回想
3年前。
現在の黒騎士となる、キリ・フリッシュは帝国と隣接する国の小さな村に住む少女であった。帝国軍が侵攻してきても彼ら村人たちにはあまり関係がなかった。直接戦乱に巻き込まれでもしない限り、国の頭が変わっても彼らにとっては大した問題ではなかったからだ。そうした考えの下、彼女も父と母、そしてひときわ仲の良かったファン・レイス…ファン兄さんと呼んでいた、とともに幸せに暮らしていた。
だが、ある日を境にその生活は一変してしまう。
母に言われて隣村までのおつかいから帰ってきた彼女を待っていたのは、燃え盛る自分たちの村だった。家屋を、家畜を、人の骸を炎が飲み込んでいく。そして、その中で略奪を働く帝国軍の兵士たち。優しかった両親、親しかった友人たち、そして淡い恋心すら抱いていたファン兄さん。次々と灰になっていくそれらを前にして、彼女はその時初めて、人は楽しい時以外にも笑えることを知った。もっとも、その笑みは彼女の意識を離れた顔面の筋肉が偶然形づくったものだったが。怒りと絶望を燃料に、彼女の中に復讐の炎が燃え盛る。焼け落ちた村の中から、適当に武器になりそうな物を見繕った彼女は帝国軍の部隊を追った。
そしてその日の晩。闇の中の帝国軍の野営地はキリの襲撃により地獄絵図の様相を呈した。剣を振るうのは全くの初めてにもかかわらず、流石は後に黒騎士と呼ばれる程の天才、次々と敵兵を斬り倒していく。
(負けるわけがない、だって、私は正しいんだもの!)
殺戮は数十分に渡って続いたが、幾人の者は逃げおおせたようだった。
その数日後、自身の復讐を終えたキリがあてどもなくさまよっていたっときだった。彼女は再び帝国軍の部隊を目にする機会を得た。が、彼女はそれには反応を示さなかった。彼女の復讐は終わったのだ。
そしらぬ顔で脇を通り過ぎようとする。だがその時、部隊の内側から声が上がった。
「あいつです。あいつが俺たちの部隊を……!」
気付いた時には帝国兵たちに囲まれ、刃を突き付けられていた。彼女を囲む顔のすべてが警戒心、なかには殺意すら浮かべているものもある。部隊長らしい風格の男が進み出て言った。
「彼らの言っていることは本当か?だとしたら、君をこのまま見逃すわけにはいかない。」
この男は一体何を言っているのだろうか。私は正しいことをしただけなのに。キリは心の底から疑いなく、信じている声で言った。
「そうだよ?だってあいつら、私の家族と村を焼いたんだもの。」
「そうか……残念だ。」
男が剣を振り上げる。その瞬間、キリは背負った剣を抜き放ち、袈裟懸けに彼を斬り捨てた。
「貴様っ!」
繰り出された刃を飛び上がってかわすと、着地と同時にさらに数人を斬る。だが、当時の彼女には正面から1対多数戦闘を挑んで勝てる実力はなかった。背中を斬られ、一瞬動きが止まった。容赦ない刃の雨が降り注ぎ、彼女から抵抗する力を奪っていく。
(私、死ぬの……?私は正しいはずなのに、どうして……?)
