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銀の姫君と蒼の魔法使い  作者: 苫古。
銀の姫君と蒼の魔法使い
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01. 宝石箱の姫君と、ステキな骨牌。

 この世には、十八の月が存在する。


 紅、金、蒼、白、紫、黒……色取りどり、己が色彩を誇るかのように夜空を飾る月。

 それぞれが放つ輝きが、世界――― とりわけ魔術に大きな影響を与えるということは、子供から老人までが皆知る、ごく当たり前のこと。

 今宵、銀の星宮を宿した深濃の夜空に浮かぶのは、生命の息吹を司る第三の月〈翠姫月(シャ―ザ=カウィール)〉。

 甘く緑色に輝くこの月は、まこと姫君の称を冠するに相応しい。

 その烟るような月光の下、春に彩られたディ=エルドレン王国の王宮は、まるで古の御伽噺に謳われる精霊の城のように輝いていた。

 桃色の花園に囲まれた、夢幻に淡やぐ白亜の城。

 その主たる王族と国の民らは五十年もの間、今宵のみを待ち望んだ。


 春の夜、紡がれねばならない物語。

 古より、幾度も繰り返されてきた御伽噺。


 人々は息を潜めて待つ。

 その悪夢のような童話の連鎖より解放されるための、序曲となるべきその時を――――……





 + + + + + + + 





 真夜中の0時。

 蔦の絡まった、純白の露台(バルコニー)

 そして、開け放たれた硝子の扉。



「……お約束通り」

 前もって分かっていたとはいえ、げんなりしてしまう。

 自分のような訪問者を、遥か昔から幾度も迎えたであろうこの場所。いっそ、蔦を燃やして純白の飾り格子を黒焦げにしてやりたいという衝動に駆られたが、何とか堪える。

「くそッ。何だって、俺の代でこんな……」

 悪態を付きつつ表情(かお)を歪め、不貞腐れた態度で広いバルコニーに音もなく現れたのは、まだ十七歳になったばかりの少年だった。

 少し癖のある闇色の髪と、切れ長の双眸。わりと整った造作をしているが、美少年というほどのものではなく、少しきつい眼元が彼の顔立ちに鋭利さを加えている。

 その身に纏っているのは、暗黒のそれに果てしなく近い、銀細工で飾られた夜色の外衣(マント)。動く度に銀製の鎖がしゃらしゃらと音を立てて、その存在を主張する。

 事前に与えられたから着ているだけで、彼自身は誰がこの服を作ったのか知らないが、

「皮肉かよ」

 まるで、この鎖が罪人への戒めのようだと毒吐くが、これから自分がやらなければならないことを思うと、文句の付けようもなくぴったりだとも思えてきて、苦い嗤いが浮かぶ。

 月明かりに長く伸びた黒い影。

 それを引きずるように、少年は開け放たれたままの扉へと重い足取りで歩み寄った。

 風が吹き込み、薄く繊細な編地(レース)のカーテンが踊るように揺れている。

 その先の薄闇。

 奥に向けて目を細めれば、幾重にも重なる編地の波の向こうに――― 細い人影。

 その影の主もこちらに気が付いたらしく、振り向く気配とささやかな衣ずれの音が夜風に混じって耳を掠った。


「誰……と、聞く必要はないわね」


 笑みを含む、澄んだ高い声。

 それに対し、


「何しに、と教える必要もないな」


 少年は嘲りを滲ませた口調で応えた。苛立つ気分のままにカーテンを掻き分け、月光が差し込む部屋へと乱暴に踏み入る。

 頭や腕に絡まる生地を舌打ちとともに払って顔を上げると、そこはまるで宝石箱のような部屋だった。

 所々に白を利かせた、空色で統一された空間。

 甘い意匠の装飾家具に、編地をふんだんに用いた天蓋の寝台。猫足の白い飾り棚とお揃いの本棚。華奢なテーブルの上には、私を食べてと喋らんばかりに愛らしい桃色の菓子が、真珠色の皿に品よく並べられている。

