開戦
その日の夜、帝国軍はルレンサ側からの攻撃がギリギリ届かない距離まで接近した。状況はまさに一瞬即発。
月明かりに照らされる中、帝国軍の前衛は進軍を開始した。
攻撃はしない。飛来する矢をひたすら盾で防ぎながら、城壁に接近していく。
「攻撃はせず、ひたすら被害を抑えて接近……。何のつもりです?」
ミシェルが答える。
「すぐにわかるさ。……僕も一つ聞きたいんだが、どうして君がここにいるのかな?」
額を抑えて言う。まったく、敵軍より厄介な味方がいるとは、頭が痛い。
「面白そうな話を耳にしたので。……まったく、あなたも意地が悪い。絶好の獲物の存在を隠すなんて。」
どこから聞きつけてきたのか。彼女、黒騎士の勘にはいつも驚かされる。
「まあいい。せっかく来たんだから、存分に働いてくれよ。」
「言われるまでも。」
黒騎士は単騎で走り出す。ミシェルは部隊を率いてそれを追った。
帝国軍の前衛が城壁に接近している頃、城門の開閉を管理する地下室。
普段は数十人の人間が活動しているはずの部屋だったが、今そこを動いている影は一つだけだ。
「他愛ないな。この程度の警備とは、ルレンサの君主は間が抜けているのか?」
手首の仕込みナイフを収めながらつぶやいたのはジェン。数十人の人間を至近距離で斬り捨てたにも関わらず、返り血一つ浴びていない。
シンシアを責めるのは酷と言うものだろう。ジェンが強すぎるだけなのだ。
彼女の任務は、あらかじめランセイアの内部に侵入しておき、帝国軍の侵攻が始まった時点でこの地下室を制圧、内側から城門を開けるというものだった。
城門を開閉するためのハンドルは南京錠で固定されているが、そんなものは何の障害にもならない。
彼女は幼いからそのための教育を施されてきた帝国で最も優秀な工作員なのだ、この程度の錠など鍵なしでも数分もあれば十分である。
同時刻、城壁の上ではエニマが猛戦していた。
「消え失せろっ!!」
手の平から何本もの光条が放たれ、盾を貫いて次々と敵兵の命を奪う。
エニマは彼女自身が言っていたとおり文官だが、異民の生まれであり、卓越した魔術の腕を買われて戦に出ることも多い。
適任者がおらず空席のようになっているルレンサ魔術師長の座は、実質的に彼女のものだと言っても過言ではなかった。
再び光を放ち、敵兵を射殺す。
異民が持ち込んだ技術、魔術とは、自らの身体の中にある自然エネルギーを意思の力で制御し最適な形で外に放出する、という不可思議かつ難解なものだ。
その不可思議さゆえ、原民の中に魔術を使いこなせる人物がほとんどいないのは前述のとおり。
そんな時、彼女の耳に明らかな異質な音が入ってきた。
古びた木がきしむ音と、巨石が地をこする音。
(-まさか、城門が!?)
何が起こっているのか知らないが、敵の侵入は絶対に許してはならない。
彼女は飛ばされないように帽子を手で抑えながら走り出した。
ランセイアは街道の道中に存在する宿場町だ。交易をおこなう商人たちが不便をしないように、その門は大きく、開閉に時間を要さない。
案の定、彼女が城門にたどり着いた時には既に乱戦状態となっていた。
あいさつ代わりだ、と言わんばかりに魔術を打ち込み、敵兵をひるませると声を振り上げる。
「この機を逃してはなりません!一気呵成に押し返すのです!」
勢いを得たルレンサ兵は帝国軍を一気に押し返す。だが、彼女が城門を閉めるよう指示したその時、騎兵がなだれ込んできた。
「くっ!」
突然の襲来にも動じず、魔術による迎撃を試みる。だがそれよりも早く、風の刃が彼女の腕を斬った。
刃を放ったのは騎馬隊の先陣にいた若い男だ。
「ミシェル・ラクセルですか…!」
涼しげな顔をしているアメシスト色の瞳の男を睨みつけて言う。
傷が深い。先程から連発したせいか魔術の治癒の速度も遅く、すぐには戦線復帰できそうにない。
「君のような美人に顔を知ってもらえているとは光栄だね。君の腕を見込んで言うんだけど、帝国に来る気はないかい?」
「あなたのような尻軽男がいる軍などお断りです。」
