15. お針子魔法使いと、リンゴほっぺなお針子さん。
「ていうか、何で誰も俺の意思確認をしてくれないんだ」
世の中は不条理で出来ていると、真剣に思う。
働き口すら、自分の意思で選択出来ないなんて。――― 俺の自由は何処だ。
「はいはい。ぼやいてないで、さっさとこの生地に刺繍を入れてちょうだい。ダーリン?」
甘ったるい声が降るとともに、若草色の布地を目の前に広げられ、それよりやや薄いライム色の刺繍糸を、針山とともに無理やり握らされた。
「刺繍のパターンはおまかせよ? ご希望通り、好きなものを選ばせてあげる」
自由でしょ、と小首を傾げて微笑む王女を恨めしそうに睨んで、ウィード・セルは溜息を吐いた。
連れて来られた新しい職場は、マリー・ベルの服を買った店『ベル・ローズ』だった。
正確には、店舗裏に設けられた作業部屋。
「いつもは衣裳の制作部屋として使っているんですけどね。祭の準備期間だけ、一部屋分解放してるんです」
道具も沢山ありますしね、と笑いながら談話しつつも、カルツの手は休むことなく次々と布を裁断していく。
迷いなく入れられた鋏の断線は、文句なく美しい。
積み重ねられる衣裳の素材が色取り取りの山を為して行く様を目で追いながら、彼の技術力の高さと素早さに、ウィード・セルは感嘆の息を洩らした。
「すごいでしょ?」
隣に座っていたマルティナが、口元に手を当てて、こそこそと囁いてきた。
「カルツがね、一枚の布を手にしたら、あっと言う間にステキな洋服が出来ちゃうの。ほんと、魔法みたいよね」
「確かにすごいな」
同意すると、カルツの幼馴染だというこの少女は、えへへ、と頬を林檎色に染めて笑った。まるで自分が褒められたかのように喜んでいる彼女を見ていると、こちらも微笑ましい気持ちになる。
最近、縁遠かったホンワカ空気に癒され、ウィード・セルも思わずへらりと頬を緩めた。
今、彼女が着ているグレーに黒の縦縞が入った生地のドレスも、カルツの作だそうだ。緩く編んだ三つ編みを巻いた髪型のアクセントには、赤いベルベットのリボン。服のデザインも素晴らしいながら、それをさらり着こなしているマルティナもすごい。
「ごめん、ウィセル君。そっちの青い糸取って貰えないかな」
「ああ。この色でいいか?」
「うん、ありがと」
にこりと笑んだ口元には笑窪。
愛嬌一杯の笑顔は、のどかな田舎育ちの少女そのものなのに、なぜだろうと思う。
カルツもそうだが、この少女もこんな田舎には不釣り合いなほど垢抜け、洗練されている。二人とも取り立てて美形というわけでもないのに、目を引くのだ。
やはり、着こなしセンスの為せる技か。
王都育ちなはずの誰かさんにも見習って欲しいものだ、まったく。
「わー、ウィセル君。針早いのね」
ウィード・セルが刺繍し終えた布の量を見て、マルティナが目を見開いた。
「そうかな」
「うん、すごいよ! これなら早く終わるかも。助かるなーっ」
「いやあ、そんな」
「謙遜しなくてもいいじゃない。まぁ、カルツには劣っちゃうけど。でもすごいよ」
「……どうも」
「他の町や村から請け負ってる仕事も沢山あって大変なのに、こんなふうにお祭の衣裳作りも請け負ってるでしょ? もうてんてこ舞いなのよ。毎年のことだけどね」
「……あー。あれだけの腕だったら、注文も引っ切り無しだろうな」
「こんなに大忙しなのに、王都の貴族様から、舞踏会用のドレスをって頼まれたのを受けちゃったみたいだし。もう、少しは仕事を減らさなきゃ駄目って、フィルツさんとも叱ってるんだけどなー」
マルティナは空色の生地に刺繍を刺す手元を止めることなく、はふりと吐息をついた。同じく針を休めることなく、ウィード・セルも苦笑を返す。
「まあ、名が売れるっていうのは、デザイナーとして悪い話じゃないさ。その分、挑戦出来る世界も広がるんだから」
「あ、それカルツも言ってた。ウィセル君、ほんとにすごいのね、デザイナー心がそんなにも分かるなんて」
やっぱり男の子同士だからかなー、と首を捻ったマルティナに、ウィード・セルはもう一度苦く笑ってみせた。
そんな彼の方に、マルティナがさらに身を乗り出してくる。
「ついこの間もね、王都で行われた衣裳のデザイン大会で、大きな賞を貰ったのよ。大勢の偉い人に認められて、王家主催の表彰式では王妃様から表彰状まで賜ったんですって。直々に、手渡しでよ? うらやましいよねー。あたしも、パーティに行ってみたかったなぁ」
「ふぅん」
王都で、デザイン大会?