 まさに、少しわざとらしいくらいに、世の乙女が憧れる“姫君のお部屋”そのものといった感じだ。

 ――― そして、何より。

 その宝石箱の中に独り佇んでいたのも、部屋の主に相応しい、精霊のような少女だった。

 白雪の肌を飾る、揺らめく光を紡いで垂らしたかのような白銀の髪に、春を映し込んだ天空色の瞳。夢見るような花の顔には、甘やかな微笑が浮かべられている。

 それは、月光の中に淡く溶け消えてしまいそうな、儚く幻想的な美。

 少年は呼吸を忘れ、しばし彼女に見入った。

 噂に違わぬ――――― いや、それ以上の美しさ。

 彼女が、これから自分が攫わねばならない(、、、、、、、、)、姫君。


「わたしが当代(、、)の〈銀月姫(マリー・ベル)〉よ。よろしくね、悪い魔法使いさん」


 薄い布を幾重にも重ねた純白の衣裳を引き、マリー・ベルは優雅に礼をした。

 日常には縁の無い、洗練された仕草。

 そんな彼女の様子にあてられ、〈魔法使い〉と呼ばれた少年は、少しばかりたじろいた。

「あ、お、俺は―――― 」

 少し擦れた声で、それでも何とか自らも名乗ろうとしたのだが、

「知ってるわ」

 少女の声が、それを遮った。

 何となくそれが気に喰わず、少年はムッとしながら、両目を眇めて目の前の精霊少女を見やる。

「あのな。そりゃそうだろうけど、こういう時にはちゃんと自分の口から名乗っておくのが…… ていうか、名乗らせるのが礼儀だろ」

「あら、おかしな人ね。今のこの状態でそんなこと言うなんて。漆黒の真夜中、清らかなる乙女の部屋に見知らぬ殿方が土足で踏み入ることを、国レベルで推奨しちゃってるのよ? こんな異常な状況に、礼儀もへったくれもあったものじゃないでしょ」

 …… 確かに。

 先ほどまでの儚さはどこへやら、ふふんと不遜に鼻を鳴らして胸を張る少女の態度に唖然としつつ、思わずその言葉に納得しそうになる。――― だが、

「って、『台本』通りやれよ! いきなり人の台詞だけ省かせようとするなんて、どういう了見だよ。後で処罰されるのは俺なんだぞ!? 大体あんたさ、自分だけ与えられた台詞通り名乗ったくせに、こっちには言わせないってあんまりじゃないか。俺は大人しく聞いてやっただろ!」

「わたし?」

「そうだよ、他に誰がいるんだよ〈銀月姫(マリー・ベル)〉!」

 思い切り嫌味を込めて呼んでやると、マリー・ベルはぱちくりと目を見開いた。彼女の身分上、こんな無礼な切り返しを受けたことが無かったのかもしれない。

 もっとも、そんな風に彼女を黙らせることが出来たのは、その一瞬のみだったのだが。

「……っ。わたしはいいのよ。可愛いから」

 ほんの少し、尖らせ気味になった桃色の唇から零れた言葉。

「は、え。……ん?」

 ああ、まあそうだな……とまたもや頷きかけたところで、はっと我に返った。危ない。

「いや、外見は全然関係ないだろ。どんな理屈だよ、まったく」

「あーもー、うっるさい人ね。いいじゃない、わたしがあなたの名前をちゃーんと知ってるって言うのはホントなんだから。何か問題あるかしら?」

「……こいつ」

 形のよい頤を反らせてそっぽを向き、おまけに可愛らしい仕草で自分の両耳を塞いでいる彼女を見やりながら、少年は口元を引きつらせた。

(――― 初対面なのに、何なんだ)

 自分で「可愛い」とか言うなよ ……… だがまあ、ムカつくことに、確かに可愛い。だけど、認めるのは癪だ。

 ここまで自意識過剰な人間に出会ったのは、まだまだ人生経験の浅い彼にとっては初めてのことだった。

 おまけにこの少女の場合、自己の価値に対する認識とその外見が、きっちり見合っているという点で非常に性質が悪い。最初に見惚れてしまった自分自身が、そこはかとなく憎かった。


 この先の『筋書き(ストーリー)』上、当分の間、行動を共にしないといけないのだが……。


 相方たる目の前の〈お姫様〉は、どうやら彼と良好な人間関係を築く気が皆無らしい。出会って早速だが、少年は彼女と上手くやっていく自信を急速に無くした。

 一方、清らかな精霊の如き姫君は、一通り可憐に毒を吐き終えてすっかり満足したようで、華奢な腰に手を当てて面倒そうに大きく息を吐きつつではあるが、こちらに向かって歩き始めている。

