みえてきたもの
「イシガンは再び帝国領に侵攻した。以前隙を突く形で侵攻したヘイトスもユーリア第一王子を中心に予想以上の奮戦を見せておる。正直な話、ここまでよい状況で反撃を開始できるとは思っておらんかった。」
「まずはグランディアの奪回ね。その後は各国と連携しての帝国包囲網の形成、ここまでを迅速に行わなければならないわ。」
軍議の場。シャオレンが言ったことを引き継いでシンシアがこれからの方針を述べた。
「各所、特にイシガンとのとの戦場に対応するため帝国は再び将と兵力を散らし始めました。今グランディアを攻撃してもランセイアの時のような強力無比な将の軍団を相手にすることはないでしょう。」
エニマがそう言った時、サイアが手を上げた。
「黒騎士は間違いなく戦場に出てくるだろうね?」
「保証はないですが、グランディアにいるならば必ず出てくるのではないですか?黒騎士とはそういうものでしょう。」
「その黒騎士の相手、私に務めさせてもらいたい。そのために、必要な場合には他の者に部隊の指揮権を譲渡する権利を。私と奴は決着をつけなくてはならない。」
あんたもともと従者に指揮任せっぱなしだったじゃないですか、その場にいた皆がそう思ったし、それを批判する者もほとんどいない。
サイアの身勝手を最も問題視しているのはルレンサ軍で最大の人望を集める老将軍だ。サイア・アルレイはボルト将軍に喧嘩をふっかけるつもりか、周囲は戦慄した。
「はて、お前は今までも勝手に部隊の放棄していたはずだが?」
案の定、ボルテンが声を上げた。そこに友好的な響きはほとんどない。
「ですから、私も反省しまして。次は許可を取ってからにしようかと。」
悪びれもせずにそう言い放つサイアに、ついにボルテンの堪忍袋の尾が切れたようだった。
「わしはお前の出陣自体を取りやめさせたい。貴様は帝国とつながっている可能性がある。」
「何を言ってるんだ。」
これにはサイアの方が驚いた。批判される覚悟はあっても、内通を疑われる謂れなどない。
「確実にとどめを刺せる状況で貴様に斬りかかった黒騎士は、貴様と何か話してその場を立ち去って行ったそうではないか?内通を疑われても仕方ないと思うが?」
ざわざわと周囲に動揺が広がる。こういう時に根無し草のアルレイの自分は不利だと思う。アルレイの財産は全てがきれいな方法で得たものではない。内通者として国に取り入り、その国を滅ぼした者もいる。
あの状況、確かに疑われる可能性がないわけではなかった、この老将軍の情報網、人望を甘く見過ぎていたか……サイアは歯ぎしりする。
「静かになさい。」
その時、凛と透き通った美しい声が響き渡った。シンシアだった。
「サイアは裏切りなどする人ではないわ。それは私のこの両手が一番よく知っています。」
「しかし、姫様、状況は明らかに……」
「……サイア、皆に説明することはできないのかしら。」
サイアは首を振った。黒騎士の真意など自分の口から語ったところで如何ほどの説得力があるだろうか。何より、これは彼女の口から語られるべきことだ。
「申し訳ないが、説明できない。説明しないではなく、できないのです。……だが、私と黒騎士は決着をつけなくてはならないのです。」
自分でも子供であるということはわかっている。戦いの議論の場でこんな理論が通っていいはずはない。だが、通さなければならないのだ。
「全てを終えた後、説明してくれますか?」
「必ず。」
サイアはこれには即答する。どの道明らかにしなければならないはずだ。
「……わかりました。この件は一時不問とします。」
「よいのか?」
今まで黙っていたシャオレンがここで初めて声をあげた。よい合いの手を入れてくれた、と言いたげにシンシアが微笑んだ。
「勿論よ。私は臣下が嘘をついているかどうかぐらいはわかるつもりよ。」
その後の軍議は険悪の中で終了した。とりあえず、グランディアの奪回に向けて動き出す、ということは決まったものの、具体的なことは何一つ決まらず。
