ドジなピエロ
昔書いた小説に色々加筆していたら長くなってしまいました。時間のある人向けです。
目を覚ますと、私は天蓋付きのベッドに横たわっていた。今まで私が使っていたベッドには天蓋はなかったし、布団も枕もより上質なものが使われているのがわかる。ああ、着いたのだなと寝起きの頭でも理解できた。
上半身を起こして辺りを見回す。見慣れない窓の外の景色と見慣れない部屋の内装、そして見慣れない椅子に座っている見慣れた彼女の姿が見えた。
「リズ様、お目覚めですか?」
柔らかく微笑んだ彼女の名前はクロエ。私と一番年の近いメイドであり私が一番心を許せる友人だ。
「喉がカラカラだわ・・・。ごめん、水を持ってきてくれる?」
「かしこまりました」
クロエは立ち上がり部屋を出ていく。私はベッドの上に座ったまま、もう一度窓の外を見た。
一番目立つのは扇のように広がる大規模な市場だ。人の往来が絶えずとても賑やかそうである。その奥には家や教会が立ち並んでいた。
しかし海は見えなかった。ここは国の中心部であるから当たり前ではあるのかもしれない。住むことを家族だけが許されるあの無駄に広い家に深い思い入れがある訳ではないけれど部屋のバルコニーから見えるあの海は大好きだった。それが少し寂しかった。
「失礼します」
クロエが水を持って戻ってきた。私はベッドから降り、用意されていた厚手のスリッパに履き替え、先程クロエが座っていた椅子に座った。
「クロエ、今何時かわかる?」
私は水を一口だけ飲んで尋ねた。
「十一時二十分でございます。ご安心ください、今から支度をすれば昼食会に間に合うでしょう」
「よかった。あれに遅刻するわけにはいかないからね」
私はもう一口水を飲むと鏡台の前に座る。クロエが寝癖のついた髪にクシを通してくれた。それから予め用意していた、これからの暮らしのために調達したドレスに着替える。ドレスを着ることは初めてではないけれど、こんなに豪華なものは着たことがないので、それだけで緊張した。
私は部屋を出た。クロエが鍵をかけた。
私、リズことエリーゼ・ベルナールは近日結婚することになっている。今日は結婚相手およびその家族との懇談会を兼ねた昼食会なのだ。そして国の中で割と大きい港町の中に限り頂点に立っている貿易商の娘である私を嫁に貰うと言った、いや貰ってやろうと仰ったその方は
「では参りましょう。王子様と国王陛下がお待ちです」
なんとこの国の王家なのである。
「失礼いたします」
「どうぞ。お入りなさい」
私は細かく美しい彫刻が施されたドアを開けた。中にいるのは席についている国王陛下とその隣に立っている男が二人。恰好から察するに執事とシェフだろう。
私はふと陛下の様子がおかしいことに気付いた。一見ニコニコとしているその顔の、片方の眉がよく見れば吊り上っている。何か失礼なことをしてしまったのだろうかと私は内心萎縮した。
「遠路はるばるご苦労だったね、エリーゼ嬢。君の席はこちらだよ」
陛下が言った。とても優しい声だった。私は改めて挨拶して自分の席に着く。ふと正面の皿とグラスが置かれた空席を見て、本来この場にいるはずの人物がいないことに気付いた。
「あの、陛下。王子さまは一体どちらへ?」
「ああ、あいつなら急用ができたとか言って町の方へ飛び出したんだよ。まったくあのバカめ、やるべきことの優先順位ぐらい考えろ!」
後半の台詞は小さな声だった。私は陛下が怒っている理由が自分ではないことにほっとした。王子への怒りは沸いてこなかった。
「二人が揃わないのは本来あるべきことではなかろうが、いつまでもあいつを待っているわけにもいくまい。ここで昼食を始めるとしよう」
「はい」
私たちは昼食をとり始めた。しかし私の父は今日も仕事に出て回り、母はそんな父に愛想を尽かして数年前に家出、以来音信不通の状態である。そして王妃さまはそれよりも前にご崩御なされているので今この場には私と陛下の二人だけで、後は時々あのシェフや執事が出入りするぐらいだ。