 彼女が動く度にふさふさと波打つドレスのスカート。少年はそれを見やりながら、小さく唸った。

 春らしく、花弁をイメージしたデザインなのだろうか。

 腰回りに布地を多く使い過ぎているせいで、非常に身動きが取り難そうだ。せめて、飾り布部分にはもう少し軽い生地を使うべきだろう。所々に縫い留められた真珠も、もう少し小振りなものの方がこの布の光沢を生かせると思う。

 留めは最期の一歩。純白の衣裳の裾から、真珠色の小さな靴が愛らしく覗いたのを目にして、思わず顔を顰めた。

「そんな靴で、外歩けるのかよ」

 この先、歩きが長いっていうのに。そんな舞踏会に出掛けるような華奢な靴で、事あるごとに足が痛いと駄々を捏ねられるのは面倒だ。

(まったく、(コイツ)担当の衣裳係は何考えてるんだ)

 ちゃんと台本を読んでるはずだろ、と毒吐きかけたところで―――。

 両の肩に乗せられた重みに叩かれ、少年は思考の海から現実に浮上した。

「へ?」

 びっくりして自分の肩口に置かれた白く細やかな腕を視線で辿ると、思いもよらぬほどの至近距離で、桃色掛かった空色の瞳とかち合う。

 ……いつの間に、こんな近くに。

 考え事をしていたせいで、少年はマリー・ベルが目の前まで来ていたことに全く気付かなかった。

 息が触れそうなほど間近で、彼の顔を覗き込むように上げられた頤。彼女の大きな瞳に、間の抜けた自分の顔がはっきりと映り込んでいるのを認め、思わず音を立てて唾を呑みこんでしまった。

 おい……ちょっとばかり、近寄り過ぎじゃないか?


「ありがたく思いなさい」

「は?」


 唐突な言葉。

 通常の会話には到底相応しくない距離で、神話の女神にも出来ないような極上の微笑みを浮かべたマリー・ベルに、先ほどの後悔はどこへやら、またもや魅入られてしまった。

 だから、その顔がゆっくりと、さらに寄せられたことに気付けなかった。

 ――― 一瞬。

 伏せられた長い銀色の睫毛が、こんなに間近にある理由が分からなかった。

「―――― ッ!?」

 頬に添えられた白い手を振り払い、少年は彼女を押しやった。

 同時に、柔らかに重ねられた唇の温もりも、彼のそれから離れる。

「な、ななな何する――― ッ!」

 ああ、顔面がみるみる熱を持つのが分かる。

突然の暴挙に動転しながら元凶を睨みつけると、彼女は丁度「あ~、やだやだ」と文句を垂れつつ、手の甲でごしごしと自分の唇を拭っているところだった。

 …… なんだか、ちょっと傷付くじゃないか。

 だが、被害者はこっちじゃないかと思い至れるくらいにまで、焼き切れかけた思考能力が回復すると、頭にかっと血が上った。

「じ、自分からしたんだろ!? そんなにイヤならしなきゃいいじゃないかっ」

「もっともね」

 彼の糾弾に対し、うん、と少女はあっさり、且つ大きく頷きを返してきた。

 その態度にまたもや多感な心を抉られ、激しく衝撃を受けている思春期の少年の精神状態を全く介さぬ様子で、彼女は胸元に手を当てて偉そうにふんぞり返りながら続けていく。

「光栄に思いなさい? 将来絶世の美女って謳われること間違いナシの、伝説級超絶美少女たるわたしの、貴重なファーストキスだったんだから」

「ふ、普通、自分で美少女言うか!?」

 聞いてるこっちの方が恥ずかしくなる。

 マリー・ベルはヘッ、と非お上品に鼻で嗤って腕を組んだ。

「純然たる事実なんだから何の問題もないでしょ? 細かい突っ込みばかり入れる男はモテないって、この前読んだ雑誌の記事にあったかしらねー」

「お、乙女雑誌情報を鵜呑みにするなよ! あんな統計で理想の男像なんか割り出せるもんか。あんな神懸かり的な理想を全部クリアしてる奴なんか、この世に存在するわけないんだからな」

