シルシキ通商連合国
その翌日の朝。帝国軍の先鋒がグランディアの南西の高台に朝靄の中,静かに姿を現した。
その数は一万弱。途中のイルカンベ関で戦闘になり若干の兵を失ったものの、そこにいた兵を蹴散らしたことで兵たちの士気は大いに高まっていた。
そして、その進軍を妨げようとするのは、帝国軍とグランディアの間を遮るように野戦陣地を敷いたシルシキ軍2500。
「この程度の柵では少々心もとないのう。急ごしらえゆえ仕方がないがないというところか。」
そう言ったのは先日ランセイアの宿にいたシャオレンという名の少女。見間違えるはずもない。いくら広いとは言えども、この大陸でこんな服装をしているのは彼女だけだろうから。
身に巻くような形の服の上から、鮮やかな色の着物を羽織っている。
「……これか?これは海を渡って6000キロほど西に向かったところにある極西の島国の衣服じゃ。」
と彼女は語っているが、あまりにも着崩しすぎではないだろうか。本来は腰のあたりで帯で結ぶような服に見えるのだが、彼女の場合はそれを風になびくままにしてしまっている。しかも、下に身につけたドレスのスリットが深すぎるせいで、素足が見えてしまっている。
この大陸の常識からすれば、はしたないと言われても仕方がない格好だが、彼女は気に留めようともしない。
まあ、ルレンサの軍師、タオ・シャオレンとはそういう少女だったのだ。
「帝国軍、動き始めました。……数は約6000、先陣は、皇帝カルザ本人です!」
物見の声に兵が俄かに動揺を見せる。
仕方がないことだろう。実際には戦ったことがないにも関わらず、いやだからこそ、兵たちは必要以上にその名を恐れてしまっている。
「おいおい、軍師さんよ。大丈夫なんだろうな?」
シャオレンの横でパイプを口にくわえた男が言う。シュバイン……シルシキの商人だ。商人たちが無法者に襲われることも珍しくない世の中、兵の指揮をとれる商人と言うのも別段珍しい存在ではない。
「何の心配もいらぬ。お主らシルシキの新兵器とやらがちゃんと動いてくれるのなら、じゃが。」
「それこそ心配いらないな。我らの連装弩弓の威力、噂以上の力をお目にかけよう。」
「それと、その口にくわえたものを今すぐどこかへやってしまうがよい。わしの立つ戦場は常に禁煙なのでな。」
「はいはい、わかってますよ。まったく、我儘な娘さんだ。」
そう言って男は後ろに下がっていった。
(いまひとつ信用する気が起らぬやつらよ。)
シルシキ通商連合国。その名のとおり大きな力を持つ商人たちが共同でつくった国家だ。
海を越えてエンブレス大陸の北西にある別の大陸と交易ができる唯一の国家である。それにより先進的な技術を手に入れた彼らは、強力な軍隊を結成、領土を拡大した。
今は同盟関係にあるものの、一瞬後にはどうなるかわからない。そういう謎めいた雰囲気をシルシキ通商連合国とその商人たちは放っていた。
「怖気づくでない!戦の要は周到な準備にある。準備はわしがした、後はお主らが落ち着いて敵兵を薙ぎ払うだけじゃ!」
シャオレンの言葉に兵が多少なりとも落ち着きを取り戻す。満足げに頷いた彼女は、パチン、と音をたてて扇を閉じた。
「総員、弓構え。」
弓隊だけでなく、剣兵までもが一斉に弓を構える。この数の弓を即座に用意できるのは、流石は商人たちの国家シルシキというところか。
帝国軍の騎馬隊は両翼に広く陣形を取りつつある。だが、主力であろうカルザが指揮する皇騎兵は三槍の陣。つまり柵を迂回しつつある両翼の舞台は囮、追撃の要員であり、本命はあくまで中央突破にあるということだ。
シルシキ側の陣地が急ごしらえのものでしかないということを知っていたとしても、なんという自信だろうか。
(まったく、予想通り過ぎて笑えてくるわ。)
「相手の勢いをそぐ。中央の皇騎兵に攻撃を集中せよ。……、射っ!」
数千の矢の一斉射撃。しかし、それは見た目ほどの戦果をあげているとは言い難い。皇騎兵は降り注ぐ矢のほとんどをはじき返しそのまま突撃してきた。
「なるほどのう……。精鋭の名に偽りなし、か。総員、後方まで退避!迅速にな。」
そう言うとともに、彼女はグランディアに向けて魔術で作りだした光の矢を放つ。
矢の色は青。その意味は『攻撃開始。詳細は任せる。』
「敵兵が下がって行く、か……。」
それを見たカルザは罠か?と自問し、罠だろう、と自答する。もう一度斉射を加えてくる余裕はあるはずだ。
それをしないということは、あとでまとめて撃破する自信があるということだ。
(だが、こちらも狙いあっての進軍でな。目的を果たすまでは引くわけにはいかん!)
