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銀の姫君と蒼の魔法使い  作者: 苫古。
銀の姫君と蒼の魔法使い
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16. ヘタった下僕と、たまには優しいご主人様。

 目を使う細かい針仕事は、猛烈に疲れるものだ。

 夜も更けた時刻。カルツからようやく解放されたウィード・セルは、宿屋の部屋に戻るなり、ばったりとベッドに倒れ込んだ。

「あー、あたま……いたい……」

 ひとしきり唸ったあと、仰向けになって目の周辺を指で揉む。

 正直なところ、ウィード・セルには、己が他人より格段に器用であるという自負があった。

 まあ、不器用では魔術師などという繊細な作業ばかりを行う職は務まらないだろうが、それでも、何かしら手にすれば、他の人間が遣るより遥かに上手くこなして見せる自信がある。

 ――― だから、だろうか?

「あーもー、なんでムキになっちゃったかなぁ、俺」

 次に次にと積み重ねられていく布や、繊細なビーズ。これは出来るか、あれはどうかと挑戦――― もとい仕事を持って来られるたび、ついつい熱くなって手を付け、全てやり遂げてしまった。

「あなた、ほんと挑発に弱いわよね」

 呆れた声で言うマリー・ベルは、窓辺に立って窓を閉めているところだった。

 彼女の腕の中には、日中森で過ごしていたアルダ。今は子犬程の大きさに縮んでいる黒竜が、撫でられてご機嫌そうな声を洩らしている。

「アルダちゃん。わたしたち、これから夕ご飯にするんだけど、あなたはどうする? サンドイッチと山鳥のフライよ」

「キュ、キューキュ!」

「あ、もう森で済まして来たの? 良かったー、待たせてなくて。こんなに遅くなっちゃったでしょ。お腹空かせてたらどうしようって、心配してたの」

「キュウィ、キュキュッ」

「そうね、わたしも早く食べなきゃ。夜遅い食事は、美容に悪いものね」

 頬にペチペチと触れてくる蜥蜴の親玉の手を握り、マリー・ベルがふふっと春風のように笑う。

 一見、微笑ましくも思えるその遣り取りを耳にしていたウィード・セルは、ケップー、と満腹の腹を撫でているアルダを横目に、ごくりと緊張の唾を飲み込んだ。

(森で食事って……何喰って来たんだよ)

 ここは〈黒い森〉と呼ばれる、妖精や幻獣が満ち溢れた奥深き密林。普通でないものと縄張りを争っている分、野生動物たちも他の森よりパワフルでガッツがある。

 そんな輩がウヨウヨしている中で、呑気に一日を送り、あまつさえ何らかの食事を終えてきたというアルダが、ウィード・セルは心底怖ろしいと思った。……どうみたって、こいつは草食じゃないだろう。

