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密書  作者: 道林道彦


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1 スクラップアンドビルド

 この話を書いたのは八年ほど前になりますが、そのまま放置していました。重大な欠陥が見つかったからです。いつか手直ししようと、ずるずる引き伸ばしていましたが、一旦終わったものに手を加えるのはハードルが高すぎました。それも全体の節々に絡んだやっかいごとをやり直すなんて。なぜこんなバカな間違いを犯したかというと、たんに忘れていたからでした。


 以下ややネタバレ。

 それは主人公が「仏に逢うては仏を殺し~」(ブッダのイメージが喚起されても無視しろ)の禅の徒であるにもかかわらず、朱子学のような、ものごとの本質という観念を求めたからです。とはいえ彼は正式に教えを受けたわけではなく、習わぬ経は読めぬ野狐禅未満の男なのでセーフとしました。要はメンドくさくなったので、そのままアップした次第です。

 ちなみに、NOVEL RANKというサイトでAI判定80点(笑)でした。挿絵に関しては、ゆるく受け止めてください。

挿絵(By みてみん)


 この小編「密書」の主意とする処は、人間界の諸相を管見かんけんして小乗正聞しょうじょうしょうもん縁覚えんがく外道げどうの類の迷境に参入し、カルマ火宅の万華鏡の面影を小凡下しょうぼんげの筆にうつし見んとするにあり。この着想前古にステレオティピカルなれば、そのスクリーン、ネバーエバーなピクセルを要せずこと至当なり。読者、一染いっせんの好憎に執し給うこと勿れ。Subscribe.

恐惶謹言きょうこうきんげん


 ※この作品は主に「大菩薩峠」中里介山、「意識と本質」井筒俊彦を参考にして書きました。その他の引用につきましては煩わしくなるので省きました。ご了承ください。






 1 スクラップアンドビルド


 彼は新しい町に入った。寺から離れ数箇月が経ち、これが何度目の村かは、彼にはもう分からなくなっていた。

 新しい町に入る。するともう、彼は前に立ち寄った村や町のことなど、きれいさっぱり忘れてしまうのだった。健忘症のように思い返すのが困難というより、その分の空き容量の確保のためだろう。彼のキャパシティは、自分でも驚くほど低くなっていた。

 きみょうな風景だった。古いもの、さほど古くないもの、比較的新しいものが混在し、一様にとり壊され、撤去されようとしていた。その傍から新しいものが、また造られていく。もうもうと煙を立て取り壊されていく棟々。今崩されようとしている家の隣の更地からは、木槌を打つ音が高らかに響き上っている。職人らしからぬラフな姿の人足たちが、敷地に接した境界線上で肩を擦り合うよう作業していた。

 道が汚泥になっている所にぶつかる。飛び越せないので、なるべく浅い隅に足を浸けた。瞬間滑った。黒いヘドロを飛ばし、ショートレンジの瞬間移動をしたようだった。ドギマギした。はまってしまった海藻のような臭いのする黒い粘着質から、足を引っ張り出そうとする。足を取られながら、重たい冷飯草履を引き上げる。裳裾を引き上げ、脚絆に黒を点々と付け渡り切った。

 顏を真っ直ぐにして、誰の視線も受けないようしばらく直歩したが、別に誰も見ていなかったし、見られたって構わなかった。

 立ち止まる。せくような普請と取り壊しのまっただ中、その実態を見極めんと目を凝らした。そこになんらからの法則性が当然あってしかるべきだと思い、目だけでなく、耳を澄まし、匂いを嗅ぎ、五感すべてを研ぎ澄ませてみた。が、なにも見つけられなかった。なにかを仄めかすような暗示すらつかめなかった。

 まず、できたばかりの更地にどこからか、かき集められてきた男たちがワラワラ降り立つ。素人目らも不必要なほどの人数でとりかかる。稀に女も交じっていることがあるが、実質的な仕事はすべて男たちがやる。道端で旗を振るもの、大型の雲梯之機クレーンを操るもの、誘導するもの、それぞれ一名。対象を手でつかまえるもの、対角線上引きの目で見つつ大声を出すもの、双方数名、全体を監視するもの一名などが、それぞれが細分化された仕事をこなす。