彼は手にした大槍を振るい、行く手を阻む柵を一撃で薙ぎ払う。
「我に続け、奴らを追撃するぞ!」
彼は号令を下し、一層馬を速く駆けさせた。
その時だった。突如として周囲の地面が砕け、爆音が響いた。
「!?」
命中したわけではないので、兵の実害は出ていないが、馬はそうもいかない。突然このような大きな音をたてては馬が驚いてしまう。
「くそっ、落ち着け・・・」
自分の馬の手綱を必死で握り、振り落とされないように掴まりつつ、後方の様子を確認する。
やはり、後から続いた兵も馬が暴れてその場で立ち往生してしまっている。
そして、足を止めた騎馬など弓の格好の的でしかない。嵐の如く矢が放たれる。そして、その数は先程の斉射などとは比べ物にならない程多い。
シルシキの兵器、連装弩弓が使用されたのだ。小型の弓をいくつも円形に束ねた物を荷車の上に乗せたような形をしており、後部のハンドルを回すことで次々と矢をつがえ、放つという機械だ。
とは言うものの、肝心な構造はまったくのブラックボックス。同盟国であるはずのルレンサにもまったく情報が漏れてこない。以前交渉を持ちかけてみたところ、ポーカーフェイスで目の飛び出るような金銭と領地を要求された。
ルレンサの面目を潰された形になったシャオレンがシルシキを「信用できない」と断ずる理由になった一つの事件である。
ふん、とシャオレンはつまらなそうな顔で息をつく。
確かに彼ら御自慢の連装弩弓とやらは威力だけは大したもののようで、帝国軍は完全に浮足立っているように見えた。
どうしてこうなってしまったのだろう。自分はシルシキ国立の軍学校を首席で卒業し、将来の出世が約束されていたはずなのに。彼、シュルツは思った。
いや、確かに自分は同期一番の出世頭である、それは間違いない。だが、どうして与えられた仕事がよりによってこいつの副官なのだ。彼は目の前に転がっている少女を見てその思いを新にせざるを得なかった。
時間は少し巻き戻り、帝国軍が行動を開始した頃。城郭の上で彼の上官である少女、キャシエナ・ホルデルトが駄々をこねていた。
「ねーねー。どうして私が留守番であいつが出陣なのよ~。シュバインより私達の方が絶対強いはずなのに~。」
石畳の上にうつ伏せに寝転がり、足をばたつかせる。年齢はサイアと同じくらいだが、行動相応に表情にあどけなさを残している。元々の長身の上に、長ズボンに革のジャケットという服装のせいで、一見すると男性のようにも見える。だが、口にしようものなら「それはあれなの?私の体つきが女らしくないってこと?」と詰め寄られるだろう。触れてはいけない話題なのだ。
それはお前が馬鹿すぎるのが原因だよ、と言ってやりたいのを彼は堪えて言う。
「キャシエナ様、起きてください。帝国軍が動き始めたそうです。」
「キャシエナ~?誰それ?」
しかし、何が気に入らないというのだろうか。キャシエナはまともに取り合おうともしない。
「どうして自分がこいつの下に配属されたんだろう・・・(小声)。キャシー様、帝国軍が動き始めましたよ。」
キャシーというのは彼女のあだ名だ。彼女はキャシエナという自分の名前が気に入らないらしく、キャシーと言う名で呼ぶよう普段から周囲に言っている。普段ならキャシエナと呼んでも返事ぐらいはしてくれるのだが・・・。
出陣が許されなかったことで相当ご機嫌斜めのようだ。
「ふ~ん、じゃあ伝えて。南側22番から48番まで砲撃準備。射角その他面倒くさい調整は全部任せる、って。」
ようやく寝返りを打って顔をシュルツの方に向けて彼女は言った。
「任せる・・・って、そんな適当でいいんですか?」
「え?いいでしょ、問題ない問題ない。って言うかどっちにしてもまだ射程外だし。」
