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王女シンシア

グランディアに帝国軍のランセイア侵攻の方が入ったのは、サイアが異変に気付いたその日の午後のことだった。

眉一つ動かさずにその報を聞いたシャオレンだったが、ただ一つ緊急の軍議を行うことを要請した。


そしてその軍議の場。

「……しかし、帝国軍は12万もの兵をいったいどうやって用意したんでしょう?その数の兵を気付かれずに用意できるとは思えません。」

シュルツが言う。これからの戦略には直接関係ないことだが、いかにも生真面目な彼らしい質問だと言える。

「どうやってもこうやってもない。お主、自分で答えを言っておるではないか。…用意できないのなら、しなければよい。元から南、イシガンとの戦線にいた兵を北上させたに決まっておる。」

北に進むための最低条件は、南におることじゃからのう。本気か戯れか、彼女はくく、と笑いながら言った。

「南の兵を……?帝国は東の戦線を放棄したのでしょうか?」

「放棄したのか、停戦したのか。どちらにせよ、あまり歓迎するべき状況ではないことは確かじゃ。」

「そうだな。今は急を要する事態だ。どこから兵が湧いてきたかということより、それにどう対応するかを考えるべきだろう。」

このまま議論がずれてしまっては不味い、そう思った彼女の意思を引き継ぎ、ルレンサの老将ボルテンが言った。

シンシアの父の代から国を守り続け、その人格者ぶりから兵や民からボルト将軍と呼ばれ親しまれている。

「ま、そりゃそうだよねー。ととくー、うちの軍師長から何か連絡はあった?」

張り詰めたその場の空気を粉砕するキャシエナの声が響き、多くの者があちゃー、という顔をする。

そんな中表情一つ変えずにいたグランディア都督、アニス・イブルが答えた。常時ならグランディアの政治、軍事の両面を統括する男だ。

無論ただ者ではなく、シルシキの南進の中心になったことを称えられ、『南征将軍』と呼ばれている。

「帝国軍侵攻の報が入ってすぐに伝書鷹と伝令を飛ばしたが、さすがに返事はまだ来ていないな。」

シルシキの軍師長は決して表に出てこない謎の人物だった。前線に出てこないという意味ではない。徹底的な秘密主義なのだ。

シルシキの上位の将たちですら会ったことはおろか、名前すら知らないというのだからその凄まじさがうかがえる。

ふざけた軍師もいたものだが、その軍略は常に的確で、シルシキの領土拡大の最大の立役者と言っても過言ではない。

「うちの偉大なる軍師様が音信不通なら、そちらさんの軍師さんを頼るしかないな。……ここしばらくの戦闘の様子から考えて、援軍を出す余裕もあると思うがな。」

シュバインが言った。彼の口のパイプを憎々しげに見やってシャオレンが言う。

「お主もなかなか良い根性をしておるのぅ……。結論から先に言えば、援軍を出すつもりは全くない。」

そう言い切った彼女は目の前にあった色鮮やかな菓子を口に放り込みながら質問を待った。

「……兵数には若干の余裕がある気がしますが。」

シルシキ所属の文官が言う。商人たちの国家であることを反映してか、シルシキには数字に強い者が多い。

帝国軍のケリエルには遠く及ばないが。

「帝国軍の動きは単純な釣りだし戦術じゃ。援軍を出せば相手の思うつぼじゃよ。じゃが、厄介なのは」

「ここの兵をおびき出すための部隊に過ぎないはずのランセイア侵攻部隊が、そこをそのまま落とせてしまうほどの兵力を抱えているということですね。」

先ほどの件を挽回しようというのか、シュルツが言う。

もともと理解力があり、頭の回転も速いのだ。話についていくことなど造作もない。少なくとも、彼の上司よりははるかにマシである。

当の上司は、まるで意味がわからんぞ、とでも言いたげな顔で議論を聞いていた。

「それをわかっていながら、援軍は出さないと?ランセイアを見捨てるつもりですか?」

声を挙げたのはルレンサの将、クルス・セレスティナだった。

名前の通りルレンサの王室の一員であり、シンシアの従兄妹にあたる。

前王が崩御した時は、後継者をめぐる議論が沸き起こったものだが、クルスが自ら身を引いたことでそれは決着を見た。

「見捨てるのとは少し違うの。1千や2千の兵を送ってもそれこそ焼け石に水。最悪、道中で攻撃を受けて壊滅する危険性すらある。……姫を信じて待つのが最良じゃと、わしは思う。」