 五段の腕を伸ばし、轆轤ウインチを巻き上げ、マッチ棒のような材木が青空に浮かぶのが遠望できる。一階二階と同時進行にフェイクウッドのパネルで空間が塞がれると、姿の見えなくなった別の作業員が内装にとりかかる。外装内装とも熟練を要す作業工程はなく、見たこともない新種の道具が用いられ、着々と滞りなく完成へと近づいていく。

 はめ込み式の内装パーツ、切込みの入ったシール状の壁紙と、同じくシール状のタイルの裏紙を剥がし貼り付ける。ディアゴスティーニより簡易な組み立てキットは手間いらず汚れ知らず、あっという間に仕上がってしまう。一カ月どころか一週間もかからず、家は新工法により一日で完成するのだった。

 最初は単純に古いものを壊し新しいものを作る、スクラップアンドビルド、再建活動のまっさいちゅうだと思っていた。が、しばらくして、様子がちがうことに気がついた。そこかしこに放置されたままの空き家が目立ち、ひどいものになると半ば崩れかけた危険な廃屋もあったからだ。結界のように幾重にも張りめぐらせた荒縄には、外れかかった注意を促す看板がぶら下がっていた。なぜこれらは放置されたままで、新築には余念がないのかといぶかしんだ。

 目の前で展開される奇妙な風景。彼にはこの村の総意が、意図が、皆目見当つかなかった。その目には、村人全員がなんらかの咎を受けているように映っていた。お上から罰でも受けているようでもあり、また、うっすら狂気を孕んでいるようにさえ見えた。迷信じみたもの、神的なもの、よそものを峻拒する慣習のごときもの、とにかく自らの力ではどうにもならぬ、なにか超越的なものが作用しているように。だが一見すればわかるが、彼らから隠し立てする様子は、一切見受けられなかった。一地方人の彼から見ても、地方人らしい愛すべき愚鈍さと苛立たしさがあるのみであった。その背後を窺わせる影すら、終ぞ見られなかった。

 それは耶蘇の国の言い伝えであるヨブやシジフォス、本邦の歴史的奇伝である塀を築いては崩す飛騨の復讐鬼といった、神話や伝説の中でしか起こりえない、それらを地味にスケールダウンしたような、超現実的シュールリアリスティックかつ理不尽な景色だった。

 話してみれば、当人らはいたって淡々としていた。これといって不幸そうでもなく、かといって――被支配層であるところの彼らからしてみれば当たり前の話だが――幸福で満ち足りているといった風でもなかった。村人全体が口裏合わせて秘匿せねばならぬ、なにか後ろ暗いことなど持ち合わせているようには見えなかった。貧すれば鈍するといった、よそ者に対する辺りの険しさもなく、やわらかな物腰と愛想笑いを忘れない余裕があった。

 彼は村人をつかまえ、単刀直入にたずねてみた。しかし、誰も納得のいく答えを返したものはいなかった。彼は歓迎も疎まれもされなかった代わりに、要領を得ないコトバと含み笑いを返されるのが常だった。当初、旅人の僻み癖で、部外者だからと馬鹿にされているようにも思えたが、共同体共通の了解事が他者にも通用する、あの田舎者特有の勘違いとも取れたのだった。

 はぐらかされているのか、からかわれているのか、敵意があるのか、それともべつに他意などないのか。彼は困惑しつつ、案外これでも親身に話してくれているのかもしれない、田舎者にありがちな照れ隠し、もしくは、この地方独特の態度かもしれないぞ、と思い込もうとした。