青空に目をやって彼女はこともなげに言う。確かに青空は人間達の戦争などお構いなく普段と変わらず美しい。だが、それをのんびり見つめるのは平時にして欲しいとシュルツは心の底から願った。
そもそも彼はこの隊長の全てが気に入らなかった。懸命に努力して将となった自分とは違い、彼女は親の光で将になったタイプ、いわゆる2世という奴だ。配属されてからの時間が短いため確かなことは言えないが、指揮が全てこの調子だとしたら気が滅入るなどというものではない。
「……射程外なのに撃つんですか?」
「ま、馬を驚かせるためだろうね~。でもさ、シュバインも馬鹿だね。連装弩弓は野戦用の兵器じゃないでしょ。あのちびっ子軍師も何を考えてるのやら・・・。私たち翔鳳隊なら皇騎兵なんて一撃・・・ってうわ!」
彼女の鼻先を矢がかすめて行った。間違いなく出陣しているシャオレンからの合図だろう。その色は青。
「え~と、青は・・・何だっけ?」
「『攻撃開始。詳細はまかせる。』です。」
それぐらい覚えていてくれ。額に手を当てて彼は答える。もう何も言う気がしない。反対にキャシエナはそれを聞いて目を輝かせた。攻撃、なんてすばらしい言葉だろうか。元気よく立ちあがった彼女は声を張り上げた。
「よーし、それじゃあ攻撃開始!撃って撃って撃ちまくれ!」
グランディアに配備されたカノン砲は約200門。その内約半分が帝国軍の侵攻が予測された南側に配置された。その全てが帝国軍の足を止めるべく一斉に火を噴いたのだ。
鉄製であるが故に機動性に致命的な欠点を持ち、野戦での使用はほぼ不可能だが、魔術以外では常識外の威力と射程距離を誇るため、拠点の攻撃、防衛において圧倒的な力を発揮する兵器、カノン砲。
シルシキが大陸から輸入した兵器の中でも特に有名な物である。
遥かに離れた地点に次々と着弾し、爆発と轟音とともに大地を粉砕する光景は、他では中々お目にかかれないものであった。
次々と飛来する砲弾と矢、粉砕される大地と凶器と化した砲弾の破片。そのような地獄絵図の中で、カルザはなんとか部隊を維持していた。
「既に目的は果たした、退くぞ!馬が操れぬものは捨て、他の者に拾ってもらえ!」
彼はそう命令し、伝令兵に銅鑼を鳴らさせる。
すると、兵たちは大混乱の中にあったにも関わらず、一斉に騎首を反転し、撤退を始める。まるで初めから計画されていたこのような迷いと無駄のない動き。
「あいつは・・・、ルレンサの軍師だな。」
カルザがルレンサ軍の後方にシャオレンの姿を見つけたのはその時だった。あの見た目だ、見間違えるはずがない。
(計画通りの敗戦とはいえ、やられっぱなしというのも気に食わんな。)
目測で距離は50m以上離れているが、いけると判断した彼は「借りるぞ。」と言って隣にいた兵の剣を抜き放つと、目にもとまらぬ挙動でそれを投げつけた。
殺気を感じたのか、その刹那シャオレンは振り返るが、既に遅し、避けることのできる距離ではない。
しかし、彼女は避けようとはしなかった。飛んでくる剣から目を逸らさずに、手にした扇で剣を弾いて見せたのだ。おそらく扇に何らかの魔術がかけられていたのだろう。
カルザはもう一度投げつけようとしたが、無駄だろうと思いなおしてやめる。不意打ちですらしのいでみせた相手に、正面からやって通じる道理などない。
(ルレンサ正軍師、タオ・シャオレン・・・。まあ、次の楽しみが増えたということにするか。)
そう独白すると、しつこく追いすがってくる矢を苦もなく弾き返し、最後に「遅れたものはいないな!」と言って撤退を確認して彼は馬を引いた。
初陣での勝利にシルシキの兵たちは歓声をあげる。
その日の夜、ラングレイから出発したルレンサの将軍ボルテンが率いる援軍2万が無事にグランディアに到着。グランディアの兵力は6万に膨れ上がった。