13. 金食い姫と、金のなる下僕。
「おーい、新入り! そろそろ休憩に入れ」
「はーい」
手拭いで首元の汗を拭き、作業をしていた櫓から下りると、ほらっという声とともに丸い果物が飛んできた。
わたわたと受け止めたウィード・セルをみて笑いながら、投げて寄こした男が笑う。
「それ、食え。汁が多いから喉が潤うぞ」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて礼を述べ、男に倣って木箱に腰かけた少年は、橙色の皮に歯を立てて頬張った。溢れた果汁が、乾いた喉に沁みるほど美味い。
口元から零れた雫を拭って、生き返ったー、とばかりに一息吐いていると、
「それにしても、お前やるなぁ。ウィセルが入ってからこっち、作業が捗ってほんとに大助かりだよ」
「はあ、どうも」
「お前、魔導士なんだろ? やっぱり、魔術って便利なんだな。俺もちょっとくらい齧っとけば良かったよ」
羨ましいよと向けられた邪気のない笑顔に、ウィード・セルは曖昧な笑みを返した。
+ + + + + + +
「重大なお話があります」
テーブルに肘を付きつつ顎の下で手の平を組んだ姿勢で、王女殿下が厳かにそう切り出したのは、村に滞在して二日目のこと。
その日も朝から、骨牌製作者である魔術師を探すべく聞き込みを行っていたのだが、昼時になり、お腹が空いたと王女が文句を垂れ始めたため、一軒のカフェに入った。
数週後にあるという祭のためか、いつもより人が多いらしく、半屋外のテラス席に通されたのは店に入って30分程経った頃だった。
やれやれと思いながら日替わりランチを二人分注文した直後、マリー・ベルがいつになく真剣な声で話があると告げた。
「いい? 落ち着いて聞くのよ」
「何だよ」
気紛れな春の陽気の中、休みなく歩き回ったせいで噴いた汗を拭いながら、ウィード・セルは気の無い返事をした。
いつもなら、真面目に聞けと怒り散らすはず。
だが今日の姫君は、そんな彼の態度も意に介さず、深刻かつ緊迫した顔つきでこう告げた。
「お金が、ありません」
「…………」
二人の間に沈黙が落ちる。
心地よい日差しの下、屋根とテラスを額にして切り取った、まるで絵画のような田舎風景。その中を、二羽の小鳥が鳴き交いながら飛んで行った。
だんだんと遠ざかっている、まるで音楽かのようなその鳴き声を無意識に耳で追いながら、ウィード・セルは目の前に置かれた木製のコップを見下ろし、手の平で包んだ。
浮かべられた氷が溶けて、容器の中の水を揺らす。それをそのまま持ち上げて一口含むと、爽やかな柑橘の香がスッと抜けたので、おっと驚く。
きっと、氷に果汁が垂らしてあるのだ。ド田舎村のカフェにしては、なかなかニクイ演出じゃないかと、少し感動した。
「……ちょっと、なに呑気に水なんか飲んでるのよ」
「あ?」
「わたしが今言ったこと、ちゃんと理解した?」
「あー、もちろん」
気の抜けたソーダのような返事でもって、しかももう一口と水を口に運んだ魔法使い。
目くじらを立てたお姫様は、やんごとない淑やかなレディとは遥かにかけ離れた迫力で、丸テーブルに拳を落した。
「だったら、どうしてそんなに悠長に構えてるのよっ。無いのよ、無くなっちゃったのよ、お金が!」
「まあ、そうだろうな」
あれだけ景気良く使ったんだから尽きもするだろうと、ウィード・セルは遠い目をした。
思い起こすのは、初日の洋服店での買い物。
服と靴を買ってやったにも関わらず、髪飾りや化粧品まで要求してきたのだ、この女は。まあ、そこは断固拒否して、自分で出せたのだが……どうやら、その結果がこれらしい。
「逃走中に財布が空だなんて、大変だな」
「だから、少しは焦りなさいって言ってるのよ」
その突っ込みに、ウィード・セルは怪訝な顔をした。
