第五章「鍛えたら、みんな変わった」
翌日から、俺は鍛錬を始めた。
先代の設計図を読み込み、罠の仕組みを頭に叩き込んだ。
古い装備を磨いて使えるか確かめた。
そして毎日、剣を振った。大剣を振り、体を動かし、前回の戦いで露わになった弱点を一つずつ潰していった。
盾の男の受け流しに対応できなかった。
剣士の速度についていけなかった。
回復役を優先して崩せなかった。
課題は山積みだった。
「一つずつだ」
ぷるぷる。
足元のスライムが同意した。
◆◆◆
最初は俺一人でやるつもりだった。
しかし三日も経たないうちに、ゴブリンたちが混ざってきた。
俺が素振りをしていると、ゴブリンが隣で棒きれを振り始めた。
真似しているらしい。フォームは滅茶苦茶だが、一生懸命だった。
「……好きにしろ」
「ぐぇ」
それからオーガも来た。俺が岩を持ち上げて筋力を鍛えていると、オーガが隣でより大きな岩を軽々と持ち上げた。
「お前はもう十分強いだろう」
「ふーん」
「……好きにしろ」
スライムたちは相変わらずぷるぷると周囲を漂っていた。鍛錬に参加しているのかしていないのかよくわからないが、いつも近くにいた。
バットたちだけは天井にぶら下がったままだった。
「お前らも下りてこい」
きゅっ。
「……まあいい」
◆◆◆
一週間が経った。
ゴブリンたちの棒きれの扱いが、明らかに上手くなっていた。
素振りのフォームが様になってきた。体つきも、心なしか引き締まってきた気がした。
「お前たち、やるな」
「ぐぇぐぇ!」
得意げだった。
俺は先代の設計図を参考に、罠のコースを組み直した。
今度はゴブリンたちを訓練用に使う。前回の罠コース競技とは違い、今回は本気で避けることを求めた。
「避けられなければ痛い。でも死なない。繰り返せ。」
「ぐぇ……」
最初は惨憺たるものだった。しかし十回、二十回と繰り返すうちに、ゴブリンたちの動きが変わっていった。罠の作動タイミングを体で覚え始めた。反射で動くようになった。三十回目には、一匹が初めてコースを完走した。
「よし」
「ぐぇぇぇ!」
残りの二匹も「ぐぇぐぇ」と囃し立てた。俺は特に何も言わなかったが、悪い気はしなかった。
◆◆◆
二週間が経った頃、異変に気づいた。
ゴブリンの一匹が、大きくなっていた。
正確には、体格が一回り増して、顔つきが変わっていた。
以前の間の抜けた顔ではなく、眼光が鋭くなっている。手足も長くなった。
「……お前、なんか変わったか?」
「ぐぇ」
声も少し低くなっていた。
俺はじろじろと眺めた。これは、ホブゴブリンというやつではないか。
ゴブリンが鍛錬を重ねた末に進化する、上位種だ。話には聞いたことがあったが、実際に見るのは初めてだった。
「……進化したのか」
「ぐぇ」
当人は特に自覚がない様子だった。
残りの二匹も、見れば体格が変わりつつあった。もうすぐ同じようになるだろう。
「まあ、いいことだ」
俺はそう結論づけて、鍛錬を続けた。
◆◆◆
三週間目に入った頃、今度はオーガが妙なことをし始めた。
岩を持ち上げながら、ぶつぶつと何かを呟いていた。
聞き取れない言葉だった。それから、持ち上げた岩が突然燃え上がった。
「なんだ」
オーガは少し驚いた顔をした。それから岩をじっと見た。
「ふーん」
また呟いた。今度は岩が凍りついた。
「……お前、いつの間に魔法が使えるようになった」
「ふーん」
オーガは凍りついた岩を床に置いた。どすん、という重い音がした。
本人はあまり気にしていない様子だった。
俺はしばらくオーガを眺めた。これは鬼人、というやつだろうか。
身体能力に加えて魔力まで持つ上位種。こいつも進化したらしい。
「……いいことだ」
「ふーん」
俺は努めて平静を装ったが、内心少し動揺していた。
◆◆◆
そしてある朝——ダンジョンに朝はないが——俺が素振りをしていると、通路の壁がぐにゃりと動いた。
俺は大剣を構えた。
壁から、スライムが染み出してきた。
「……お前たちか」
ぷるぷる。
どうやらスライムが壁に溶け込んでいたらしい。
這いずり回るうちに石の隙間に入り込む方法を覚えたのか、あるいは体質が変わったのか。
壁から出てきたスライムは、床をぷるぷると移動して、また別の壁に吸い込まれていった。
「通路を自由に移動できるようになったのか」
ぷるぷる。
「奇襲もできるということか」
ぷるぷる。
自覚はなさそうだった。ただそういう体になったらしい。
それから合体したり分裂したりを繰り返して、複数の通路に同時に存在できるようにもなっていた。
いつの間に。
俺は壁をしばらく眺めた。
「……すごいな、お前たち」
ぷるぷる。
◆◆◆
そして、バットだ。
鍛錬を始めて一ヶ月が経った頃、俺が大剣を振っていると、天井から何かが降ってきた。
バットだった。
一匹が天井から降りて、俺の肩に止まった。小さな翼をぱたぱたさせて、じっとこちらを見ていた。
「……お前、下りてきたのか」
きゅっ。
「今まで何してたんだ」
きゅっきゅっ。
わからない。でも下りてきた。それだけは確かだ。
見れば天井の他のバットたちも、ざわざわと動き始めていた。
ぶら下がりながらも、羽をぱたぱたさせている。何かを察したのかもしれない。
肩のバットは、そのまま動かなかった。
「……鍛錬の邪魔だぞ」
きゅっ。
動かなかった。
俺はため息をついて、バットを肩に乗せたまま素振りを続けた。
◆◆◆
夜——ダンジョンに夜はないが——俺は玉座に座って、ダンジョンを見渡した。
通路ではホブゴブリンたちが黙々と鍛錬を続けていた。
壁ではスライムがぷるぷると溶け込んでいた。
隅では鬼人になったオーガが静かに魔力を練っていた。
天井ではバットたちがざわざわと動き回っていた。
俺は肩のバットを見た。
「みんな、変わったな」
きゅっ。
変わったのは俺だけではなかった。鍛錬の日々が、このダンジョン全体を変えていた。
俺は先代の冊子の言葉を思い出した。
頼む。俺の分まで、強くなれ。
「……なってるぞ、先代。たぶん、想定以上に。」
ぷるぷる。きゅっ。ぐぇ。ふーん。
思い思いの返事が、暗いダンジョンに重なった。
俺はしばらくそれを聞いていた。それから、ふと思った。
これ、次に来る冒険者は、かなり大変なのではないか。
「……まあ、それでいいか」
俺は目を閉じた。
それでいい、と思った。
たぶん。