 むろん個人差はある。一人は妙になれなれしい態度をとったかと思うと、また一人は疎遠な態度をとった。だれがどんなコトバを選ぼうが、口をつぐんで黙んまりを決め込むもうが、結局一緒だった。要するに彼らは、はっきりとした結論を避けるのだ。会話は可能な限り引き延ばされ、とりとめもなく冗長で冗漫なボヤケたセンテンスが連なり、ユーモアを欠く情緒的押しつけがあるばかりだった。

 屈託のない無礼とも取れる村人の態度は、昔の過敏な彼だったら、さぞかしイライラしたことだろうが、今の彼の内面をかき乱すまでには至らなかった。文化的差異の範疇と捉え納得した。自らを動機としない使命は彼を身軽にし、強くした。また旅の窮乏は彼を鈍感にもした。

 要するに誰もわかっていないのだ。誰もいつ始まったか知らず、いつ終わるとも知れないのだ。と結論づけ、彼は考えるのをやめた。

 家の前庭というより往来に長台が置かれたところにさしかかった。黒く焼き焦げた痕が、ところどころにあった。煙草盆たばこぼんと竹の灰吹きが置かれ、傍らに大皿も添えられてあった。煙管キセルを燻らしている初老の男がいた。

「おじさん、ここら辺りに安い宿屋はないかい」

 笑みをたたえ、たずねてみた。

「う~ん、あることはあるが……、どうかな。 はて、あそこの兜屋かぶとやは改築中だったかな。なんなら、おれん家に泊ってくかい、お武家さま」

 くたびれたあさ町直垂まちひたたれをはだけ、ポッコリ出たお腹。袴の紐の下を、ポリポリ掻きながら男は言った。

「おれは武家じゃないよ、ただの乞食坊主だよ(笑)」

 何食わぬ顔で苦笑いしながら言ったが、内心ドキッとしていた。

 幕府公認の宗派の一つである臨済宗りんざいしゅう幼戯派ようぎはは、幕府の外護げご(在俗にあって仏教を保護し助けること)の元、防犯のため旅の際に限って、長脇差を一本帯びることを特別に許可されていた。しかし尾羽うち枯らしたみすぼらしい身なりの上、彼はそれを人前で抜くことをはばかっていた。研ぐ金を惜しみ、錆びつかせてしまっていたからだ。どうせそんな機会など訪れないし、へたな抵抗は損なだけ、そうなったら終いと覚悟していた。一方、彼は思いもよらない歓待にたじろいでもいた。男の申し出が社交辞令だったとしても、その好意に軽いショックを受けた。元来猜疑心の強い彼にして、旅の厳しさが一層それを強くさせていたからだった。だがその副産物である不器用な微笑みは、顔に貼りついたまま崩れることはなかった。

「ここらあたりなら、だれでも泊めてくれますぜ」

「へぇ~そうなのかい。ずいぶん景気がよさそうだな」

 彼は手をかざして辺りを見るふりをした。

「ゴッ」

 ブタッ鼻を鳴らし、

「景気が良いのは、あいつらでしょう」

 と顎で指さしたその先には、かまびすしく立ち動く人足達がいた。

「よそもんなんですよ」

 突然、怒鳴り声が響いた。

「なにやってんだテメェ!」

 臨時雇われの中の年少のリーダー格が、年嵩の者を些細なことで恫喝している。

 白けた空気がながれる。

「なるほど、ヨソモンだ」

 と彼は言った。

「この村のモンじゃないのかい」

「ええ、まあ……」

 男が口を濁したので、べつの方向に水を向けようとしたら、どやどやと仲間がやって来た。

 丸テーブルが持ち出され、ワイワイと白昼堂々賭博ギャンブルが始まった。男女数名でテーブルを囲み、あぶれた者は立ち見で観戦していた。種銭たまがないものは冷やかしながら、あまったものは自分の番が回ってくるのを大人しく待っていた。双六すごろく


