邂逅
サイアはこの王宮の広さを今ほど恨めしく思ったことはなかった。全力で走り続けて数分、彼はようやく一階の大広間にたどりついた。後は真紅の絨毯に覆われた階段を登り切れば謁見の間に入ることができる。脇目も振らずに駆け上がり、扉を開け放つ。
だが、そこに待ち構えていたのは彼の期待とは180度異なるものだった。
「……なんだ、これは。」
鼻をつく濃密な鉄のにおい。床は絨毯のそれとは違う赤に染まっている。さらに、そこら中に倒れ伏す王の護衛を務めていたいた兵たち。
なにより、部屋の中央に立つ小柄な黒い鎧の騎士が左手に持つのは……
「――!」
それが何かなのを把握することを彼の意識は拒否した。代わりに彼は携えた剣の柄に手をやり、前に出る。サイアが向かってくるのに気付いた騎士は左手につかんだ王の首を興味を失ったように投げ捨てると、剣を構えた。
それと同時に、サイアが開いていた距離を一瞬で詰め、斜め下から抜き放つ。サイアが鞘から抜いたその瞬間、その刀身が爆発したかのように炎に包まれた。直撃すれば鎧など易々と打ち砕き致命傷を与え、まともに打ち合えばどんな名刀でも一撃で叩き折ると謳われるアルレイ家の家宝、『炎剣』。
サイアの剣の腕とその性能は合わさり、まさに必殺の一撃、というところだろうか。
だが、その一撃を相手は身をひねりながら手にした剣で受け流すと、勢いを殺さずに胴に打ち込んできた。
ガキィン!
なんとか受け止めたものの、腕が痺れた。子供程度の体格から放たれる一撃ではない、サイアは我知らず戦慄した。
(―--この体格で、どういう力だよ!)
たまらず距離をとり、自分の頭を叱り飛ばす。
怒りに駆られて相手を確かめもせずに斬りかかるなど自殺行為も甚だしい。
数十人はいた王の護衛を単騎で、しかもわずか数分で殲滅したことと、炎剣の一撃をしのいだ先ほどの手際から判断して、並々ならぬ実力の持ち主であることは疑いが無い。
そして、全身を覆うその漆黒の鎧。顔まで鉄の仮面まで見せないようにするという徹底ぶりだった。
「黒騎士か……!」
ディストリア帝国の『三剣聖』と呼ばれる将の一人。圧倒的な剣の腕前と、捕虜や女子供であっても皆殺しにする残酷さで悪名を得ている。その正体は不明だが、ここ2、3年で急速に頭角を現した将である。
広大な戦線を抱える帝国は将を各地に散らしているはずだ。
黒騎士ほどの有力な将がなぜこんな確実に勝利できる戦場に配置されているのか、サイアは頭をひねらざるを得ない。
「その剣……。アルレイ家の長子、サイア・アルレイですか。」
彼の右手にあり炎を放ち続ける炎剣に目をやって黒騎士は言った。何の感情も感じさせない、恐ろしく抑揚のない声であった。
「だったらどうした?」
「この世界にとっての害悪。世界のために抹殺する。」
「なんだと?」
黒騎士の纏う空気が憎しみのそれに変質する。そして、剣を構えなおすと呟くように言った。
「死んで。」
血の跳ねる音がした次の瞬間、黒騎士はサイアの目の前で剣を振りおろしていた。
「ちいっ!」
咄嗟に剣を振り上げてはじき返し、がら空きになった胸に突きを繰り出す。
だが、黒騎士の反応速度は彼の予想をはるかに上回っていた。崩れた姿勢を一瞬で立て直した黒騎士に突きは易々と受け止められ、鍔迫り合いになる。
相変わらず信じがたい力だった。背丈の力を活かして押し込もうとするサイアに対し、炎剣の放つ炎をものともせずに拮抗した力で押し返してくる。
「死んで、って言ったよ?」
突如として黒騎士の力が増し、サイアの手から剣を弾き飛ばした。