陛下は気さくな様子で色々と話しかけてくれた。ただし彼と私では年齢も身分もかけ離れているのであまり話が続かなかったが。
昼食会の後、私はずっと部屋で過ごしていた。最初は家から持ってきていたお気に入りの本を読んでいたが三時間もそれを続けているとさすがに目が疲れてきた。クロエはクロエで忙しいらしく、私を食堂に送ったきり、部屋に来ない。
ふと外から音楽が聞こえてきた。ラッパや太鼓などが奏でる陽気なマーチだ。窓の外を見ると遠くに小さくテントが見えた。サーカスだ。
幼い頃、母がよくサーカスに連れていってくれた。その頃からいわゆる熱しにくい人間の私もサーカスにはいつも夢中だった。種族なんか関係ないかのように指示を出す猛獣使い、空中ブランコを鳥か妖精のように跳ぶ軽業師、そして笑みを絶やさずマジックやジャグリングをこなすピエロ。サーカスの全てが大好きだった。一瞬見に行きたい衝動に駆られたがすぐに今の自分の状況を思い知る。
「エライ立場にあるというのも考え物ね」
誰にともなくつぶやいた。
そのときコンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「リズ様。クロエでございます」
「入って」
クロエはゆったりとした動作で部屋に入ってきた。
「この後、クロエは暇?」
「はい」
「だったらチェスでもやらない?家から持って来たの」
「私もそうしたいのはやまやまなのですが、生憎リズ様に先約が入りましたので」
「私に先約?どういうこと?」
「詳しくはこちらをご覧ください」
彼女は白い封筒を差し出した。中の便箋にはこう書いてあった。
『エリーゼ嬢へ。ぜひ貴女に私の芸を見てもらいたいのです。よろしければ五時半にこの城の庭にいらしてください』
私は一応便箋を封筒にしまった。クローゼットの中からカーディガンを取り出して羽織る。
「お出かけですか」
「まあね。ところでこの手紙をあなたに渡したのは誰?」
私の問いに彼女はいたずらっぽく笑って答えた。
「とても愉快で少し抜けているピエロさんです」
春になったとはいえこの時間になるとさすがに薄暗い。庭には赤や白やピンクのバラが美しく咲き誇っている。全体的に綺麗に手入れされている。芝生が敷かれているだけのうちの庭とは大違いだった。その時後ろからキコキコと音がした。何度もサーカスを見ていたからわかる。これは一輪車をこぐ音だ。
振り返れば一つの影が近づいていた。だぶだぶのオレンジの服に同じ色の帽子を被り、その下から金色の髪がこぼれている。赤く塗られた付け鼻と唇が白塗りの肌によく映えていた。そして瞳の色は実家のバルコニーから見た海のような青だった。
彼はニコリと笑って一輪車をこぎ続けていた。そして私との距離を縮めていく。踏み出す一歩ほどの差、指一本ほどの差、髪一本ほどの差・・・。
「あら?」
とうとう彼は私の横を通り過ぎてしまった。その先にあるのはバラの生け垣だけだ。彼が私に振り向いた。口角は吊り上っているが青い瞳は潤んでいる。私がまさかと思った瞬間彼は大きな音を立てて生け垣に突っ込んだ。どうやら本当に一輪車の止め方を知らなかったらしい。
彼は立ち上がり服を手で払うとお手玉を取り出した。その数は全部で五個だ。それを一つ、また一つと宙に投げていく。玉の輪は途切れることなく回る。そして一つ、また一つとお手玉が彼の手の中に戻っていく。彼はお手玉を持った腕を大きく広げながら礼をした。拍手をしようとした私は気付いた。お手玉が左右の手に二つずつしか握られていないことに。
「!?」
彼が慌てる。拾いそびれたお手玉が彼の頭上に落ちたからだ。何が起こったのか分かっていない様子で周囲を見回した彼は落ちていたお手玉を見つけそれを拾い何事もなかったかのように再び一礼した。
