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銀の姫君と蒼の魔法使い  作者: 苫古。
銀の姫君と蒼の魔法使い
22/43

21. 下僕の捧げ物と、姫君の一撃必殺。

 今、改めて振り返ってみると、

「もしかして、俺って女難の相が出てるんじゃ……」

 全部終わって落ち着いたら、一度どこかの神殿でお清めして貰った方がいいかもしれないと本気で考えながら、ウィード・セルは店の裏庭を歩いていた。 




 ――― 君はその腕のわりに、工房慣れしていないんだね

 

 ――― 次にどこかで働く時は、もっと要領良く……いや、要領悪く仕事をすることをお勧めするよ




 検品部屋を出る間際、カルツに言われた言葉を思い出し、ウィード・セルは苦虫を噛んだかのように口元を歪めた。


 工房慣れしてないって?

 当然だろう。工房で仕事をしたことなど、一度もないのだから。






 + + + + + + +






 ――― ユレナに師事して5年。

 ウィード・セルが16歳になる年、祖国が継承問題で揺らいだために、彼女が急遽留学を取り止めて帰国することになるまで、彼は毎日散々しごかれた。


 そして、別れの2週間前。

 最期の試験として与えられた、深紅の布。



 何でもいい。好きなものを作ってみせろと課題を出したユレナに対し、ウィード・セルが作ってみせたのは、外套(マント)だった。

「合格だ、ウィード・セル」

 その一言を形作った鮮やかな深紅(ルージュ)の唇が、野性味を帯びた、しかし気品をも備えた笑みを豪快に描いた瞬間。

 あの瞬間だけは、今でもはっきりと覚えている。


 いつもガキんちょ呼ばわりだった師に、名で呼んで貰えた。


 人としてはともかく、職人として誰より敬愛する彼女に認められたあの時、ウィード・セルは自らの努力を誇る思いと達成感で、天にも昇る思いだった。

 だが、それもつかの間。

「じゃ、一ヶ月後くらいには使いの人間寄越すから」

 ぽん、と肩に手を置かれ、その台詞の意味も良く分からないまま、ニヤニヤ笑顔の師匠を見送った――― それから、本当に丁度一月経った頃。

 ウィード・セルを尋ねてきたのは、先日発表されたばかりの、新進気鋭のドレス・ブランド〈ケルフィス・クライン〉の従業員だと名乗る男で。

「はじめまして。あの、こちらにオーナーのお弟子さんがいらっしゃると窺ったのですが……」

 彼がウィード・セル宛てにと携えていた手紙には、こう一言。


“内職ってのも、十分ありだろ?”


「つきましては、これらのテーマに沿ったデザインを早急にあげて、品物の制作を始めるようにと、オーナーから承っております」

 差し出された分厚い資料集を、つい反射的に受け取ってしまったウィード・セルは、遠い目をして異国いるであろう彼女のことを思った。




 ――― どうやら、我が師は、女王の座に納まるだけでは気が済まなかったらしい。







 + + + + + + +







 過去のトラベルメーカーとの記憶を思い巡らせつつ。

「ったく。あいつ、どこにいるんだよ」

 目下、現在のトラベルメーカーを探しているウィード・セルは、視線を巡らせながらぼやいた。

 村のはずれにあるせいだろうか、ベル・ローズの裏庭は結構広い。

 亡くなった店主の奥さんが園芸好きだったということで、この地方にはない花々も多くの彩りを咲かせている。もう、庭と言うよりはむしろ、庭園と称した方がいいレベルだろう。

 ウィード・セルが散々草木の迷路を彷徨った末、ようやくその姿を見つけたのは、庭の片隅にある小さな花壇の前だった。

 石に腰かけ、ぼーっとしていたらしきマリー・ベルの肩や頭、膝の上には、色取りどりの小鳥たち。

 常日頃、やたら動物に好かれるヤツだなぁとは思っていたが、数十羽の鳥に集られている今の状況は、ちょっと不気味だ。…… 何羽かに髪の毛食われてるけど、いいのか?

「おい、こんなとこで何してんだよ」

 ウィード・セルが呆れたように言うと、突然掛けられた声に余程驚いたのか、彼女はバランスを崩しかけるほど、ビクリと全身を揺らした。

 その拍子に、小鳥たちが一斉に飛び立っていく。羽ばたきと舞い散る小羽に、二人は悲鳴を上げた。

「ちょ、ちょっと! 急に声かけないでよ、びっくりするじゃない」

「びっくりはこっちだ! なんだよ、あの鳥の大群は!」

「地元の皆さんよ! 文句ある!?」

 ……ありません。というか、分けわからん。

 ウィード・セルより先に洋服から羽を取り終えた王女が、あぁ、と思い付いたように面を上げた。

「もう、カルツさんとの話は終わったの?」

「ああ、とっくに」

「だったら早く呼びなさいよ。あとはお給料貰って帰るだけなんだから」

 座ったまま膝に頬杖をついた彼女は、そう文句を述べつつ斜め上目遣いに睨んできた。先ほどこけかけたのを見られたのが恥ずかしいのか、頬がほんのり染まったままなので、ちっとも怖くないが。

