策士策に……?
ついに戦端が開かれた。開戦と同時にシンシアの部隊が動きを見せる。君主が先鋒を務めるという異様な戦術。帝国軍の中ではカルザとミシェルのみがこの動きに即座に対応した。ミシェルが護衛を排除し、カルザが王女を仕留める。一切の連絡がなくとも、二人の意思は完全に一致した。10万に迫る帝国軍の軍勢の後部から二つの騎馬隊が光速の如き速度で 前進を開始する。
一方、皇騎兵隊と激突した瞬間に、シンシアは実力の差を思い知った。報告の通り、まともに戦って勝てる相手ではない。だが、1体1で勝てないのは作戦の内。そして、これからこの作戦で最も重要かつ危険な段階に入る。シンシアは帝国兵の狙いが自分に向いていることを再確認すると、数騎の兵と共に戦場を脱出した。
「やめろ、追うんじゃない!明らかに罠だ!」
カルザが声を上げるが、功名心に逸る兵士たちを押しとどめることはできない。仕方がない、と息を一つつくと、彼は邪魔をするルレンサ兵を槍で薙ぎ払いながらシンシアは追った。
その時、もし天の上から戦場の様子を見ることができる者がいたなら、シンシア隊を追うカルザの皇騎兵隊を囲うように動くルレンサ軍を確認することができただろう。まるで一つの生物であるかのように動くルレンサ軍を確認することができただろう。まるで一つの生物であるかのように動くその軍勢は、個々の力では劣っていても固い絆で結ばれているというルレンサ軍を象徴するものだった。
「姫が身を危険にさらしてまで行う作戦じゃ。必ず成功させなければならぬ。」
「心配要素が一つありますが……。」
その光景を見つめつつ、シャオレンとアニマが言った。
「…誰か噂してるな。」
実際のところ、サイアに対して誰かが心配する必要などなかった。そんなことをされずとも、彼には作戦において自分に与えられた役割を完全に遂行する能力が彼には備わっていた。サイアの率いる部隊はシンシアの部隊のちょうど対角線上に位置し、脱出を図るであろう皇騎兵隊を足止めするのが任務だ。皇騎兵と対等に渡り合うことができる実力を持つ者でなければ勤まらない過酷な役割である。
「迅速さが命だ!敵に構うな、隊列を乱さず素早く行動することが第一だと思え!」
そう指示を飛ばしながら部隊の先頭を走るサイアを、突如黒い影が襲った。
「サイア様、危ない!」
後ろからついてきていたアイシャがそう叫ぶのが一拍遅れていたなら、一撃で死んでいたかもしれない。気配すら感じさせない、見事な奇襲であった。
「くっ!」
馬の背から飛びのいてその一撃を躱す。空を切ったその斬撃は代わりにサイアが乗っていた馬を両断した。
借り物の馬を……、と毒づく間もなく馬の骸を飛び越えて襲撃者が襲いかかってきた。わざわざ姿を確認するまでもなく、その正体は明らかだ。敵部隊の中に単騎で平然と乗り込んでくる気違いなどサイアは1人しか知らない。
「警告はしたはずだぞ……!」
「忘れたわ、そんなの。」
素早く起き上がったサイアが黒騎士の一撃を受け止める。しかし黒騎士の片手は自らの剣の鞘を握りしめていた。横なぎに振り抜かれたそれがサイアの頭上を通過し、髪に掠って乾いた音を立てた。
サイアの剣から力が抜けた一瞬の隙を逃がさず、剣を戻した黒騎士が鋭い突きを繰り出す!
なんとか受け止めるものの、大きくよろめいてしまうサイア。そして、仮面を身に着けたキリ、黒騎士はそれを見逃すほど優しくはなかった。黒騎士の一振りがサイアを袈裟懸けに斬り裂いた。
黒騎士が現れ、サイアがその身に一撃を受けるまでの10秒に満たない間、アイシャ以下サイア隊の人々はその場を一歩も動くことができなかった。
「ふふふ……。よかったね、これで、また一歩サイアの言う平和に近づいたよ。」
「貴様ぁ!」
黒騎士の声をかき消さんという勢いでアイシャが叫ぶ。黒騎士がそちらに気をとられた瞬間、跳ね起きたサイアが後ろから強烈な一撃を叩き込んだ。
黒騎士は咄嗟に反応し剣で受け止めるが、炎剣の衝突による爆発は防御ごと彼女を吹き飛ばした。完全な不意打ちである。それだけ彼が追い詰められているということであった。血を流しながら立ち上がった彼はアイシャに向かって言った。
「悪いが、指揮は任せる。私に代わって作戦を遂行してくれ。」
「ですが、そのお怪我では……!」
「作戦の遂行が第一だ。どこか一部隊でもへまをしたらこの作戦は失敗する。そして、こいつは作戦の障害にしかならない。」
力を込めてサイアは言う。滴り落ちる血が痛々しい。
「すぐに決着をつけて追う。ためらわずに行け」
「かしこまりました。ですが、私の指揮能力はサイア様にはるかに劣ります。できるだけお早く……」
そう言い残してアイシャはサイアの代わりに指揮官となって部隊を率いて行く。黒騎士はそれには目もくれない。
「平和への道のりは長い。私も忙しいんだ。すぐに決着つけてあげるよ。」
黒騎士がそう言い終わる前にサイアは突撃していた。とりあえず、この場から移動しなければ兵士たちは行軍することもままならない。
「く……馬鹿力め。」
黒騎士は素早く重心をずらすと、一瞬でサイアの後ろに回り込み強烈な一撃をお見舞いする。だが、完全に視界外からの一撃をサイアはまるで見えているかのように受け止めた。カウンターをかわしつつも、黒騎士は焦りを禁じ得なかった。馬鹿な、この男のどこにそんな力が残っているのか。先ほどの自分の一撃は間違いなくこの男に重傷を与えたはずだ。自分の動きについてこられるはずがない。
サイアが剣を振るうたびに炎が吹き荒れ二人の体を焦がす。彼女の強迅な意思はその熱を意に介さなかったが、身体の方はそうもいかない。少しづつだが確実に、自分の反応が鈍くなっていくのを彼女は認めざるを得なかった。
(いやだ、私が負けるはずはない!)
仮面によって隠された下、彼女は涙を流さずに泣いていた。
「囲まれたか……、参ったな。」
やはり、罠以外の何物でもなかったのだ。彼は釣り餌が豪華すぎるが故に罠とわかっていても飛び込まなければなかった己の身を呪った。戦場を脱出したシンシア隊を追うこと数分、目標が突然停止したと思った時には既に伏兵に囲まれていた。
一見して包囲を破る隙がないとわかる。ただ勝利を見つめた見事な策と、それを正確に実行するチームワーク。策を発案したのは少女軍師のタオだろうか。
(策士、策に溺れる、だな。)
この頭脳戦をそう結論付けると、彼は種明かしのために兜を脱いで言った。
「生きて帰りたければ、シンシア・セレスティナを討ち取るしかない。総員、攻撃はじめ。」