「え。男のクセに、女子向けの雑誌を読んでみたりとかしちゃってるの? 気持ち悪いわね」

「あんたなぁ……… あー、もーいいっ! 頼むから、〈台本〉通り進めてくれよ」

 もう嫌だ、こんなヤツ。

 コイツがあとで怒り狂ったって知るもんか。束縛の魔術で口と身体の自由を奪って、さっさと攫い出してしまおう。

 もう〈台本〉の次の工程まであまり時間もないし、とばかりに少年が戒めの呪文を唱えようとした、その時。

「何でこんなヤツにわたしが初めての口付けを…… まあ、契約の対価だから、仕方ないけど」

「はぁ?」

 聞き捨てならない彼女の言葉―――特に最期の一言が理解できなかった少年の鼻先に、ペシリと一枚の薄い木板が押し当てられた。

「何だこれ……〈骨牌(カルタ)〉?」

「そう、訪問販売で買ったの。最近、魔術ギルドも市場拡大を狙ってるのかしら。そういう便利道具の一般家庭への普及に、力を入れてるみたいね?」

 マリー・ベルは手にした黒い骨牌を頬に添え、問いながら可愛らしく小首を傾げる。

 骨牌(カルタ)とは、魔力を宿した魔導具の一つである。

 骨牌ごとに定められた対価を持主たる契約者が支払うことで、魔術士でない人間にも道具に込められた魔術を行使できるという、優れた便利品。

 現在ギルドが展開している「一般の方にも魔術に親しみを持って頂こう」政策により、近年急速に庶民にも普及しているものなのだが。

「おい、ちょっと待てよ」

「なぁに?」

「なぁに、じゃない! その骨牌の表面に描いてある(サークル)、呪いの紋様じゃないか!?」

「あら、だいせいかーいッ。さすがね、一応ちゃんと本物の魔導士なのね。ちょっと感動しちゃったわ」

「正解って、あんた……」

 呪われた呪具を手に、この上なく清らかに微笑う姫を前にしながら、少年は激しい頭痛を覚えた。

 通常、一般向けに発売されている骨牌に込められた魔術は、火・水・風・土といった四元素関連の低位魔術、もしくは簡単な治癒魔術に限られている。一番需要が高いのは、火打ち石の代わりに火を起こす赤の骨牌。レベルの低い、一般家庭生活にあれば便利だなーといった程度の代物に過ぎないはずなのだ。

 対し、高位の魔術を込めた骨牌を市場で売買することは、ギルド法により固く禁じられている。魔術のノウハウを持たない素人が扱うことの危険性を鑑みれば、当然の処置だろう。

 だから、呪い―――しかも紋様を見る限り、対象を人間に当てた術を宿した骨牌など、闇市場でもなかなかお目に掛れる代物ではない。ちょっとした事件だ。

(……誰だ。こんなものを、この悪質な王女に売り払ったのは)

 具体的にどんな効力をもつ骨牌かは知らないが、物騒なことこの上ない。全部終わったら商人(はんにん)を探して、ギルドに通報してやると心に決める。

「二枚セットで五百ラン。すっごくお買い得でしょ」

 とびきり素敵な笑顔のキラめき照射を真正面から受け、少年は激しく魂が消耗していくのを感じた。

「あー、もーどうでもいいから、その厄介な物はそこらに置いて行ってくれよ。そんなものホイホイ使われたら、〈儀礼〉どころじゃ……」

 一級品の危険物をお手頃価格で入手出来るとは、ほんとうに嫌な世の中になったものだ。いっそ今すぐ隠遁してやりたい。

「ちなみに、この骨牌の効力は〈魔導士の下僕化〉。そして、対価は〈自らが大切に想っているモノ〉でーす」


 …………、

 …………………、

 ………………………………、

 何?

 何だって?


「………“ゲボク”?」

「そっ! わたしの下僕」


 下僕って、何だっけ。

とういか、誰が? 

 そう問う暇もなく、彼女――― ディ=エルドレン国第十九王女、マリー・ベル=ソアラ=エルドレンシアは、魔法使いの鼻先に指先をびしっと突き付け、高らかに言い放った。



(あるじ)の座において、下僕たる悪い魔法使い(あなた)に命じるわ! 大人しくわたしに攫われなさい、ウィード・セル=ヴォロンディ!」




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