10. ベーコンは当分見たくない魔法使いと、新婚夫婦。
「あらぁ、ウィセル君。そのお顔どーしたのぉ?」
「……………なんでもないです。気にしないでください」
「でもぉ」
「いいじゃないか、ユア。若いんだし、きっといろいろあるんだよ。夜にはさ」
「あ、そーいうことなのぉ? いやーん、わたしったら。ごめんなさいねぇ、野暮なこと聞いちゃってぇ。もー、はずかしーよぉ」
「まったく、ユマは天然さんだな。ま、そこが君の可愛いところなんだけどさ」
「やーめーてーよぉっ。もう、お客様の前なのよぉ? キリルのばかばか」
「ホントのことなんだから、仕方がないだろう?」
「…………」
あははうふふと朝っぱらから繰り広げられる、甘ったるい夫婦の会話。
まだ新婚だというこの宿屋の若夫婦のスキンシップに中てられながら、ウィード・セルは頬を引き攣らせた。
まだ並びきってもいない朝食を前に、御馳走さまでしたと言いたくなる。
「はい、おまちどぉさまあ~っ。ユマ特製の愛情モーニングでぇすっ。モリモリたーっぷり食べてねぇ?」
「そうだぞ、ウィセル君。遠慮しないで、おかわりもしな」
「あ、ありがとうございます」
礼を言ったウィード・セルは、目の前に置かれた更にフォークを伸ばした。
追加を要求するまでもなく、すでに過剰なまでにたっぷりと盛り付けられた皿の上の料理たち。カリカリに焼けたベーコンや半熟卵、新鮮な野菜や果物が目にも楽しく実に美味そうなのだが、いかんせん量が多い。
きっと、おかわりにまでは辿りつけないだろうなと考えていると、
「うふふ~、男の子っていいわぁ。気持ちがいいほど元気に食べて貰えると、作り手としても幸せよっ」
「そうだな。じゃあ、僕たちの最初の子供は男の子にしようか」
「いやん、朝からそんなこと言っちゃあっ。はずかしい~ッ! でもでもぉ、それならさっそく男の子が出来た時の為の練習しなくちゃかしらぁっ。ウィセル君のおかわり、いーっぱい作ってきちゃおうかなぁ」
「うん、そうした方がいいかもな。君は本当に気が利くね。さすが、僕の自慢の奥さんだ」
「もうっ、キリルってばぁ」
まかせてぇー、とハートマークを飛ばしながら調理場に消えて行った新妻と、そのハートマークをキャッチしながら見送る夫。
彼らの姿を目の前に、おかわりが義務化したことを察したウィード・セルは、アルダを部屋に残してきたことを激しく後悔した。
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「そういえばぁ、マリカちゃん遅いんじゃないかしらぁ~。お湯加減、大丈夫だったらいいんだけどぉ」
「そうだな、風邪引くといけないし」
「ちょっと見に言った方がいいかしらぁ? ウィセル君、お願い出来る?」
「出来るわけないでしょう」
なんとか朝食を平らげ終え、満腹で苦しんでいたウィード・セルは冷静に断りを入れた。
「あいつ風呂に入ってるんでしょう? 覗きに行ったりしたら、殺されちゃいますよ」
これ以上、顔の傷を増やされたら適わない。
アルダに付けられた引っかき傷を撫でながら、それでもこれに関しては自業自得だと、独り胸の内で苦々しい唸り声を零した。同じ轍は踏まない、これ鉄則。
「ていうかぁ、ウィセル君は本当にいいのぉ? お風呂、入ればいいのにぃ」
「そうだよ。盥湯だけじゃ、ゆっくり出来なかっただろう」
「いいんですよ俺は。むしろありがとうございました、こんな朝から湯を用意してくださって」
結局、昨夜は洋服を買うことも、風呂に入ることも出来なかった。あんな時間だったのだ、仕方がない。
それでもこの夫婦の好意のおかげで、湯を使って身を清めることも出来たし、清潔な服だって貸して貰えた。感謝してもしきれない。
「ああ、そんなこと気にしなくていいんだよ。君たちは大切なお客様なんだからさ。それに、困った時にはお互いさまだろ?」
「そうよぉっ。大好きな人の前では綺麗にしていたいっていう乙女心、わたしもすっごく分かるものぉ! マリカちゃんくらいのお年頃の女の子なら、尚更だものねぇ」
「は?」
「情熱的だよなぁ、その歳でさ。ちょっとだけ羨ましいよ」
「ロマンティックだわあぁっ! 素敵な響きよねぇ、『か・け・お・ち』ってぇ~」
きゃーっ、と上がった黄色い声に鼓膜を刺されながら、ウィード・セルは傾きかけた。
かけ、おち?
かけおちって……なんだっけ?
「名家のお嬢さまだったマリカちゃんに、出入り商人の弟子だったウィセル君が一目惚れしたんだろう? 身分が違うからって断られても必死で口説き続けるなんて、よっぽど彼女のことが好きなんだな」
「で、最期は無理やりお嫁に出されそうになったマリカちゃんの部屋に忍び込んでぇ、バルコニーでの愛の告白ぅ? さらには月夜の道を二人で愛の逃避行だなんてぇ~。なんかなんかぁ、恋愛小説に出てくる主人公たちみたいじゃなぁい? 素敵過ぎて胸キュンよぉう」
「あ、え? 誰がそんな……」
こっ恥ずかしいことをするもんか。
「駆け落ちかぁ。僕らも結婚前に一度やってみれば良かったな」
「いやぁんっ。ウチのパパもキリルのお姉さまも、私たちのこと大賛成でお祝いしてくれてたものねぇ。駆け落ちするなんて素敵な発想考え付きもしなかったからぁ、わたしちょっぴり残念~」
「じゃあ、次に生まれ変わってもう一度結婚する時には、僕と駆け落ちしてくれるかい?」
「きゃあああああああんっ!! するわ、誓うわぁっ! わたし、キリルとだったら何度でも何処へでも一緒に行くわぁっ」
「嬉しいよ、ユマ。約束だからね」
「キリルぅ、愛してるぅ~ッ!」
「――― あのうっ!」
テーブルを叩いて勢いよく立ち上がることで、ウィード・セルはバカップル夫婦の際限ない睦言を絶つことにようやく成功した。
妙にいきり立った彼の様子に、二人がパチパチと目を瞬かせるのを見て、更にイライラが湧き上がる。
誰がそんなデマを!
と、まぁ、答えは分かり切っているけれど、叫ばずにはいられなくなったその時。
「ダーリンッ、お待たせっ」
ドアが開かれる音ともに、可愛らしく甘えるような澄んだ声が部屋に響き渡った。
来やがった。
なんて大嘘を他人に吹き込むんだと一言物申すべく、ウィード・セルは食堂の入口からこちらにやって来る人物に怒りの形相を向けたのだが……。
視線の先に立つ少女に向かって、彼は間抜けな問いを放った。
「あんた――― 誰?」