そんなものがあったなんて知らなかったと、ウィード・セルは布地に刺繍を刺しながら考える。まあ、ここ一カ月は演劇儀礼の準備や下見で、王都を空けることも多かったから仕方がない。
「で、どんな賞をもらったんだ?」
「『魔法使いで賞』、よっ」
「――― は?」
なんだ、そのふざけた名前の賞は。
訝しみながら視線を上げたウィード・セルに、瞳を一段ときらきら輝かせたマルティナがぐぐっと詰め寄った。
「ウィセルさん、もしかして知らないの?! この国の国民なのに? ダメよっ、ダメダメそんなんじゃ! 栄えあるこの賞を知らないなんて、非国民も甚だしいことこの上ないわっ!!」
そう興奮気味に嘆きつつ、少女は何処かしらから取り出した何かを、バンッ、と作業台に叩きつけた。
「な、なんだその紙……何? 『演劇儀礼・衣裳コンテスト』?」
「そうよっ。今この国で演じられてる〈銀の姫君と夜の魔法使い〉のことは、もちろん知ってるわよね?」
「ああ、それはまあ……」
知らないわけがない。当事者だから。
「これは、それに合わせて開催された衣裳デザイン大会のチラシ。カルツはこの『夜の魔法使い・衣裳部門』に応募して優勝したのよ。実際に儀礼で魔法使いを務める方が着るんだから、ほんとすっごいことでしょ?」
チラシ上の三番目に記された、部門項目覧――― 条件「この世の何者よりも悪そうで、腹の底から夜闇の如く真っ黒に見える衣裳であること」という文章を指差したマルティナに、ウィード・セルは口元を引き攣らせた。
思い出すのは、衣裳に目一杯縫い付けられた、いかにも罪人です、と云わんばかりの鎖たち。その衣裳を纏った自分の姿と、鏡を介して対面したときの情けなさ。
「あんにゃろー」
よくもよくも、俺にあんな皮肉り捲くった衣裳を。
恨み辛みに拳を震わせた魔法使いの少年だったが、マルティナは彼が感動してくれているのだと、素敵に勘違いしてくれたようだ。
「カルツ、ほんとに頑張ったよね。ずっと見てたから、あたしも嬉しいっ」
「……ほほう」
「あ、でも、私だって衣裳作りの手伝いはしたのよ? カルツが装飾のことで悩んでた時に、鎖付けたらお誂え向きじゃないって言ったら、採用してくれたんだから」
あれは、お前か!
と、思わず叫びかけたが、そこはなんとか踏み止まった。
代わりにジトリとした目で彼女を睨み据えてみたものの……。頬を赤くして、この上なく嬉しそうに笑んでいる少女を見ていると、怒りも萎えてしまう。
もういいや、と隣から正面に向き直り、新しい刺繍糸に手を伸ばしかけたところで、作業台を挟んだ向こう側に座るマリー・ベルと、視線がかち合った。
「うふふふふふふ。お口をそんなに動かす余裕があるなら、もっとたくさんお仕事を回してもいいってことかしらね。ダーリン?」
そう問うて溢された、甘く優しげな笑顔が怖い。
「おやおや、そうかい。じゃあ、こっちとこっちも任せちゃおうかなー」
続けて、陽気な声とともに手元に降って来たのは、薄紫とオレンジ色の布山。
ハッと横を見ると、いつの間にか横に立っていたカルツが、にっこりと笑みを象って言った。
「それにも、刺繍よろしくね。イケてるパターンで頼むよ、新人君?」
偽恋妻と糸目の狐デザイナー。
異様な威圧感を放出する彼らに囲まれながら、ウィード・セルは諦めに肩を落した。