デートにでも誘うかのように言ったミシェルの誘いを、エニマはにべもなく切り捨てた。
「う~ん、僕はこれでも妻のシーナ一筋のつもりなんだけどなぁ。…で、どうするの?ここでの戦闘は僕たちの勝ちのようだけど。」
ミシェル直属の部隊の実力は圧倒的で、先ほどまで傾きかけていた戦況は完全に逆転してしまっている。
これ以上のここでの抵抗は無意味だろう。彼女は右手を握りしめて屈辱的な指示を出した。
「南門は放棄します。順次町の北部へと撤退を開始。城壁を守っている他の将たちにも伝えてください。」
撤退の合図である鐘が鳴らされる。エニマはミシェルを睨みつけて言った。
「これで我々が諦めると思わないことです。今は貸にしておきます。」
撤退が始まったことを確認したエニマはふらつく足取りで路地裏へと消えていく。追いかけようとした部下をミシェルは押しとどめた。
「突出しては相手の思うつぼさ。一歩ずつ確実に制圧していこう。」
同じ頃、グランディア近郊。ランセイアに続きこちらでも、戦況は帝国軍に優位に推移していた。
深夜、キャシエナ率いる翔鳳隊2千は帝国軍の陣地に奇襲を決行。しかし、皇帝カルザはルレンサ側の奇襲を見切っており、迎撃を受けた翔鳳隊は壊滅の危機に陥っていた。
「森を背にして戦うんだ!右から来る部隊を火計で足止めして、正面の部隊を叩く!」
向かってくる敵の集団に向かって弓をつがえ、放つ。ただの矢ではない、翔鳳隊の専用武装、爆矢である。
鏃の代わりに火薬を取り付けた矢で、衝撃が加わると爆発する。キャシエナの放った爆矢は所定の性能通り数人の兵を一撃で吹き飛ばした。
耳が馬鹿になりそうな爆音の中、彼女は本能的に状況を判断する。不味い、不味すぎる。
いくら翔鳳隊が優秀であると言え、兵数の差が開き過ぎている上に爆矢の数にも限りがある。
撤退の2文字が頭に浮かぶが、それを彼女は即座に振り払った。決して許されないことだ。
「本隊5千は動きません!撤退しなければ!」
爆音の中、ファウムが叫ぶように彼女に言う。
本隊が動かないのは当然だ。彼らはあくまで奇襲が成功した際に追撃を賭けるのが仕事である。
今彼らが動いても無駄な犠牲を増やすだけ……、と考えていたのはシャオレンだったが。
「撤退……。どこへ?グランディアとは言わせないよ?」
もし撤退すればグランディア城内への侵入を許す。敵の目の前で城門を開くのだから当然だ。
「確かにそうですが…今撤退しなければ!」
この隊長のことだから、即座に撤退を決断すると思ったのだが。予想以上に思慮深いキャシエナの思考回路に彼は意外という感想を抱いていた。
そういえば、戦闘が始まってからの彼女は真面目かつ有能な指揮官に見えた。
「……っ!」
全滅する、と言外に言ったファウムに、彼女は目を伏せ、膝を殴りつけた。
「確かに、このまま兵の犠牲を増やすのもあれね。仕方ない、アニスを信じて撤退するよ。殿は私が勤める!ファウムは兵の指揮をお願い!」
そういうと、彼女は再び爆矢をつがえ敵兵に向かって撃ち込む。燃え盛る木々を背景に、彼女は声を張り上げた。
「シルシキの翔鳳隊隊長、キャシエナ・ホルデルトよ!さあ、バラバラになりたいやつから前にでなさい!」
「シャオレン様、キャシエナ様の翔鳳隊が撤退を始めたようです。」
「ふむ、見ればわかるのぉ。」
串に一つだけ残った団子を見つめながらシャオレンは答えた。どうすれば食べやすいかを考えていたのだろう。
数秒後、その姿勢のまま、彼女は答えた。
「我らも撤退する。…ただし、帝国軍より遅く到着するよう、ゆっくりとな。」
「ゆっくり……?急いでではなくてですか?またなぜ?」
「ふむ、わしはもう少しゆっくりとこの甘味を楽しみたい気分なのじゃ。」
団子を頬張りながら彼女は言う。
「え……。それは教えたくないということでしょうか。」
「自分で考えろということじゃ。せっかく頭を持っておるのじゃからのう。」
彼女は湯呑に入っていた茶を飲み干すと、すっと立ち上がった。それでもその背は伝令兵より頭一つ分低い。
「さて、行くとするかの。」