それを見捨てるというんだよ、とその場にいたほとんどの人間が思ったが、それは間違いである。

シャオレンは心の底からシンシアが帝国軍を撃退できると考えていたのだ。

後になって彼女が認めたことだが、当時の彼女は帝国軍を過少評価している節があった。

「わしらはわしらで出来ることをやるのみじゃ。やつらはこちらが出陣すると思っておる。この機を逃す手はあるまい。」

シャオレンがそう言うと、将たちの反応は二つに分かれた。

「ああ、なるほど。」と納得顔なのは、アニスやボルテン、ファウム。

逆に「……意味がわからないんだけど。」と言ったのはキャシエナ。まあ、彼女なら仕方がない。その場の全員がそう思った。

「キャシー、お主は本当に素直じゃのぅ。そういうところ、わしは結構好きじゃぞ。」

「そう?ありがとね。」

「じゃから、わしがわかりやすく説明してやろうではないか。そうじゃのう、一言で言うのなら『援軍を送ったふりをする作戦』というところか。」

そう言って彼女は立ち上がると、壁に貼られた地図の前まで歩いて行った。

着物の袖から扇を取り出し、地図を指し示しながら言う。

「まず、多すぎず怪しまれない程度に少なくない数の兵を出発させる。…が、ランセイアには向かわぬ。夜には反転、ここを包囲している帝国軍に奇襲をかける。」

どうじゃ、簡単じゃろう?とでも言いたげに彼女は言う。確かに単純明快な作戦だった。

だが、机上の空論だ、とでも言うようにクルスが声をあげた。

「そううまくいくものでしょうか?帝国軍が奇襲を予測していないとは思えません。」

「うむ、まあ、そうじゃろうなあ。」

どこから取り出したのか、細長いあめを舐めながらシャオレンは答えた。

「主の言うとおり、帝国軍に奇襲を看破されては不味い。よって、最初に奇襲をかけるのは出発した部隊の一部。残りは奇襲が成功してから引き返すことにする。…そして、その最初に動きをかける部隊じゃが、この任務をキャシエナ殿と翔鳳隊に依頼したいと思う。」

後に、アニスはこう語っている。あの時のファウムの顔は実に見物だったと。



 「やはり、援軍は来ないようね。シャオレンは今夜、敵軍に奇襲をかけるそうよ。」

グランディアの軍議で決まったことは、伝書鷹によってその日のうちにランセイアのシンシアに伝わっていた。

その手紙を読んだ彼女は特に残念そうでもなく息をついて、目を閉じる。まったく、楽をさせてくれない相方だ。

「姫、時間です。」

エニマが彼女を呼ぶ。わかってる、今行くわ。そう返事をして彼女は剣を携え歩き出した。



 「……出てきたな。」

ランセイアの中央部にある広場。そこには数百の比較的位の高い兵たちが集まっていた。

サイアとアイシャは、その広場を囲む建物の屋根の上からその様子を見守っていた。

ここで見ていれば、ここにいれば王女シンシア・セレスティナの姿を見れると思ったからだ。

果たして、サイアの予想通り彼女は現れた。

檀上に登った彼女の姿に、アイシャは思わず息をついた。

思わず羨ましくなってしまう程、彼女の姿は高潔にして美しかった。

よく手入れした優美な桜色の長髪に、輝く銀とエメラルドのティアラ。そして、ドレスを改造したと思われる、髪と同じ色の芸術品のような鎧。

もっとも、彼女の主はそんなことには興味がなさそうだったが。

そうこうしている内に、檀上のシンシアは口を開いた。

透き通るような、凛と響く声だった。

「……今、この国は危機に陥っています。そして、私は弱い。」

一拍置く。誰もが押し黙り、続きが語られるのを待っていた。

「民が災害に苦しんでも、命を救うことはできないし、同盟国が滅んでも、指をくわえて見ていることしかできません。……そして、父が死んだ時すら泣くことしかできなかった。」

有為か無為か。彼女は言葉を区切りながら、続ける。

「私にあるのは、この国を守りたいという意思と支えてくれる仲間たち。……あなたたちの力も、貸してほしい。」

兵たちの気勢が一気に高まる。それを感じ取ったシンシアは携えた剣を抜きはらい、高く掲げた。

日光を受けて光り輝くそれは、聖剣セリエリオン。ルレンサの王家に伝わる剣で、その刀身はいかなる状況においても白銀を保ち続けるという。

「私は今、ここに誓います。自らの持てる力の全てを尽くし、民のために戦うことを。」

兵たちは歓声をあげ、王女のことを称えた。シンシアは一礼すると、壇を降りていく。

「どう思われました?」

「…なかなか興味深かったよ。ああいう君主はなかなかいるものじゃない。」

先程まで彼女がいた場所を見つめてサイアが言う。

今までずいぶん多くの君主を見てきたが、ああいう人物も珍しい。

人の上に立つ者は無力をさらしてはならない。サイアが幼い頃から言われてきたことで、彼が出会ったほとんどの君主も同じ姿勢であった。

そして、それは向いていない者にとっては非常な苦痛でもある。

それに思い当ったアイシャは、主の背中を見つめる。

無意識に自分を強く見せている自分の主人。再び黒のマントをまとったその背は、いかなるものも受け入れないように見えた。

もしかすると、あの王女が羨ましいのかもしれない。

「しばらくは待機だ。城壁で帝国軍を撃退できるならばよし、できないなら加勢する。」

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