次に彼が取り出したのは黒いハンカチだ。彼はそのハンカチを左手に置く。そして指で三つ数えると勢いよくそのハンカチを取った。するとその手の上には白い鳩がいた。私が拍手をしようとしたとき鳩が彼の頭をつつき始めた。彼はその場で右往左往し始める。とうとうその場から走り出してしまった。鳩はしつこくその後を追った。
「ある意味天才的なピエロね」
私は独り言を言った。そうしていつの間にか笑っている自分に気付いた。
数分後、彼は疲れた様子で戻ってきた。どうやら鳩はまいたらしい。
「ねえ、あそこに座らない?」
私は庭園の隅のベンチを指差した。彼は嬉しそうにうなずいた。私たちは並んで腰かけた。彼になら何でも話せる気がした。
「私の父は何より地位にこだわる人でね、今回の話も気付いたらほとんど決まってた。私はどうでもよかったのよ、今回に限った話じゃないから。でも相手はそうじゃなかったみたい」
彼は不思議そうに私の顔を覗き込んだ。
「本当なら私は今日の昼に王子と顔を合わせる予定だったの。でも彼は来なかった。ま、仕方ないわよね。顔も知らない相手との結婚なんて嫌がるのが普通だもの」
と、ここで私は気付いた。ピエロが顔を背けているのだ。まるで聞いてはいけないことを聞いてしまったみたいに。
「大丈夫よ、あなたが気にしなくて。私が勝手にしゃべったんだから」
その時、ピエロがいきなり立ち上がった。驚いて目を丸くする私に一礼して、今まで沈黙を守っていた彼は口を開いた。
「Shall we dance?」
正直ダンスの経験なんて数えるほどしかないから不安だった。けれど彼は先程までのドジな姿が嘘のように私をリードしてくれた。気づけば日はもうすっかり落ちて、空には三日月と無数の星が浮かんでいた。
「今日はありがとう。おかげで結構楽しめたわ」
すると彼はどこに隠していたのか、一輪の花を差し出した。それはピンクのバラ。私の一番好きな花。
「そういうところにはソツがないのね」
彼は照れたように笑う。私も何かお礼をしたいと思ったけれど、生憎プレゼント向きのものを持っていない。となると・・・アレしかないか。
「?・・・!?」
彼は無言だったけれど驚いたのが分かった。私はその特徴的な赤い鼻に口づけしていた。そして硬直して顔まで赤く染まった彼を置いて、私は城に戻った。
まず私は自室に戻った。クロエがそこで待っていてくれた。私はトゲが綺麗に取られたバラを出してこれを活けてくれないかと頼んだ。
「リズ様、随分とくつろいできたようですわね」
彼女は花瓶に水を注ぎながら言った。
「あっ、彼の名前聞くの忘れた!どうしよう、また会えるかしら?」
するとクロエがクスリと笑って言った。
「案外、かなり近いうちにまた会えるかもしれませんわよ?」
「・・・クロエ、彼って何者なの?とりあえず本職のピエロじゃないのだけわかったけど」
私の言葉に彼女はいたずらっぽく笑って答えた。
「ピエロさんですよ。とても愉快で少し抜けていて、そしてとても優しいピエロさんです」
夕食の時間なので私は食堂に向かった。今度はクロエも一緒に中に入る。
「陛下、すいません。遅くなりました」
「構わないよ、クロエくんから話は聞いたからね。ところでセバスチャン、シャルルのバカはまだか!?」
「先程ここへ帰ってきたばかりで・・・あっ、来ました!」
息を切らして一人の少年が部屋に入ってきた。
「遅れてごめんなさい、エリーゼさん!僕があなたの婚約者のシャルルです!」
彼が顔を上げた時、陛下は怒りを忘れたかのように笑い出した。側に控えていた執事やシェフたちも笑い出した。いつもは控えめに笑うクロエさえこらえきれないように吹き出した。そして私も声をあげて笑っていた。王子だけがキョトンとしていた。
王子は金色の髪と青い目が似合う美少年だった。だからこそ赤くて丸いその付け鼻の存在がおかしく思えたのだった。
最後まで読んでくださりありがとうございました。ある程度文章がまとまったら今回の話をピエロ(シャルル王子)の視点で書いてみたいなぁと思っています。