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銀の姫君と蒼の魔法使い  作者: 苫古。
銀の姫君と蒼の魔法使い
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11. 薔薇姫と、薔薇色の鐘。

 丸い青々とした葉を茂らせた大きなレモの木の下に、その店はあった。

 桃色の板葺屋根が目印の小ぢんまりとした木造店舗は、田舎独特の野暮ったさをほんの少し漂わせながらも、それでも周りの店よりは少しだけ都会の洗練された雰囲気を纏っているような、まあ、どっちつかずで曖昧な感じの建物だった。

 軒下に掛る黒鋼製の透かし看板には、『洋服店 ベル・ローズ』の飾り文字と薔薇の紋様。

 このポルカ村唯一の洋服店である。

「フィンツさん!」

 カランと鳴ったドア・ベルの音色とともに、春一番に吹き荒ぶ突風のような勢いで、一人の娘が店内に飛び込んで来た。

「おや」

 丁度、商品棚の髪飾りを磨いていた初老の男店主は、さっそく来たなと思いつつ、駆け寄って来た彼女に笑顔を向けて出迎える。

「いらっしゃいマティルナ」

「ご、ごんにちは」

 こんな森の中の村には似つかわしくない、洒落た氷菓黄色シャーベット・イエローのドレスを着込んだ娘は、全速力でここまでの道のりを走ってでも来たのか、息が整わず言葉を上手く出すことすら困難であるらしい。

 やれやれと、来客用の紅茶カップに水を注いだフィンツは、それを彼女に手渡した。

 仕草だけで礼を取りつつ、急いでカップの中身を飲み干したマルティナは、ぷはー、と息を吐き、カップを握ったままの手をそのまま台に振り下ろす。拳を打ちつけた衝撃で、カウンターに乗せられていたレジスターや文房具、布見本集などが音を立てて揺れた。

「ねぇ、フィンツさん! カルツが王都から帰って来てるって本当!?」

 開口一番、興奮で鼻息も荒く、カウンターに齧りつくようにして尋ねてきた娘の姿に思わず吹き出してしまいそうになりなるのを堪えながら、フィンツは努めて穏やかな声で応えた。

「ああ、本当だよ」

「うそッ。じゃあ、クレモナのおばさんが言ってたのはホントだったのね!」

 マルティナは、白いレースの手袋を嵌めた両手を胸の前で合わせると、頭の上で緩く御団子に纏めた髪と白いリボンを弾ませながら、カウンター越しに身を乗り出してくる。

 大きな明るい茶色の瞳がきらきら輝きながら、口髭小太りなフィンツの丸い姿を映し込んだ。

「ねぇ、一体いつ着いたの? 外国の有名なデザイナーたちが集まるパーティに出てたんでしょ? いいわよねぇ、花の都ッ!! 一度でいいから行ってみたいなぁ。カルツってば、あたしのことも助手ってことにでもして連れて行ってくれれば良かったのに」

「こらこら。そんなにはしゃいでないで、こっちの椅子に座りなさい。ああほら、あんまり台に凭れ過ぎると、ドレスの裾から足が覗いてしまうよ? 年頃の娘さんなんだから気を付けなきゃね」

「だって~」

「だってじゃないだろう、お嬢さん? さ、カルツが土産に買ってきた紅茶を淹れてあげるから」

「はぁいッ」

 めったに味わえない王都土産の茶が飲めると分かるやいなや、嬉しげにいそいそと来客用の椅子に腰かけ始めた息子の幼馴染。

 十九の娘にしては幼過ぎると彼女の祖母が嘆いていることは知っているが、それでもこの娘の無邪気さが気に入っているフィンツは、今日もいつものように取っておきの茶葉を彼女に振る舞うのだった。