不味いことになった、とサイアも思う。ボルテンもなにもあのような場で言い出す必要はないだろうに。彼がそう言えば信じてしまう将がこの国には少なくないのである。
相も変わらずサイアに厳しい視線を向けて退室したボルテンに続いて、サイアもその場を去ろうとする。その時、シンシアが彼の名を呼んだ。
思わず振り返ってしまう。別に声をかけられるのを待っていたわけではないのだが、声が明るくなるのを抑えられなかった。少し恥ずかしい。
「私はただひたすらに、あなたを信じています。」
「あまり気を悪くするでないぞ。ほれ、これをやるから。」
シャオレンはそう言って、初対面の時もらったものと同じであろう餅を投げてきた。
兵の調練を終え、(なぜかやらなくてはならない)書類仕事を終え、ようやく夜を迎えることができた。なんとなく屋敷の裏をぶらついてサイアは見慣れた特徴のある人影を見つけた。
いつも通り色鮮やかな着物を身にまとった小柄な少女が、ベンチに腰かけていた。声をかけようと思ったが、近づいてみてその異変に気付いた。彼が近づいても反応しようとしない。よく見てみると彼女はうとうとと眠りについていた。
どうしたものか、と考える。別に放置しても危険はないだろうが、季節はまだ初春。置いて行ったら風邪をひいてしまうかもしれない。一応は貴族の生まれ、サイアはそういうことに関しては敏感であった。
仕方がない、マントでもかけておいてやるか……。と本家の親族たちが聞いたら怒りだしそうなことを考えながら彼がシャオレンに歩み寄ったその時だった。
彼女が呻くように声をあげたのだ。
「父様……母様……姉様…ごめんなさい…シャオは、シャオは…!」
どうやらうなされているようだが、サイアはどうすればいいのかわからずおろおろするばかり。その時、シャオレンが突如目を覚ました。2人の視線が合う。数瞬の硬直の後、シャオレンはぎょっ、した表情でずり下がった。
「な、なんじゃサイア。わしの寝顔など見ても面白くなかろうに……」
と言うより、わしは寝ておったのか……とぶつぶつ呟いていたシャオレンは、何かに気付いたかのようにバッ、と振り向いた。
「まさか……」
「どうしました?」
尋常でない様子のシャオレンにサイアも警戒態勢をとる。
「お主、あれか。ロリコンという奴なのか?危うくわしはお主に襲われるところだったというわけじゃ……」
ああおそろしいおそろしい、これもわしの美しさと色気の罪か……。およよ、と嘆くシャオレン。違いますって、と弁明を続けるサイアを無視して彼女はしばらくの間嘘泣きを続けてくれたのだった。
「……で、実際はわしに何の用じゃ?」
ようやくふざけるのをやめたシャオレンがベンチに座りなおして言った。お主も座らんか、と自分の横を指差した。
「別に用があったわけじゃないんですが……」
言われたとおりに腰掛けながらサイアは続けた。
「あなたは私を疑っていないのですか?」
「姫様がお主を疑っておらぬから、わしもお主を信じる。と言う建前とわしの本音、どちらが望みじゃ?」
「もちろん本音の方で」
サイアは即答する。一瞬迷った素振りを見せたが、彼女は答えてくれた。
「正直なところはお主が……」
「ええ」
「内通などできるほど器用な男には思えぬのじゃ。だからわしはお主のことをこれっぽちも疑っておらぬよ」
理由がすごく残念なんですが、複雑な目で睨みつけたサイアに向かって褒めているのじゃぞ、とシャオレンは続けた。
「ボルトのことは許してやってくれ。あやつはそういう男じゃ、悪意はない」
わしも仕官したばかりの頃は散々言われたものじゃ、そう言って彼女は立ち上がった。
サイアがその背中に声をかけた。
「そう言えば、先程うなされていたようですが……家族の方は、どこに?」
シャオレンがぴたり、とその歩みを止めた。
「もう、誰も生きてはおらぬ。昔の話じゃ」
振り返っては、もらえなかった。