「どうして俺が焦んなきゃいけないんだよ。だって、無くなったのってあんたの金だろ? 俺のじゃないから、関係ないし」
「はあ? え、待って。じゃあ何。あなた、まだお金残ってるの? 昨日の洋服代であんなに使ったのに」
「まぁな」
彼はごく当然だという口調で頷くと、少しだらしなく椅子の背凭れに凭れて、残りの水を仰いだ。
「もともと道中の必要経費として、いくらかの金は事前に渡されてたからな。だから、当分の生活費や滞在費は、それで賄う。ちなみに言っとくけど、あの洋服代は俺のポケット・マネーからだぞ。しっかり恩に着て、脳みそに刷り込んどけよ」
“お姫様”と書いて“金食い虫”と読む生き物にビシッと指先を突き向け、ウィード・セルはどや顔でにやりと笑った。
せっかく売った恩なのだから、買い手が売られたことをきちんと自覚するよう努めねば。
感謝されるつもり満々で、心持ちふん反り返った彼だったが、それとは裏腹に、金食い虫の考えは少しばかり――― いや、激しく斜めを走った。
お姫様の美々しきご尊顔が、謝意ではなく欲心に輝き始める。
「なぁんだ、良かったー。じゃあ、ボロ雑巾みたいにならなくていいってことね」
「は? 雑巾?」
「そうねー、まあ馬車馬程度でいいかしら? それで何とかなるわね、たぶん」
「何だよ。何の話だよ、それ」
「え、働く話に決まってるでしょ。もちろん」
恐るおそる掛けられた問いに、王女は首を横に傾げてあっけらかんと答えた。
――― 働く?
「なにがどうしてそうなるんだよ!」
ガタリと椅子を揺らして立ち上がった魔法使いに見降ろされながら、マリー・ベルはツヤツヤの頬をぷくっと膨らませた。
「だって、お金ないんだもん」
「だから、しばらくの生活費は十分あるからって―――」
「それはそれよ」
「他に金の使い道なんか無いだろうが!」
「もうっ、察しが悪いひとね。つまり、わたしのお金が無いから、その分を一緒に稼ぎましょって言ってるのよ」
「ほ、ほほほほほざくなぁああぁぁっ」
響き渡った怒声。テラスでパン屑を啄んでいた小鳥たちが、一斉に飛び立った。
ぜーはーと肩で息を繰り返すウィード・セルを睨み上げながら、マリー・ベルは耳をふさいだ両手を外して唇を尖らせた。
「常々思ってたんだけど、あなた、頻繁に叫ぶ癖をどうにかした方がいいわよ?」
「誰が叫ばせてると思ってんだよっ、だ・れ・が! 大体、これが叫ばずにいられいでか」
「さーあ、何の仕事にしようかしら。楽しみーっ」
「聞けっ」
「まあ、いいからいいかげん座りなさいよ。目立っちゃってるわよ?」
はっと気付いて周りを見れば、確かに。店に席を取っている他の客だけでなく道行く村人たちまでもが、なんだなんだ痴話喧嘩かと、興味深々といった様子で彼ら二人に視線を注いでいる。
聞き込みをしていて分かったのだが、どうやら王女が宿屋夫婦に吹き込んだ『身分差情熱駆け落ちカップル説』は、すでに村中の人間の知るところとなっているらしい。おかげで、行く先々で、やたらと温かい持て成しや冷やかしを受ける羽目に陥った。
これ以上、村人の娯楽に貢献させられるのは勘弁して欲しい。
いきり立つウィード・セルを座らせることに成功したマリー・ベルは、傾けたカップの中の氷を鳴らしながら、あのね、と続ける。
「いい? お金って言うのはね、とても大切なものなの。例え1ランのみでも、お金はお金。たった一枚の硬貨でも、わたしたちの生命を繋ぐ日々の糧と交換するには必要なものだわ」
「ああ、そうだな。あんたが言うと、根こそぎ説得性を失うけど」
「1ランを嗤うものは、1ランに泣く。これは太古から人類に語り継がれてきた真理。事実、屋台のおじさんは10ランのイカ焼きを9ランでは譲ってくれないわ」
「……イカ?」
それに、屋台?
