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5話目


 朝食を済ませた後の自由な時間の中で依頼とは別に執筆中の作品の設定を頭の中で拵えながら、猫のように暖炉に一番近いソファの上で丸まったユイを眺める。

 その髪は白く透けている。よくよく見ると肌も白磁のように白い。

「おい」

 眠っているようにも見えるユイに声を掛ける。

 ユイは起きていたらしく、体を起こさずに顔だけを俺に向けた。

「病気か?」

「はい?」

 言葉が足らなかったらしい。

「色が白い」

 色素欠乏症。

「あぁ。生まれつきです」

 ユイはそれだけ言うと再びソファの上で丸まった。

 どうやら機嫌が悪いらしい。

 昨日の事をいまだ引き摺っているのだろうか。許された事に憤るほどに律儀な人間は珍しい。

 見る限り裕福な環境で育った良家の娘といった感じだが、そういった子供の多くが持つわがままな面は未だ見られない。自分をきちんと律する事のできる大人びた、あるいは大人ぶった娘といった印象を持つことができる。

 そんな印象だったが、実のところ気が強いだけなのかもしれない。

 丸まったユイの手首には昨日渡した土産を覗くことができた。

 ユイは追っ手に追われているという事だったが、追っ手は何者だろうか。

 まさか人外という訳でもあるまい。ここは現実だ。形而下の物しか存在しえない。ファンタジーは創作物の中だけで十分だ。

 まず追っ手云々のことを考える前に娘がたった一人で俺のような男を頼っているという事実を疑わなければならない。

 本当に追っ手などという物が存在するのか、ユイの両親は何をしているのか、現実に付随する筈の問題を挙げればきりがない。

 こんなにも長く夢が続く事は有り得ないと考えながらも、ユイの存在が非現実的なものに感じてしまう。

 夢か現かを知覚できないこの感覚を矯正しなければならない。

 ふとユイが俺の現実であることを示す指針だとか決めた事を思い出した。

 そして思い直す。ユイの存在は非現実的なものなのではなく非日常的なものであると。

 やはりここが現実だ。

 そして最初に浮かべた問題を思い出す。

 追っ手が何者であるのか、ユイは何故追われているのか。

 問題の事を考えるのを先延ばしにすることはもう止めよう。俺にとって現実で起こる事象はいつだって唐突なのだから。

 追っ手について、身元についてユイに尋ねようと息を吸い込んだ矢先、ベルの音が鳴り響いた。

 ユイは俺の顔を窺う。

「出ないんですか?」

 客が来れば出迎える。当然の事だ。

「出る」

 全く頭に無かった急な来客はやはり現実のものだ。

 少しだけ、現実に苛立った。


 玄関の扉を開けると知らない男と馬車に出迎えられた。

 柔和な顔立ちをした男の鼻の下では、鼻水が凍っていた。

「どちら様でしょうか」

 必死に頬の笑みを隠しながら、至って真顔で尋ねる。

「トールス新聞社の者です」

 どうやら怪しい人物ではないようだ。

「中へどうぞ」

 外は立ち話ができるような環境じゃない。暖炉のある部屋へ通すことにした。


「有望な作家の生活環境を把握しろとのお達しでして。またご相談が一つ」

 応接間となったリビングのソファに座るなり、男はそう切り出した。

「はあ……」

 俺は胡乱な顔を男に向ける。

「貴方の書く物が好評を博していまして、よければこのような郊外ではなく、街の方でお住まいになって頂けないかと社の上層の者が。またこの度、本の出版部署を開く事になりまして貴方に専属作家になっていただけないかと。もし了承して頂けるのであれば街での家賃と期間契約料を」

 男は滔々と言葉を発しながら自然な素振りで数枚の用紙を鞄から取り出す。

 このような話は頻繁にあるものなのか世間知らずの俺が知っている訳が無い。

 旨い話はまず疑うに限る。

「そういったお話を頂ける事は大変に喜ばしく思うのですが、こういったお話は私以外の人間にも?」

 ユイは気を利かせて台所で茶の用意をしている。俺が街で住むことになったらユイはどうするのだろうか。

「勿論、貴方以外の作家様にもお声掛けしてはいますが、そう人数は多くありません。両の手の指で数えきる程度で」

 トールス新聞社は最近文化系方面で著しく勢力を伸ばしているトールスグループの傘下にある。世間的な信用は十分にある筈だ。

 何にしろ急な話だ。飛び付きたくなる様な話だが、俺自身勘案しなければならないことは多い。それにユイと話し合うべき問題でもある。

「あの、お茶です」

 盆に二つのカップを載せたユイが俺の横に立ち、カップをテーブルに置く。

「ど、どうも」

 男の声が揺らいだ。

 俺はユイを見た瞬間の男の挙動を気にした。男が一人で住んでいると聞いていた家に少女が居たから驚いたのかもしれない。

「失礼ですが、あの子は?」

 仕事は終えたと自室を目指して廊下に消えたユイの背を見送りながら男が尋ねる。

「親戚の子を預かっていまして。それよりも返事は急いだほうが?」

「返事は急ぎません。今度の原稿の締め切り時にでも」

 男はそう言うと立ち上がり、急ぐかのようにして我が家から去っていった。 

「まさかな」

 まさかトールスが追っ手ということはあるまい。

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