「すぐ呼べる場所にいなかったあんたが悪い。あと、毎年の恒例で、給料は雇い人全員が揃ってから配ることになってるらしいぞ。みーんな、アンタのせいで待ちぼうけ食らってる」

 厭味ったらしく言ってやると、青くなった王女がばっと立ち上がった。

「え、うそ! それも早く言いなさいよぉっ。ほら、さっさと戻るわよ!」

「はいはい」

 急げとばかりに歩き出した王女に大人しく手を引かれながら、ウィード・セルはにやりと笑う。



 今日は、雇いの最終日。

 そして、念願の給料日だ。

 毎年、ベル・ローズでは、給料を手渡された後に、職人たちでささやかな打ち上げをするらしい。

 マリカちゃんには当日までナイショにしてて、とマルティナを筆頭とした女子たちに頼まれたため、ウィード・セルは、そのことを彼女に伝えていない。今頃、いつもの作業室の台は、華やかな飾り付けと並べられた美味しそうな食事で一杯になっていることだろう。

 それを目にしたときのマリー・ベルの顔を想像すると、どうしてもにやけてしまう自分が居た。

「あんたさ、今日で最期だと寂しいんじゃないか?」

「なにがよ」

「お姉さま方と離ればなれになっちゃうだろ。毎日、これでもかってほど猫っ可愛がりだったもんな」

「うう、う、うるさいわねっ。寂しいなんてわけないでしょ」

 彼女が前を向いているから表情までは分からないが、やはり、その横顔は耳まで赤い。

(……おもしろい。おもしろすぎる)

 笑いを噛み殺そうとしたが、上手くいかなかった。

 そんなウィード・セルのあからさまな態度が我慢ならなくなったらしく、マリー・ベルは足を止めて勢いよく振り返り、彼を睨み上げてくる。が、それも長くは続かない。

 鋭く尖った眼光もすぐに逸らされ、やがて彼女はごにょごにょと、小声で言い訳めいた言葉を口にし始める。

「だって……仕方ないじゃない。どうしていいかわかんないんだもの。今まで、同じ年頃の子たちと居たことなんてないから」

 意外な彼女の告白に、ウィード・セルは驚きの声を上げる。

「え、一度も?」

 性格はともかく、これだけの容姿だ。きっと、王宮でも常に大勢に囲まれて、ちやほやされて育ってきたのだと。

「そうよっ、悪い!?」

 いや、悪くはないけど、という台詞を呑みこんだウィード・セルに対し、顔を真っ赤にした王女は、視線を落ち着きなく彷徨わせながら続けた。

「……苦手なの。そりゃ、一応王女だし、同年代の令嬢とお茶会くらいしたことあるわ。でも、アレとココとは全然違うじゃない」

「まあ、そうだな」

「仕事だと思えば、何とか“やれる”の。でも、そうじゃないときは駄目。……どう振る舞ったらいいか、全然わからないの」

 消え入りそうな小声で白状しながら、両手を前で弄りながら俯く彼女の姿は、大変に珍しく、そして愛らしい。

 だが、ウィード・セルは、さっきまで上向きだった自分の気分が、みるみる降下していくのを自覚した。



(…… だったらなにか?)


 職場の娘たちには素で接しているから、しどろもどろになってしまい、同じく初対面だったはずのウィード・セルに対しては、演劇儀礼という“仕事”を通した関係だったから大丈夫だったのか、と。



「ど、どうしたのよ。目、怖いわよ、あなた」

「気のせいだろ」

 身を引きかけた彼女を、じっとり据わった目で見降ろしつつ鼻を鳴らした。

「ほら、行くぞ」

「え、ええ」

 今度はウィード・セルが前を歩き、王女がその後に続く。

 急に機嫌を悪くした彼の様子に、なんなのよ、とブツブツ文句を垂れている彼女。そう憤慨した態度を取りつつも、こちらを気にして窺っている気配が丸分かりだ。

 取り繕ったものの向こう側を察してしまう――― それくらいには、この少女を近しく己に馴染ませてしまったという事実がまた、ウィード・セルの苛立ちを掻きたてた。

 でも。

(なんで俺が、こんなにイライラしなきゃいけないんだよ)