走馬灯を見る代わりに、そんな疑問が彼女の頭をよぎった。そして、その問は彼女に執拗に刃を振り下ろす兵士たちの顔を見た途端に氷解した。
(そうか、彼らも、私と同、じ……。)
そう思ったのを最後に、彼女の意識は暗黒へと落ちて行った。
次に目が覚めた時、彼女はどこかで柔らかいベットに寝かされていた。ここは天国だろうか。自問するが、それはないとすぐに思い直した。天国なら、体中の傷はここまで痛みはしないだろう。
無念さと寂しさが彼女の胸を埋める。自分はたった一人、この世に残されてしまったらしい。とにかく、ここを脱出した方がよいだろう。まったく周囲の状況がわからないが、仕方ない。そう思い、彼女が布団を出た時だった。
「おや、もうお目覚めですか?」
扉が開く音とともに、1人の男が入ってきた。いや、男だろう、だ。漆黒のフードで顔を隠しているため、その表情をうかがうことはできない。思わずそばにあった花瓶をつかみあげ、警戒の姿勢をとった彼女にその人間が言った。
「そんなに警戒しないでください。私の名はネムルジ。ディストリア帝国軍の軍師長を務めさせてもらっています。珍しい少女を捕えたというので…おっと!」
これ以上聞いていられない、と言わんばかりにキリが投げつけた花瓶を、ネムルジと名乗った男は触れもせずに止めて見せた。つい、と手を動かすと、宙に浮いたままの花瓶はもとに位置に収まった。
「やめておきなさい。今のあなたでは私には傷一つつけられませんよ。何より、私はあなたに危害を加えるつもりはまったくありません。むしろ、私はあなたをスカウトしにきたのです。」
「何ですって?」
「我が軍の部隊と単騎で交戦し、生き残るその腕前、身内に囲っておくに越したことはないでしょう?」
「馬鹿なの?」
姿勢よく立ち、正面からネムルジを見据えて言った。
「私はこの戦争に加担なんてしない。さっさとここから帰らせて。」
揺るがないキリの態度に、ネムルジは困ったようにため息をつく。しかし、その声は逆に喜んでいるいるようだった。
「困りましたね…。私もはいそうですか、と返すわけにはいかない立場なのですよ。そうですね、あなたには個人的な興味もあることですし、少し、話し合いと洒落込みますか?」
何を言い出すのか、と考えたのが彼女の最後の意識になった。ネムルジが彼女に手を向けた瞬間、彼女は爆発的な光に飲み込まれていた。
次に彼女が気付いた時、彼女はどことも知れぬ場所に立っていた。地平線のはるか向こうまで続く乾いた大地。彼女は根源的な不安と恐怖を覚えずにはいられなかった。
「お目覚めですか?どうか落ち着いて話を聞いてください。」
上からネムルジの声が響いてくる。姿は見えないが、彼女は上を向いて言い返した。
「聞く必要はないわ。早く元の場所に帰して。」
しばらくの沈黙の後、再び声が響いてきた。
「やはり、私の話は聞いてもらえませんか。仕方がありません、逆にお尋ねしましょう。あなたはなぜ、我が軍の部隊を襲撃したのですか?」
何を言っているのか。彼女の中の黒い意思が鎌首をもたげた。
「あいつらは私の家族を殺した。当然の復讐よ。」
「あなたはそれを正義だと思っているのですか?」
「もちろん。話は終わりかしら?」
再び、彼女の復讐の炎が燃え上がる。だが、その炎は相手の一言によって水をかけられた。
「なるほど。ではあなたを殺そうとした兵士たちに正義はあったのですか?」
ぐっ、言葉に詰まる。彼らが自分と同じ理由で自分を襲ったことに彼女は気付いていた。
「……彼らもまた正義だった、とでも言えば満足なの?」
彼女がそう答えると、ネムルジは再び彼女の前に姿を現した。思わず掴みかかった彼女を片手でいなしながら彼は言った。
「いいえ、少し違います。私はそもそも正義などという概念自体を怪しいと思っていますし。ほら、あれを見てください。」
ネムルジの指差す方向を見た彼女は絶句した。先程まで暗黒だった空間に鮮やかな映像が映し出されていた。
「これが、私たち人類の送ってきた歴史です。」
王が現れ、倒され、新たな王が現れる。そして、その王も何者かに倒される。弱者に対する弾圧、それに対する復讐。繰り返される戦、戦、戦。到底1人の頭では処理しきれないほどの情報量が一気に流れ込み、彼女の意識がブラックアウトした。
意識を取り戻した時、彼女は先程とまったく同じ姿勢でネムルジと向かい合っていた。
「この世に人間がいる限り、戦争は終わりません。この戦はわれらディストリア帝国の勝利で終わるでしょうが、それで世界が戦が消えるわけではない。この世界で、あなたはどのような結論を見出すのですか?」
うたうように言うと、「あなたが生きていることには、必ず意味がある。それでは、よい返事を期待していますよ。」と言い残してその場を後にする。
1人残された彼女は糸が切れてしまったかのようにその場にへたり込んだ。
復讐は許される。復讐の復讐も許される。では、復讐の復讐の復讐は……?
体を震わせて彼女は泣いた。なんという世界に自分は1人で残されてしまったのか。彼女は泣き続ける。自分の中の涙を絞り尽くすように。
人がいる限り、戦は終わらない。人がいる限り、自分のような悲しみを味わう人間が出続ける。ならば、人間がいなければ……?そうだ、人がいなければ戦は起こらない。彼女はそう思い立った。
自分も逝こう。使命を果たし、彼らと同じ場所へ。彼女は立ち上がり、部屋を出る。帝国最凶の騎士、黒騎士誕生の瞬間であった。
その時、彼女の意識は現実へ引き戻された。撤退を知らせる鐘が鳴り響いていた。