トルマンク攻防
エンブレス大陸のほぼ中央に存在する小国、カムレアの首都、トルマンク。
古代から伝わる美しい石造りの町並みで有名な街だが、現在そこには赤字に金の竜が刺繍された軍旗が無数に翻っていた。
大陸の西方から急速に領土を拡大、今やその半分を手中に収めようとする大国、ディストリア帝国の軍旗である。
都市を囲む城壁を圧倒的な兵力で突破した後、迅速に市街地を制圧し、カムレア側の唯一残された拠点である王城を包囲した軍勢の中に一際目立つ真紅の鎧の男がいた。
ディストリア帝国の若き皇帝、カルザ・ラストラク・ディストリアであった。
「カルザ様、拠点の包囲が完了しました。」
側に控えた眼鏡の女が言う。
それを聞いた皇帝は右手に携えた槍、……赤い十字の刃を持つ重厚な作りのものだ、を高く掲げた。
城を包囲した4万の帝国軍が途端に静寂に包まれた。
次に下される指令を待ちわびるような、そんな嵐の前の静けさ。
カルザは槍に石突で石畳を叩き、号令を下す。
「全軍攻撃を開始!この戦いを以てカムレアの息の根を止める!!」
実際、始まる前から勝負は見えていたと言える。
攻める帝国軍4万に対し、カムレア側の守兵は3千に満たない。
しかも、戦力の底が見えているカムレア側に対し、帝国は後方の複数の都市に数万単位で軍勢を蓄えている。そして何より、カムレア城は防衛に向いた拠点ではない。
建造されたのが平和な時代であったのが原因ではあるのだが、内門などの最低限の設備すら備えていないいないというのは致命的だった。
市街地ゆえに大がかりな攻城兵器が使えないのはせめてもの救いだったが、そんなことは気休めにしかならない。圧倒的の数の差に、いずれ城門を突破されることは明白だった。
通常、城攻めを行う際にはどこか一つの門は攻めずに放置しておくのが原則だ。敵に逃げ道を用意しておいた方が士気の問題から勝ちやすいからなのだが、絶対的自信を持つ帝国軍はそれすら無視して西門と南門の両方から帝国軍は攻めよせていた。
その王城内部。西門で防御に当たっている部隊があった。絶望的な兵数差にも関わらず、兵たちの士気は依然として高く、戦況は一応互角ということができた。
「間を空けずに撃ち続けろ!敵兵を城壁に取り付かせるな!」
自身も次々と弓を放ちながらそう指揮をとるのは、大きな漆黒のマントを肩にかけた青年。
この大陸で黒マントを身につける将など一人しかいない。大陸中にその名を轟かせる軍事貴族の名門、アルレイの家督を継ぐ者、サイア・アルレイだ。
そんな彼に、城壁の階段を駆け上がって来た少女が声をかける。凄まじい怒号と物音が響く戦場にいるというのに、その声がかき消されてしまうことはない。別段声が大きいというわけではなく、そうした空間でもかき消されない発声法を身につけているのだ。
サイアとは対照的に白を基調とした見た目だ。
「やはり、南門はこちらより攻撃の手が緩いようです。兵を回すようを要請しておきました。」
「流石だね、アイシャ。こっちの方が南門より作りが悪い。助かるよ。」
声が聞こえた方を振り返りもせず、サイアが答える。
彼にとっては彼女の声を聞き分けることなど、たとえやかましい戦場であっても朝飯前以前の行為であった。
しかし、アイシャと呼ばれた少女、どう見ても戦場に立つ姿ではない。
サイアの方も鎧と言えるものはガントレットだけという軽装だが、彼女は火の粉を避けるためのフードつきの上着を羽織っただけだ。
腰のベルトにつけた数本の短剣さえなければ、街を歩いていても違和感なく溶け込めるだろう。
「ですが、このままではどうやってもいずれは……。」
アイシャの言いたいことはサイアにも痛いほどわかった。
というより、彼以上に理解している人間はこの城の中にはいないだろう。
「わかってるさ。……だけど、今まで世話になったんだ、最後まで付き合うのが礼儀だろうさ。君は南門の方に加勢していてくれ。」
「了解です。」
それだけ答えると彼女は再び階段を下りていく。
増援が来るのはありがたいが、サイアは呟いた。
何かが引っ掛かる。攻城部隊の軍師は帝国の軍師長のはずだ。
攻城兵器も使わずに城を力で攻めれば、犠牲はどうしても攻める側が多くなる。
そのような下策、あの男がとるとは到底思えなかった。
はたして、その予感は現実となる。
息をきらせてサイアの元にやってきたアイシャが、信じられない情報を伝えたのだ。
「サ、サイア様!大変です!」
「どうした、すでに十二分に大変なんだが。」
「正門を守備していた兵の一部が寝返り、城門の突破を許しました……!」
その時彼を襲った衝撃を想像することは難しくない。
あまりに予想外、そして致命的な事態であった。
迂闊だった。敗北が決まった状態でなおカムレアの側で戦うと決めた者達だ。死を覚悟しているに違いない。
彼は無意識にそう信じ込み、内通の可能性を排除してしまっていた。
「サイア様……。」
アイシャが気遣うような声で言った。
間違いなく状況は絶望的なものだ。このままでは後数分で前後から挟み撃ちされて全滅だろう。
そして、それを避ける術はおそらく存在しない。
またか、またも自分は負けるのか。
数瞬の後、サイアは目を閉じて静かに言った。
まるで、何かに懺悔するかのような声。
「決着はついた。城門が突破された以上、この城は放棄するしかない。俺は陛下を脱出させるから、15分でいい、ここを持たせてくれ。」
「了解です。……お気をつけて。」
アイシャの言葉に頷くと、サイアは王宮に向けて走り出す。
目指すは宮殿の内部、王が待機しているであろう謁見の間だ。
サイアが走り出した直後、付近がにわかに騒がしくなり始めた。
城内に侵入した帝国兵か、寝返ったカムレア兵か、いずれにしても敵が攻めてきたのだろう。
普段はサイアの身を守るのが役目の彼女は兵を指揮するのが得意とは言えない。
だが、主人であるサイアが命じたことなら、どんな困難でも成し遂げて見せる。
それがアルレイに仕えるテネシー家の者である彼女の矜持だった。
彼女はベルトに挿した短剣の内の一本を抜き放ち、声を張り上げた。
「サイア様が戻ってくるまでここを持たせるのです!部隊を二つに分けます、弓を持たない方は私に続いてください!」
城内に敵が侵入したなら、真っ先に王の捕縛を考えるだろう。王の元へ向かっている自分の主がそれらの敵に遭遇する可能性は高い。
サイア様、どうかご無事で……。
短剣を巧みに使いこなし、疾風のごとく戦いながら彼女はそう思った。