 公務だから大丈夫――― 別に、特別に気を許されているわけじゃなかった。


 そのことが、ひどく気に入らないと感じてしまった自分が、何より気に食わない。

 どうにも得体の知れない、グチャグチャなこの感情をどうにか押し込めようと、ただひたすらに無言で歩く。

 そんな彼の背中を見ていて不安になったのか、マリー・ベルが彼の黒い上衣の裾を、控えめに引っ張ってきた。

「ねえ、何怒ってるの?」

「別に」

「怒ってるじゃない、どう見たって」

「怒ってない」

「じゃあ、こっち向いて言いなさいよ。わけ分かんないでしょーが、いきなりっ」

 力任せに身体を反転させられて、襟元を掴まれた。

 ぐえっ、と漏れそうになった声を意地で堪え、口をへの字にしたまま、間近に迫ったマリー・ベルの春青の瞳と対峙する。



 沈黙が、痛い。



 向き合ったまま、互いを睨みあうこと、数分。

 先に根負けして目を逸らしたのはウィード・セルだった。

「………」

 ちっ、と舌打ちした彼は、おもむろに腰のシザーバックに手を伸ばした。

 中の何かを掴み、一瞬だけ逡巡。意を決したあとに、素早く取り出した勢いのまま、それ(、、)をマリー・ベルの頭にぶつける。

「った! 何するのよ!」

 悲鳴を上げて、叩かれた頭に手をやった王女。そこで彼女は、頭上に乗せられた薄い紙包みに気付いたようだ。

「なに、これ」

 訝しむ声。

 そっぽを向いたままのウィード・セルが返事をしなかったので、憤慨している王女は勝手に開け始める。

 中から出てきたのは、

「わぁ、きれい……」

 縁取りを数種類の繊細なレースで飾った、純白のハンカチ。一見無地のようだが、陽光に翳してみると、生地と同じ色の糸で花の刺繍が入れられていることが判るはずだ。

「この花……もしかして、銀月草?」

 春の月夜に咲く、広鐘形の白い鈴に似た花――― 童話の姫君、マリー・ベルの名の元になった花だ。

 ……ほんとうは、こんな渡し方をするつもりじゃなかったのだけど。


「やる」


 顔を背けたまま、そう一言。

 広げたハンカチに見惚れていたマリー・ベルが、こちらを見て大きな目を瞬かせた。

「これ、くれるの? ――― わたしに?」

 その問いにも、答えない。というか、答えられない。

 やる、って言ってんだから、大人しく受け取ればいいじゃないか。


 ……実は、こそこそと影で作ってみたのは良いが、いつ渡せばいいものかと、今朝から散々悩んでいた。

 その末、良かったんだか悪かったんだかは分からないが、ようやく渡す機会を得ることが出来たのに。


 年頃の男子が、贈り物をする。それが、どれだけ気力を消費することか。

 そこを察して、黙って受け取ってくれればいい。

 なのに、空気と男心を読めないお姫様は、ねえねえとウィード・セルの服の端を、しつこく引き続ける。

「ね、わたしのために、わざわざ作ってくれたのよね?」

「………」

「だって、こんなのどこにも売ってないもの。あなたの手作りなのよね?」

「……………」

「あんなに忙しかったのに。ねぇ、いつの間に作ったの? ねぇ、ねぇ、ねぇってば」

「だぁあああぁあぁぁっ、もう、やかましいっ!」

 羞恥プレイに堪え切れなくなったウィード・セルは、マリー・ベルの手を振り払い、彼女から数歩分の距離を取った。

 目元も耳も熱を持っていることを自覚しながら、恨みがましい目付きで彼女をねめつけたあと、地面に視線を落す。

「……あんたも、さ。その……温室育ちのお姫様にしては、それなりに頑張ってたみたいだし……その……」

“俺からの、頑張った分のオマケ”。

そう口にしたつもりだったけれど、語尾はほとんど音にならなかった。


 姫君として育ってきた彼女が、初めてやり遂げた“仕事”。


 今まで働いたことなどなかったであろう彼女には楽でない労働だったろうに、それでも一生懸命、文句も言わずに真面目に取り組んでいた。

 だから給料とは別に、その労働に報いるものを……と。

「まあ、俺だって少しは時間に余裕があったし」

 たかがハンカチだしな、と、ウィード・セルは気恥ずかしさ誤魔化すように笑おうとした。

 だが、それを遮るように、マリー・ベルが柔らかく言葉を重ねる。

「――― わたしのために、作ってくれたのね」

 その声音は、特別で。

「うれしい。すっごく、すっごくうれしい」

 この庭に芽吹く、すべての花が咲き誇ったかのような笑みを。


「ありがとう」


 宝物を抱くように、胸元に贈り物を寄せた彼女の心が、ただその一言に込められた純粋な想いそのもので形作られていると、はっきりと伝わって。


「……ああ」


 無意識に頷くことしか出来なかった自分を、後で悔しく思った。


 サプライズ・パーティに驚く彼女の顔も、乙女たちに抱きつかれて揉みくちゃにされた時の困った顔も、面白おかしく堪能してやろう。

 そう、楽しみにしていたのに。




(――― 反則だろ。あれ)




 あの時の笑顔。

 切り取られた一片の絵のように、頭の中に張り付けられたそれを剥がそうとするので手一杯で、結局、彼女をからかう余裕なんて全くなかった。




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