返す刀で振り下ろされた剣をガントレットで受け止めようとするが、互いに達人級の戦いではそんな防御はほとんど意味をなさない。
案の定、黒騎士の剣は鉄製のガントレットごとサイアの右腕を易々と斬り裂いた。
だが、彼には痛みを感じる暇すら与えられない。黒騎士は間をおかずにとどめの一撃を繰り出す。
1対1なら確実に殺されていただろうし、彼もそれを覚悟した。
しかし、黒騎士がサイアの首を狙った一撃を振るおうとした瞬間、風を切る音と共に一振りの短剣が黒騎士の手首に直撃した。鎧に弾かれ外傷こそ与えなかったものの、流石の黒騎士もこれには剣を落としてしまう。そして、その隙を見逃すサイアではない。
渾身の力を込めて胸部を蹴り飛ばす。
どんな技術を持っていようが、体重の差だけは誤魔化せない。骨の折れる耳障りな音と共に小柄な黒騎士の体は宙を舞った。大きな音と共に地に叩きつけられた後、即座に立ちあがろうとするが、途端に胸を押さえてうずくまった。当然である。格闘術の心得のある者の全力の蹴りを急所に受けて意識があるほうがおかしい。そのあたりは鎧越しにも関わらずその威力の蹴りを放てるサイアを称えるべきだろうか。
「サイア様!」
窓から正確極まりない狙いで短剣を投げつけたアイシャが彼の名を呼ぶ。美しかった銀髪は血で汚れ、頬には切り傷を受けていた。
「外はどうなった?」
黒騎士に向けた注意を逸らさずに返事をした。
アイシャがここにいるということは、聞くまでもなく結果はわかりきっている。が、それでも彼は聞いて、事実を知っておきたかったのだ。そうでもしないと自らを滅ぼすことになる闘いを続けてしまいそうだったから。
「サイア様が戦線を離れて数分後、『壊王』の手によって門を突破され、前後から挟撃を受けました。兵の大半は降伏、残ったわずかな兵が抵抗を続けていますが・・・。」
黒騎士と同じく三剣聖の1人、『壊王』、ガンツ・ダルケント。嫌気が差すほど豪華な面子である。なるほど、あの男がいるなら城門があっさり破れるわけだ。
「一刻の猶予もない、か。・・・混乱に紛れてこの城を脱出しよう。」
地に落ちてもなお燃え続ける炎剣を拾い上げ、鞘に収めながらサイアは言った。
「よろしいので?ここで殺しておいた方が。」
後に禍根を残さずに済みます。アイシャは黒騎士に目をやり、当然とも言える疑問を口にした。
「そうしたいとこだけど、時間不足だな。手負いとはいえ、あいつはそうあっさり死んでくれる奴じゃない。」
黒騎士は剣の鞘に手をやり、油断なく2人の動きを見つめていた。
「本気ですか?二人がかりなら……。」
「とにかくいい。時間が惜しい、早く行こう。」
サイアは走り出し、アイシャもその後を追う。黒騎士は思わずと言う風に立ちあがり後を追おうとしたが、果たせずに倒れ伏す。黙って2人の去って行く足音を聞いているしかなかった。
その数十分後、最後まで抵抗を続けていた将兵が討ち死にし、王城は名実ともに陥落。その直後、カルザはただちに旧カムレア領を帝国に併合することを宣言、カムレアと帝国の三カ月にわたる戦争は幕を閉じたのだった。
村が燃えていた。人を、家畜を、家を炎が飲みこんでいく。彼女は崖の上からそれを見守っていた。彼女の瞳に揺らめく炎が映る。悪夢としか言いようのない光景を前にして、彼女はまるで壊れたように笑っていた。
トルマンク陥落の数時間後、夕日が空を赤く染める頃、戦傷者を治療するために臨時で用意された療養所の一室。ベッドの上に寝ていた1人の少女が目を覚ました。見たところ年は14,5歳程だろうか、短く無遠慮に切りそろえられた髪が特徴的だ。彼女は日が落ちかけていることを確認し、嘆息する。