「おいしーっ、さすが王都の品ね。花で出来たお茶なんて、とっても素敵~」

 カップの中の薔薇色をうっとりと見つめたマルティナが、丸い頬を赤く染めて、はふぅと息を息を吐いた。

「銀月茶っていうらしいよ。いま、都で期間限定発売の人気商品なんだってさ」

「“銀月”? あ、そっか。儀礼の年だもんね。じゃあ、もう次に王都へ出掛ける機会があっても買えないんだー」

 残念~、と眉を歪めたマルティナに同意しながら、フィンツは花の香漂う紅茶をゆっくりと口の中で味わった。

 すっかり定期行事として国民に認識されてしまっている演劇儀礼『銀の姫君と夜の魔法使い』は、商人や職人にとって格好のイベントだ。儀礼の時期になると、それに乗りかかった商品や商売が爆発的に増える。そして、売れる。

 国の大事に何を呑気な、と上流社会に位置する人間たちが呆れ見下げる風習だが、それでも、それらがもたらす経済効果は決して過小に評価されるべきものではなかった。

 今回、フィンツの息子・ドレス職人のカルツが王都に招かれていたのも、その一端の様なもので……。

「でも、やっぱりくやしいっ。いいなぁ、カルツ」

 王都に連れて行ってもらえなかったことが未だに口惜しいらしいマルティナが、カップの縁を指で辿りながら頬を膨らませた。

「うーん、今回ばかりは仕方がないなぁ。パーティの招待状は、受賞者本人にしか贈られなかったみたいだからね」

「それはわかってるの。でも、理性ではちゃんと理解してても、燃えたぎる情熱がそれを赦さないことだって人生にはあるのっ」

「人生って……君まだ十九でしょ」

「あーもーっ! くやしぃッ!! あたしだって、銀月姫様に一目でいいからお目にかかりたかったのにッ」

「ああ、それか。マルティナはほんとにあのお姫様が大好きだね」

「うんっ。だって憧れるじゃない? とーっても綺麗で優しくて。どんな方なのかなぁ。きっと夢みたいに素敵な方なんだろうなぁ」

「そうかな。銀月姫だからって、童話通りの美少女ってこともないんじゃないかい? 儀礼の役に、たまたま選ばれただけの王女だろう?」

「なに言ってるのよ、フィンツさん! さては、月刊『王室(ロイヤル)倶楽部(クラブ)』を読んでないのね? 第19王女のマリー・ベル様といえば、精霊姫と謳われた三百年前の初代・銀月姫様の再来だって騒がれるほどの超絶美少女なのよ!? 立っても座っても歩いても銀の花的な、パーフェクトな至高の姫君なのよ!!」

「お、落ち着いてマルティナ。唾が飛んでるよ」

「まだ成人前だから公の場には出ていらっしゃらないけど、あの方の姿絵ピンナップが付録になった号は、即日完売になっちゃうんだから。まあ、銀月姫ファンクラブのゴールデン会員になってるあたしは、買い逃さないように定期購読してるから問題ないんだけど」

「ああ、毎月ニマニマしながら本屋に取りに行ってるっていう包みはそれ……」

「なのに、なのにカルツってば! あたしがこぉ――― んなにマリー・ベル様を敬愛してるってしってるクセに、あっさり置いて行っちゃうなんて酷い、酷過ぎるわ! しかも、騙し討ちにするような真似してっ。 あれが大切な幼馴染に対する仕打ち!?」

 王都行きの街道馬車が夜明け前の出発だっただけで、別に息子は寝坊した彼女を騙して置いて行こうと企んだわけではない。そうと知ってはいたが、フィンツは懸命にも口にしなかった。

「で、カルツはどこなの、フィンツさん!」

 隠すと為にならないですよ、と据わった目でカウンター越しに詰め寄られる。

「ああ、あの子は今―――」

 うら若き乙女の異様な迫力に押され、フィンツが息子の身を売り渡そうとした、その時。

「こんにちはー」

 くすんだ黄金色のベルが、鈍い金音(かねいろ)を奏でた。

 その音が天の助けの歌声に聞こえたフィンツは、腰かけていた三脚椅子をガタリと鳴らして立ち上がった。

「いらっしゃいませ!」

 桃色を基調とした、丸いステンド・グラスが嵌め込まれた扉を開いて入って来たのは、息子のカルツより幾つか年下に見える、黒髪の少年だった。

 見ない顔だ。もうすぐ行われる〈精霊祭〉目当てに遊びに来た旅人だろうか?

