決着、そして
やはり、あの違和感は本物だったのだ。サイアが叫んだ時にアイシャはそう悟らざるを得なかった。
シンシアとサイアが初めて顔を合わせた際に名前で呼んだ時に、彼女の主人が身にまとう雰囲気を変質させたのを彼女は敏感に感じ取った。
他人には絶対に感じ取れない程度の変化でも、幼い頃から共に育ってきた自分なら察することができる。
それと同時に軽い嫉妬を感じることも禁じ得なかった。サイア様を名前で呼ぶのは唯一自分だけのはずなのに……。
「言ってくれるな。誰が弱者だって?」
自分の渾身の一撃を身じろぎひとつせず受けた相手に違和感を覚えつつも、サイアはそれを外面に出すことはしなかった。十字槍を構えなおしてカルザは言う。
「貴様はアルレイという名の重圧から逃げていただけだ。俺の国に弱き騎士は必要ない。不愉快だ、消えろ!」
カルザが繰り出したその一撃をサイアはよけることができなかった。すんでのところで受け止め叫び返す。
「私は逃げたのではない!アルレイの長子ではなく、サイアとして戦いたいと思っただけだ!」
「ならばその戦い、ここで終わりにしてやろう!」
カルザがまたも槍を繰り出してくる。背後から襲いかかってくるアイシャを防ぎつつ、サイアに猛攻をかけてくる。後退を余儀なくされるサイアだったが、何とかカルザの一撃を受け止めた。
「私は勝つ!勝って先に進ませてもらう!」
十字槍の刃に炎剣を引っかけ、弾く。炎剣の刀身を炎が渦巻いたかと思うと、サイアは鋭い突きを繰り出す。
だが、その突きはカルザに素手で受け止められた。
「なっ!」
「器用だが、非力だな。」
火自体に殺傷能力はないとは言え、燃え盛る刀身を掴むなど並みの胆力でできることではない。カルザに疲れた炎剣はビクともしない。距離をとろうにもそのためには炎剣を手放さなければならない。だが、さすがにそれは……
サイアがそう逡巡している間に、カルザは槍を構えなおしていた。だが、その槍にアイシャが飛びついた。カルザの手から力が抜けたのを見てサイアが炎剣を引く。
「くっ!先ほどからわずらわしいぞ!」
カルザは槍を振り回し、アイシャを弾き飛ばした。サイアは彼女を受け止めるが2人まとめて吹っ飛ばされる。倒れた2人にカルザが襲いかかるが、彼は唐突にその足を止めた。
彼の前方に光の矢が突き刺さった。カルザはさらに後退し、眼前を通過していく居合の剣閃をかわす。
「次から次へと……」
カルザに攻撃を仕掛けたのはエニマとゲンシンだった。この2人がこの戦場に戻ってきたということは、他の戦場は大勢が決まったということだろう。
「どうする?4対1でやるかい?」
ゲンシンが刀をくるくると回しながら皇帝を挑発するが、流石にこれには乗ってこなかった。
今でさえギリギリを踏み越えそうな戦いなのだ。これ以上同時に相手する敵を増やすわけにはいかない。
「……悔しいが今回は引いておこう。貴様らの勝ちだ。誇るがいい。」
最後までランセイア市内に居座っていたカルザの皇騎兵は撤退した。ルレンサ軍はランセイアの防衛に成功したことになる。
無事ですか、サイア・アルレイ。」
地面に座り込んだまま立ち上がらないサイアにエニマが声をかけた。呻くように力なくサイアが答える。もう流石に限界だった。これ以上は戦えそうにない。
「……助けてもらえるとは思ってなかった。」
「仮にも同じ君主に仕える将なのですから、助けるのが当然でしょう?」
「素直じゃないねえ。」
そう茶化したゲンシンを一睨みで黙らせると、エニマはサイアに手を差し伸べながら言った。
「しかし、サイア…」
「何でしょう?」
サイアもその手をとろうとする。
「あなたは、意外と純情な男なのですね。」
「はぁ!?」
いつものクールな外面はどこへやら、サイアは間抜け面を晒して素っ頓狂な声を上げる。どこにそんな力が残っていたのか、一息に立ち上がった。
「いや~。サイア、お前は意外と面白いやつだったんだな。」
くっくっ、と笑いながらゲンシンまでそんなことを言い出す始末。
……待て、サイアだと?
