第四章「先代のこと」
翌朝——ダンジョンに朝はないが、俺がそう決めた——俺は封印の扉の前に立った。
昨日よりもはっきりと輪郭が見える。
掃除のついでにスライムが周囲の苔も綺麗にしてしまったらしく、扉全体が露わになっていた。
石造りで、表面に古い紋様が刻まれている。鍵穴らしきものはない。ただ、中央に手のひら大の窪みがあった。
俺はその窪みに手を当てた。
ガコン、と音がした。
「……あっさり開いたな」
ぷるぷる。
どうやら鍵ではなく、魔力に反応する仕組みだったらしい。ボスである俺の魔力で開く、ということか。
つまりボス専用の部屋だ。
扉が内側に向かってゆっくりと開いた。
中は暗かった。俺が一歩踏み込むと、壁の松明が自動的に灯った。古い魔法仕掛けらしい。
埃っぽいが、空気は澱んでいない。それなりに保存状態は良さそうだった。
部屋は狭かった。四畳半ほどの空間に、小さな机と椅子、それから棚がひとつ。
棚には何冊かの本と、古びた装備が置いてあった。
俺は部屋を見渡して、それから机の上に視線を落とした。
一冊の冊子が、置いてあった。
表紙に、こう書いてあった。
『ボスの記録 第七代』
俺は椅子を引いて座った。
後ろでぷるぷると音がした。スライムが入ってきていた。ゴブリンも二匹ついてきていた。
「狭いぞ」
「ぐぇ」
「まあいい」
俺は冊子を手に取った。表紙をめくる。古い紙だが、破れてはいない。文字はしっかり読めた。
◆◆◆
〔この記録を書いているのは、このダンジョン第七代のボスである。
俺がボスになって何年経つのかは正確にはわからない。
ただ、かなり経つ。冒険者を迎え撃ち、倒し、また迎える。
その繰り返しの中で、俺はずっと考えてきた。
倒されたら、記憶はどうなるのか。
この問いに、俺はまだ答えを持っていない。〕
俺は手を止めた。
「……同じことを考えていたのか」
ぷるぷる。
ゴブリンが俺の手元を覗き込んだ。字が読めるわけではないだろうが、なんとなく気になるらしい。
俺は続きを読んだ。
〔俺の前にも何代かのボスがいたらしい。この部屋に残された記録からわかる。
しかし、どの記録もある日突然途切れている。おそらく倒されたのだろう。
そしてその後、記憶を失って再生したのだろう。でなければ記録を再開しているはずだ。
ということは、倒されたボスは記憶を失う。
それが今の俺の結論だ。だから俺はここに記録を残す。
倒されて記憶を失った俺が、いつかここを見つけた時のために。
やあ、俺。お前は今、何代目だ?〕
俺はしばらく動けなかった。
「……やあ、俺、か」
ぷるぷる。
ゴブリンが「ぐぇ?」と首を傾げた。俺はゴブリンを見た。それから冊子に視線を戻した。
続きのページをめくる。
〔俺が倒されてここを読んでいるお前に、いくつか伝えておきたいことがある。
ひとつ。このダンジョンの第三層、東側の通路に仕掛けた罠は、俺のオリジナルだ。設計図を棚の引き出しに入れておいた。役に立てろ。
ひとつ。スライムは信用できる。何も覚えていないくせに、なぜかボスの周りに集まってくる。不思議な奴らだ。大切にしてやれ。
ひとつ。俺は結局、一度も勝てなかった。来るたびに強くなる冒険者に、じりじりと追い詰められた。お前が読んでいるということは、俺はまた負けたということだ。情けない話だが、正直に書く。
だから頼む。俺の分まで、強くなれ。〕
最後のページだった。
そこから先は白紙だった。
俺は冊子を閉じて、しばらく机の上に置いたまま眺めた。
先代のボスが、同じようにこの椅子に座って、同じようにこのダンジョンを守っていた。
同じように負けることを恐れて、同じように倒されて、そして記憶を失った。
「一度も勝てなかった、か」
ぷるぷる。
棚の引き出しを開けると、設計図が入っていた。
几帳面な字で罠の仕組みが書いてある。かなり凝った構造だ。こんなものを考えたのか、先代は。
棚に並んだ装備も手に取ってみた。古いが、作りはしっかりしている。使えるかもしれない。
俺は立ち上がった。
「……わかった」
誰に言うでもなく、俺は呟いた。
「鍛えなおす。今度こそ、負けない」
ぷるぷる。
「ぐぇ」
「ふーん」
いつの間にかオーガも入口に立っていた。部屋には入りきれないので、扉の外から覗いていた。
俺は先代の冊子を棚に戻した。それから新しい白紙を一枚取り出して、机の上に置いた。
書くことはまだない。
だが、いつか書くことになるかもしれない。
部屋を出て、封印の扉を閉めた。ガコン、と音がした。
「まず設計図を読む。それから体を鍛える。それから——」
俺は通路を歩きながら、頭の中で計画を組み立てた。やることが急に増えた気がした。
ぷるぷると、スライムが後をついてきた。
ゴブリンたちも「ぐぇぐぇ」言いながらついてきた。
オーガがのっそりと最後尾を歩いた。
「お前たちも鍛えるぞ」
「ぐぇ?」
「いいから来い」