「あの、ちょっと聞きたいんだけど。表の看板にオーダーメイドの店って書いてあるけど、ここって既製品も扱ってる?」

〈救いの使者〉ことお客様らしきその少年は、ドアノブを持ったまま半開きの扉の向こうを指差した。

 そこには確かに、この店の売り文句であるオーダーメイドの文字を示す看板が。

 彼の指先を辿ってそちらの方を見やると、ステンド・グラスを通して、ドアの向こう側にもう一人分の影があることに気付いた。背が低く、長い髪を垂らしたままでいるようだから、連れは女性だろうかとフィンツはあたりを付ける。

「はいはい、もちろんですとも! 洋服だけでなく、靴やアクセサリーに至るまで、幅広く取り扱わせて頂いております」

「そっか、良かった。じゃあ、見せてもらえるかな」

 ほっとした様子で、少年は表情を緩めた。

 どことなく年齢に似つかわしくない鋭利な顔立ちをしているが、笑顔になると年相応に見える。

「かしこまりました。本当に、ほんとーにようこそいらっしゃいませ!」

「あ、ああ」

「お連れ様もどうぞお入りください。商品を用意させて頂きますので、」

「だってさ。ほら、あんたもさっさと入れよ」

 少年が顔だけ動かして外を振り返ると、

「うるさいわね。わかってるわよ」

 ドアの陰で応えた、透き通るような鈴鐘の声。

「おじゃましまーす。わぁ、可愛いお店ね」

 入ってすぐ、歓声を上げて笑顔を弾けさせたその少女の姿に、フィンツは目を見張った。

 小さな頃からこの店に入り浸っているだけあって、客が入ってきてからは大人しくしていたマルティナからも、大きな感嘆の吐息が漏れ聞こえた。

 そこにあったのは、生まれてこの方目にしたことの無い、神懸かりなまでの美貌。

「初めまして」

 こちらに向けられた小さな顔が、花の笑みを描く。

 すらりと細い腕を伸ばし、軽くスカートを手にした型で腰を下げた彼女に、フィンツもマルティナも慌ててぎこちない礼を返した。

(これはまた、すごいお客がきたもんだ)

 フィンツは、何とか笑顔を保ちながらも、内心冷や汗を掻く。

 目が覚めるような美しさ、とはよく言うが、この娘はまさにそれだった。

 春を閉じ込めたように烟る空色の瞳も、花弁のように色付いた唇も、まるで絶対的な存在が完璧を目指して作り上げた芸術品のように美麗だ。

 洋服作りを生業としている者の目から見ても、頭と肢体のバランスも絶妙で、ぜひとも衣裳モデルになって欲しいと頼みたいくらいだ。息子あたりなら、金を払ってでもと拝み倒しかねない。

 しかし、何といっても彼女が持ち合わせる要素の中で特筆すべきは、その身体に添うように流れた、煌めく髪だろう。

 まるで、極上の紅玉(ルビー)を粉にして溶かし込んだかのような、紅。

 緩やかに波打つ滑らかな髪は、一本一本が繊細な宝石細工であるかの如く、店内のシャンデリアの光を綺羅やかに弾いていた。

 ……こんな色は見たことがない。

 人間でなく、実は森の精霊――― 薔薇の花の精霊だと云われた方が、まだ頷ける。

「こちらはウィセルで、わたしはマリカ。よろしくお願いしますね、ご店主さん」

 自らを“マリカ”と名乗った薔薇姫が、どこまでも美しく微笑む。

 引き攣り掛けた頬を叱咤しつつ、必死で営業スマイルを張り付けたフィンツは、注文の品を近所の家へ配達しに出ている息子に向けて、声なきSOSを叫んだ。


(――― なあ、カルツ? 三十分くらいで、新しいドレスを仕立てたり出来ないかい?)


 これからこの類稀なき美少女の前で、果敢にも村娘向きの既製服を広げてみせなければならない己の不運を嘆き、フィンツは心の内で滂沱の涙を流した。

 



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