「おい、少し待ってくれ、まさか、2人とも……」
「いや~、悪いね~。聞こえちまったよ。」
「あれほど大きな声で叫んでいたのですから、当然そのつもりだったのでしょう。」
穴があったら入りたい、とはこのことだ。そう言えば、周りから見守る兵士たちの目もどこか親しみを感じさせるものになった気がする。
思わず、下を向いたサイアはそのまま地面が近づいてくるのを感じた。
(ああ……そう言えば重傷人だったな、自分)
「サイア様!」と悲鳴を上げるように言ったアイシャを始めとして皆が近寄ってくるのを感じながら、サイアはついに再びその意識を手放した。
ランセイアからグランディアの帰路。久しぶりの敗戦にも関わらず、兵士たちの足取りは決して重くなかった。次は自分たちが勝つ、カルザから一兵卒に至るまで全員がそう確信していたからだ。流石にルレンサ軍の追撃があるとは思えない状況であったのでゆっくりと行軍している。
その隊列に100騎程の騎馬隊が近寄ってくる。ボルテン隊を始めとするルレンサ軍との激戦を潜り抜けて帰還したミシェル隊であった。
「ご苦労だった。」
「全く、流石に今回は骨が折れたよ…。後で兵たちをしっかりねぎらってやってくれ。」
「わかっている。当然だ。」
「……しかし、久々に負けたねぇ。」
「戦なのだ、負けることもあるだろう……。構わんさ、次は勝つ。」
皇帝とその盟友は並び立って馬を進めていく。
「シルシキは未だグランディアを狙って兵を引いてない。ルレンサ軍と共に攻め込んでくるだろう。全力で撃退する。」
「御意。次の勝利のため、僕らは協力を惜しまないよ。」
戦後処理の圧倒的多忙さに皆が追われる中、サイア・アルレイの任官の儀が行われることになった。
シャオレンやボルテン、クルス、エニマ、ゲンシンなどが見守る中、ルレンサが所有する屋敷の大広間で、サイアはシンシアに跪いていた。
「汝、サイア・アルレイよ。ルレンサの剣となり、盾となりて仕えることを誓うか?」
そう問いかけたシンシアにサイアは顔を上げ、鞘に収めたままの炎剣を差し出した。
経過を見守る人々の表情が一様に心配そうなそれに変わる。本来の儀式の手順ならばこの後、君主が新たな騎士の剣を抜き、刀身(つまり騎士の誓い)に曇りがないことを確かめるのだが、炎剣はアルレイの当主にふさわしくない者が握ればその手を焼きつくすという。実際、アルレイの当主を召し抱える時は儀式のこの手順を省略するのが通例だ。
シンシアもそれを知らないはずはない、どうするつもりだ……。
そんな周囲の心配など気にしない様子で、シンシアあ迷いなく炎剣を抜き放った。
もちろん、炎剣の刀身が火炎に包まれる。サイアですら熱除けのグローブを身に着けていないとつらいほどの熱だ。素手で持つシンシアの苦しみは尋常ではないだろう。思わず、と言わんばかりに立ち上がったルレンサの人々をシャオレンが一喝した。
「静かにせんか!神聖な儀式の最中じゃぞ!」
押し黙る周囲を横目にシンシアは儀式を続行する。燃え盛る刀身、そこに一点の曇りもないことを確認すると、シンシアは炎剣を鞘に収めなおした。
「汝の誓い、真実であること、ルレンサ君主、シンシア・セレスティナは認めます。」
シンシアが差し出した炎剣を、サイアは顔を上げると両手で受け取った。
「感謝いたします。私の命、あなたと、国と、民のために。」
シンシアが差し伸べた手をとって、サイアは立ち上がる。手のひらはひどい火傷を負っていた。
痛みなど全く感じさせない微笑みを湛えて、シンシアは言った。
「サイア、あなたを私たちの国の騎士として迎えます。あなたと、この国の未来に幸多からんことを。」
「このサイア・アルレイ。姫様のご期待に添えるよう、最大限の努力をいたしましょう。」
最大限の敬意を払いつつサイアは答えた。この姫はサイアが自分に入れ込んでいる理由を知らないだろう。それぐらい彼女にとってあれは当たり前のことだったのだ。
ありがとうございます。私を見てくれて。彼女の手の様子を心配する人々が集まり始めたため、サイアのその思いが伝わったのかはわからない。
だがこの君主のためなら戦える。サイアはその時、そう思ったのだ。
ランセイア決戦からちょうど1週間、サイア・アルレイは正式にルレンサに任官した。