を解くと、どこからともなく取り出した王子専用特注櫛で、主の髪を丁寧に梳き始める。

「出番その一、『魔法使いに攫われる銀月姫。その悲鳴を聞きつけた金の王子が、彼女の部屋の露台下へ駆けつける』ですよ! 未来の奥方様との初対面ですからねー。ここはお洒落もしっかりとっ」

 髪を縛る紐についてまで蘊蓄を垂れ始めたアルフェンのお喋りは、留め処なく続く。それでも、ヒースは非常に感情乏しい表情で大人しく、されるが儘になっていた。

 アルフェンはただの従士ではなく、生まれながらの幼馴染だ。

 ヒースの乳母の子であったため、遊び相手として幼い頃から一緒にいることが多かったのだが、三年前、彼専属の従士になったのを期に常に行動を共にするようになった。

 いつも感情を表に出さないヒースと、子供の頃から活発で陽気な性格のアルフェン。

今は亡き乳母が、「この子はお喋りが過ぎる」と頻繁に嘆いていたものだが、無口なヒースの分まで喋り倒してくれるので、彼自身はとても感謝していた。

 だが―――――、

(…… もうそろそろ、出た方がいいと思うのだが)

 さっきから向こうの木陰で、ディ=エルドレンの魔導士長が「早く、行けッ!」と、全身でサインを出している。可哀想なくらい必死なその姿をちゃんと視認していたが、ヒースは敢えて立ち上がらず、黙してアルフェンの話を聞き続けるままでいた。

(まあ、アルフェンもそのうち気付くだろう)

 気付けば大騒ぎで、追い立てるようにヒースを送り出すはずだ。それを予測しながらも、自分からは全く動かない。

 何故なら、めんどくさいから。

 テリゼード国第三王子、ヒーセリジオ=ロア=テリシゼミアは、どこまでも物臭な王子だった。

「あのう、そろそろ……」

 異国の二人組の様子を見かねたのか、勇気ある善良なディ=ルドレン国の騎士が声を掛けてきた。

「あ、しまった! 王子、こんなことしてる場合じゃ―――」

 案の定、アルフェンが慌ててヒースを立ち上がらせた――その時だった。


「なッ――― なんだ、あれは!」


 突然、騎士の一人が叫びを上げて天を指差した。

 皆が、己の頭上を振り仰ぐ。

 それと同時に、凄まじい轟音を伴って城の一部が爆砕した。

「わわわわわ―――っ!」

 降り注ぐ城壁石と粉塵。危うく瓦礫に潰されそうになったアルフェンを、ヒースは間一髪で胸元に引き寄せた。

 そのまま、小柄な体を庇いながら素早くその場を離れ、庭園の中でも一際立派な枝を伸ばした木の陰を見つけて転がり込む。パニックを起こして暴れる幼馴染の身体を強く抑え込みつつ、王子は冷静に瓦礫の崩落が収まるのを待った。

 どれくらい経ったのか。

地面を揺らす程の轟音が止み、濛々と上がる土煙がようやく晴れ始めた頃。

 唐突に、甲高い咆哮が一声、夜の空に響き渡る。

「えっと……あれって、もしかして竜?」

 落ち着きを取り戻した従士が、腕の中で気の抜けた様子で呟いた通り。


 ――― それは、紛うことなき竜だった。


 漆黒のしなやかな体躯に、二対の巨大な翼。

 優美に城の上空を旋回していた竜は、自らが引き起こした所業を誇るかのように、高らかに啼いていた。

 胸元で、ほうっと熱い吐息を感じる。見ればそこには、うっとりと竜を見つめる潤んだ大きな瞳があった。

「綺麗な竜ですねー。ずんぐりしてなくて、全体的にスッキリとしたボディー・ラインだし」

「お前、ほんとに好きだな。魔獣と幻獣」

「何をおっしゃってるんですか、失敬な。好きなんじゃないです! 僕は、」

「愛してるんだよな」

「そうです! あぁっ! あの娘、なんて美麗な子なんだろうっ。何処の娘か、どなたか知りません? え、知ってるわけない? ちっ、役に立ちませんね。あーもう、ほんとに見てくださいよ、あのしなやかな体型! 僕の理想にドンピシャですよー。百年に一度の逸材だって思いません!? 黒色に統一された全身が、月夜に降り立つ闇の女王が如き畏怖を見る者に抱かせつつも、優雅に開きゆく深紅の薔薇を思わせる極上の色香が、幾万もの魂を虜に……」

 魂を抜かれかけたまま、止め処なく賛辞を垂れ流すアルフェンに向けて、ヒースはコクコクと首を縦に振った。

 もちろん同意したわけではなく、ただ適当に頷いただけ。何年一緒にいても、この幼馴染の不思議世界だけは攻略不能だ。

 それにしても……、

「闇の女王云々はともかく、雌なのか」

 よく分かるなと感心しながら、ヒースは腕を組んで改めて空を見上げた。

 緑の月光に包まれた星の海を背景に旋回する、流麗な竜の肢体。

なるほど。虜になるほどではないにしろ、とても綺麗ではあるとヒースも思う。―――うん、とても美しい気がしてきた。

親愛なる幼馴染の嗜好をきちんと解し、想いを共有することは、共にある者として重要なことだと、彼は常々考えている。考えているだけで、今のように実行に移されることは稀ではあるが。

「そもそも、僕が魔獣に心奪われた最初の遭遇というのはですねー、」

 いつの間にやら、幻獣との記念すべき初遭遇体験談にまで及び始めたアルフェンの話に、のんびりと肯定の頷きを返す場違いな者はヒースくらいのもので………。



 どれくらいの間、その光景を見守っていただろう。

 やがて、満足したというように一声上げると竜は進路を北へ向け、悠々と飛び始めた。

 去り際にもう一つ、咆哮を響かせて。

 その余韻が消えやらぬ中、悲痛な悲鳴が上がった。

「バ、バルコニーがっ!」

 ざわめきに視線を下ろしてみれば、演劇儀礼に登場する伝説の白いバルコニーがあった位置に、黒い大穴が口を開けていた。

「あー。あの竜が出てきたから、あんなになっちゃったんですねー」

「みたいだな」

「むむーっ。今回の魔法使い、なかなかやりますね。これまでとは演出に関する気合いの入れようが違うっていうか。……あれ? というか、これって一応、物語通りに姫君が攫われましたってことで、いいんですよね?」

「多分な」

 王女の部屋があったらしき崩落部分を眺めながら、ヒースは曖昧に同意した。

 もし攫われてなければ、明日は国葬に出席ということになってしまうだろう。先ほどの竜に、無事攫われていることを祈るが……。

「くっ! 何だか、出遅れちゃった感がありますが致し方ありません。一際目立つには、こちらも作戦を練らなきゃです!」

 負けてられませんよ、王子! と、拳を握りしめる従士の意気込みとは裏腹に、


「……めんどくさ」


 主役たる金の王子は、すでにやる気を失いかけていた。




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