「焼き鳥屋さんも、揚げパン屋さんも。林檎飴屋さんだって、きっと―――」
「ちょっと待て。なんだよ、そのジャンク・フード屋の羅列は」
「あら。最初の夜に村長さんがおっしゃってたじゃない? もうすぐ、この村でお祭があるって」
「……おい。まさかのまさかだとは思うが、金が欲しいっていうのは」
「お祭に出掛けるなんて、ものすごく久し振りだわー。楽しみねっ」
「目一杯遊ぶ気満々かーっ!」
最早、悲鳴に近いその叫びに対し、マリー・ベルは当然とばかりに胸を張った。
「お祭は年にたった一度だけの、この村の人たちにとってすごく大切なイベントなのよ? お世話になった村長さんやユマさんたちも是非にって誘ってくださったわ。ご招待を受けないなんて、マナー違反よ?」
「あんた、本来の目的忘れかけてやしないか? 俺の呪いはどうなるんだよ。ばっちり呪われたまま祭で浮かれるなんて有り得ないだろうがっ!」
「じゃあ、あなたは事例第1号になるのね。おめでとう」
「めでたくさせるな」
きゃあ、ステキっ! と棒読みで讃えつつ拍手まで送ってきた悪徳王女の前で、哀れな下僕は黒い癖毛を掻き回した。
それを傍目にしつつもどうする気もないマリー・ベルは、通りすがりのウエイトレスに笑顔で水のお代わりを要求し終えたのち、メニュー表でペシリと彼の頭を叩いてくる。
「ウダウダ言うの禁止。いい? よく考えなさいよ。闇雲に村中の人間に骨牌の魔導士のことを聞いて回るよりも、仕事しながら知り合いを作って、その人の知り合いからまた情報を得る方が、労力が少なくて済むでしょ? これから祭の準備で、みんな手一杯になり始めたら、ただの旅人に過ぎないわたしたちの話を、みんなまともに聞いてくれなくなっちゃうでしょうしね」
「あ」
「もうちょっと頭使いなさいよ、まったく」
ふう、と溜息を吐く彼女の言葉に、ウィード・セルは、なるほど、と納得した。確かに、一理ある。
――― だが。
「だけどお前、それでも給料は全部せしめる気だろ?」
そう言いつつ、胡乱な目で自分を見据えてきた魔法使いに向けて、
「屋台、どこから攻めるかちゃんと計画立てなきゃね」
うきうきとした様子で、マリー・ベルはそこはかとなく可愛らしく微笑った。
+ + + + + + +
などという、遣り取りの末。
あーだこーだで、現在のこの職場――― 祭の会場設営現場に送り込まれて早3日。
フィンツの店で知り合ったマルティナという娘に紹介されたこの職場に、ウィード・セルは宿屋から毎日通っていた。
「なんで俺が肉体労働で、あいつが装飾作りなんだよ」
広場中央に建てられた櫓の上。ぶつくさと文句を垂れながらも、手元は木材と鋼の接合部分に素早く魔術式を組み込み、耐久性を上げる作業を行う。上手く術が発動したことを確認してから、次の接合に移ることも忘れてはいけない。
主に中央広場の設営に回されているウィード・セルは、魔術式を自分で作成することが出来るという能力から、村人たちにとてもこき使われ――― いや、重宝されていた。
通常、こういう建設現場では、あちらこちらで大量の骨牌が消費されるものなので、経費に毎年頭を悩ましている彼らが、ここぞとばかりに仕事を回してくるのも無理ない。
(でも、こんなに集中的に、同じ魔術を何回も使ったのは生まれて初めてだよな、そういや)
というか、魔導士として必要とされたこと自体が初めてだ。
国主催の演劇儀礼で、〈夜の魔法使い〉の役を振られた人間なのに、おかしな話だが。
「ウィセル~、それが終わったら、次こっちも頼む!」
「あ、はーい。ちょっと待ってくださーい!」
息を吐く間もなく、目が回るほど忙しい。
でも、目的は何であれ、こういうのも悪くはない。
自分を呼ぶ声の方に向かって走りながら、ウィード・セルは何となくそう思った。