その遊戯には木製の駒と陶器の棒、それに鹿の骨の骰子サイコロがつかわれていた。なにかにつけ「ひゃー」と、奇声を発する元気のいい女が一人交じっていた。

「ひゃー、きんちゃん、もう来ちゃったの?」

「ひゃー、じゅんちゃんズルぃ~」

 男たちがもくもくと牌を積み上げている間も、ひっきりなしに一人で喋っていた。そういえば、役人らしい姿はこの街にやって来てから一度も見かけなかったことに気がついた。

 全員服装は貧相だったが、賭け事の種銭には困らない程度の小銭は持っているようだった。ときおり会話の端々に資産運用の話が出て、小口の投資先――といっても彼には大金だが――などの情報交換をしていた。蚊帳の外に置かれ、生来お金に無縁な彼はその場を立ち去った。

 ピシャっと叩くような音がして顔を上げると、子供がぬかるんだ道に倒れこんでいる。頭から泥水につっこんだ歪な姿勢。度肝を抜かれながら、彼はそれへ近づいていく。腰を二等辺三角形に下り、屈み込んだ姿勢は、相撲の立ち合いに似ていなくもない。その幼女は一人でドロ遊びをしていた。

 両手両足前面は黒いドロだらけ。ほっぺたはヒビ割れた灰色がこびりつき、下半身は露わになっていた。その周りをウロつく、痩せこけた子犬か小型犬がいた。同じように足先を黒く全身を灰色にした、みすぼらしい茶色の芝交じりの雑種のようだった。

 ほんのり微笑を浮かべている犬。遊んでもらえることを期待してか、そこらをつかず離れず、ひっきりなしにウロウロしている。離れたり立ち止まったり、また戻ったり。彼女は彼が通り過ぎるまで顔を上げなかった。道を抱え込むような姿勢のまま、地面すれすれに顔を近づけ、一心不乱に土を掻き集めているように見えた。犬は彼にも興味を示したが、通り過ぎるとすぐに諦めた。

 小高い丘に上がる細い道に入った。つづら折りの坂道を登ってゆく。日陰側に来ると、三四間けん以上伸びた、か細いナヨタケが密に茂り、群落をつくっていた。陽が射しこむ林の空き目には、割れた鍋釜、陶器類の欠片、腐って千切れやすそうな黒ずんだ麻縄など、生活ゴミが大量に投棄されていた。

 重なった畳が水分を吸って、腐乱死体のように膨張している。付喪神つくもがみ(器物は百年経つと精霊を宿し付喪神になるとされる古くからの言い伝え)が化けて出そうな光景だが、物持であったためしのない彼には、捨てた者の平凡だが満ち足りた暮らしが偲ばれた。竹藪の奥まった闇に、無人家の影が見えた気がした。

 砂利粒が転がるような小さな音が聞こえてくる。藪の衝立のむこうに沢があり、緩い傾斜を滝のように落ちているのだろう。水辺特有の西瓜みたいな匂いの中に、淡水の水草の生臭ささが混じり合い、うっすら漂ってくる。

 削られた山の斜面に、三つ四つと横幅が広く空いた穴ある。その前面には掻き出された赤土の道が真っ直ぐ伸び、辺りには絵の具のイエローオーカーの匂いがした。おそらくむじな(アナグマ)の類だろう。狐か狸が住んでいるかもしれない。本意ではなかろうが、やつらはタイミングによって巣穴を融通し合うので分かりづらい。ずいぶん前に、彼は山中で狸汁(中身はアナグマ)を進められたことがあったが、べつだん旨いとも不味いとも思わなかった。正直気持ち悪いだけで、なるべく肉を避け、好きな茸ばかり食っていたのを思い出した。フンの匂いに誘発されてか、突然、狸汁の匂いと味覚が蘇り、空腹とあいまって彼は舌なめずりをした。

 たての屋根が見えてきた。この地方を治める地頭の居館きょかんだ。野面積のづらづみの石垣まで来ると、鋭利な岩肌の角に手をかけ一休みした。わずかな体力の衰えを感じつつ、呼吸を整え汗が引くのを待った。チルトシフトレンズの眼に、おもちゃみたいな家並が密集している。険しい山々を越えてき彼には面白くもなく、一分と立たず立ち上がった。

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