 この村に滞在してしばらくになるが、近隣の森の動物たちの平和が脅かされていないことを、切に祈る。

「ちょっと、ぼんやりしないでよ。早くしないと、ぜーんぶ食べちゃうわよ?」

 部屋の小さなテーブルに夕食を広げ終えたマリー・ベルが、クッション付きの籐椅子に腰かけながらこちらを見た。

 ああ、と返事を返し、重くなった身体を無理やり起こして席に着く。

「あー、だるー」

「あ、もう。食事中に椅子に凭れかからない! 行儀悪いわよ、下品だわ」

「……そこまで言うこと無いだろ」

 一応言い返してみたりもするが、ぐったりと背凭れに身体を預けてモシャモシャとサンドイッチを咀嚼する己の姿に覇気がないことは、十分自覚している。

「ねえ、大丈夫?」

 あまりに元気が無いことを不安に思ったのか、マリー・ベルが恐るおそる聞いてきた。

「大丈夫じゃない」

「もう、だから早く切り上げれば良かったのに。残業なんか申し出るからよ。みんなは定時に帰ったでしょ」

「………」

「さっきも言ったけど、あなた挑発にすぐに乗っちゃうのは悪い癖よ? どうしてあんなにムキなるのよ」

「うっさいな」

「まあ、そういうふうに仕向けるカルツさんもカルツさんだけどー」

 ずずっとポットの中のお茶を口に含みながら、ウィード・セルはムッと眉間に皺を寄せた。

 カルツの名を聞くと、あのニヤニヤ笑いが頭をよぎる。

 そぉれとばかりに無理難題を押し付けて、ひとがそれを四苦八苦とこなす姿を楽しげに見ていた。……あいつ、絶対に性格が悪いに違いない。

 ああいう態度で挑まれると、居ても立ってもいられなく自分の性格も、十分馬鹿馬鹿しいと思うけれども。

 ――― だが、それだけじゃない。

 あそこまでムキになってしまったのは、ああいう態度で挑まれたからだけじゃない。


 あの、布裁き。

 繊細な糸で、一枚の布を平面から立体へと昇華させていく腕。

 そしてなにより、デザイン。


 目の前で、あれだけのものを見せられたら、大人しくなんてしていられない。

 何よりも、絶対に他人に負けたくないものが、目の前にあったのだ。

(勝負を仕掛けられたのなら、いくらだって受けて立ってやる!)

 負けてたまるか、とばかりに意気込んで挑戦を買い続けたのだが。


「あー、もう……ほんっと、しんどい」

 いまは後悔していた。

 冷めた紅茶のカップの縁に歯を立てながら、死に掛けた目で残りの夕飯を見やる。 ……とても食べられそうにない。

「もういらないの?」

「……食欲無い」

「はいはい。もーダメダメね、ダーリン」

 マリー・ベルのその呆れ返ったような声音に、ウィード・セルは再びムッとした。ダーリンって言うなと文句を吐くため、うつ向けていた視線を上に向ける。

不本意ながら、もう聞きなれてしまった単語ではあるが、疲れている時にからかわれると、余計にイライラしてしまうのだ。

 だが、ふいにコツリと額に当てられた柔らかなものに、固くなった身体の動きすべてを停止せざるを得なくなった。イライラが瞬間的に吹っ飛ばされ、驚きに代わる。

「んー。知恵熱は、出てないみたいね」

 視界がぼやけるほど近くで、青い目が瞬く。

 大丈夫ね、という安堵の声とともに、額から離れた温もりが遠ざかった後で、ウィード・セルは漸く息を吸うことを己に許した。

「あん、あんた! ほんとっ、ばっかじゃねーの!?」

 そう叫びながら、自分の額――― 先ほど、彼女のそれと合わせられたばかりの額を、両手で庇うように押さえた。

 間近に迫った青い瞳を見て、あの朝の寝顔が蘇る。自分の顔が急激に紅潮したのが分かった。

「はぁ? なによ、いきなり。ケンカ売ろうってゆーの?」

 両腕の隙間から覗き見えるマリー・ベルは、少しだけ不機嫌そうに言いながら、床に屈んでウィード・セルが落してしまったカップを拾い上げた。幸い割れていなかったようで、零れた紅茶を拭き取るだけで済んだようだ。

 ……良かった、壊れてなくて。親切にも、帰りが遅くなった自分たちの為、わざわざ夕飯の用意をして待ってくれていたユマに申し訳な―――― じゃなく!

「まったく、失礼な男ね。ゾンビみたいな顔して弱ってるから、熱でもあるんじゃないかって心配してあげたのに」

 だからって、わざわざ額と額を合わせて測ることないだろう。

「ガキか、あんたは!」

「子供なのはそっちでしょう。急に怒るなんて変なの。わけわかんない」

「分かれよ! 察しろよ、そこは寧ろ!?」

「はいはい。それだけ大きな声が出せるなら大丈夫ね。明日も元気に働いて貰えそうで、ほーんと良かったわっ。うんと頑張りましょうね?」

 極上のにっこりを浴びせられたウィード・セルは、彼女を唸って睨み据えるだけに留めた。

 いつもなら、もう二言三言、この王女に嫌味を返してみせるのだ。

 ――― だが、今夜はしなかった。



 今日一日、職場で目にしていたお姫様。

 そこで初めて、今まで知らなかった彼女の「ひとつ」を見つけてしまったから。



「……明日も頑張ろうな」

 明かりを落した部屋の中、ぽつりと声を掛けてみると、衝立の向こうから返事とも寝言とも取れる、囁きに似た小さな声が枕元に届いた。

 どことなく、その声が自信なさげに聞こえたのは気のせいだ。

 あいつだって、疲れている――― だからだろうと自分に言い聞かせて、ウィード・セルは無理やりに両目を閉じた。




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