あのアルレイの男に蹴られたのが思った以上に利いていたらしい。横になった途端数時間寝込んでしまったようだ。
自分ともあろうものが情けない。殺そうと思った相手を仕留めそこなったことなど久しぶりだ。床に立てかけてあった剣を抜くと、その刀身に映った自分の顔を見つめる。血に濡れ続けたことで赤黒く染まった刀身の中から、彼女の瞳は奈落に続くような闇の色で自分を見つめ返してきた。
しばらくそうしていると、部屋の外から緊張した面持ちで1人の兵士が入って来た。
「キリ・フリッシュ様、皇帝陛下がおよびです。・・・って、ご不在ですか?」
部屋の中にいるのが少女一人だと気付いた彼はあからさまにほっとした顔をする。黒騎士の評判を考えればまあ仕方がないというところか。
「えーっと君、キリ様の従者か何かかい?」
だが、そのなれなれしく近寄って来る態度が彼女をいらだたせた。
「いるじゃないですか。黒騎士なら。」
「は?」
「目の前に。」
ヒュン!
彼に次に起こった事態を認識する時間は与えられなかった。斬られたのだ、と気づき、目の前の少女こそが黒騎士なのだと認識した時には、彼は床に倒れ伏し、意識が闇に飲まれる寸前だった。
「あの、キリ様、自軍の兵をそうむやみに斬られては私が困るんですが・・・。始末書を書いて後任を選定する私の身にもなってくださいよ。」
そう言いながら続けて入って来たのは、軍服を来た真面目そうな青年。黒騎士キリの副官、ファウムである。ため息をついて惨劇を確認する。
「知ったことじゃない。それよりも、カルザをここに呼んで。なぜ私があいつの所にわざわざ出向いてやらなければならないの?」
「そう言われると思って、既に呼んでおきましたよ。」
「・・・貴様の主義主張は理解しているつもりだが、お前は俺の家臣だ。最低限の節度は守ってもらいたいものだな。」
部屋に入って来たのは、鋭い眼光を湛えた目と紅の長髪が目立つ皇帝、カルザだった。
「あなたがそこにいるあたり、私の行動は黙認されていると考えてよいのですか?」
「今回は貴様の怪我を気遣ってやっただけだ、次はないぞ。・・・で、体の調子は?」
どうでもいいことだ、と言わんばかりに話を流してカルザは聞いた。ちなみに、黒騎士、キリ・フリッシュの所に向かった兵が文字通りの意味で帰らぬ人となってしまうのは珍しいことではない。黒騎士の正体を知ってしまった場合は特に。そして、そのリスクを負ってでも黒騎士を配下に収めておきたいというのがカルザの意向であった。
「5割、というところでしょうか。胴を飛ばしたつもりだったんですけどね。」
兵士の死体を一瞥して彼女は言った。カルザはそうか、と頷いて答える。
「二日間は休んでおけ。その後はグランディア侵攻部隊の一員として出陣してもらう。」
グランディア。トルマンクの北方にある要塞都市である。シルシキ通商連合国とルレンサの同盟軍の戦略上の要となる地点で、両国が共同で防衛についているはずだ。
「御意。」
彼女が頭を下げそう言う。黒騎士に頭を下げさせることができる人間など、この大陸中を探しても彼以外にはいないだろう。カルザは「任せたぞ。」と満足気に言い残して部屋を後にする。
「ああ、兵の遺体は後で処理しておきますから。それでは。」
ファウムも後に続いて部屋を出て行く。
残された彼女はもう一度眠りにつこうとして、窓ガラスに映った自分の姿に気付いた。
―そう、自分にはやはり、血に濡れた姿が似合っている。
にい、と唇を無意識の内に歪めて彼女は1人嗤ったのだった。