第二章「復活祭、あるいは大掃除」
誰も来なくなった。
一日経っても、二日経っても、ダンジョンに足を踏み入れる者はいなかった。
冒険者というのは踏破したダンジョンにはしばらく戻ってこない。宝箱は空になったし、噂も広まる。
「あそこはもう終わった」と。
つまり俺には、時間がある。たっぷりと。
「……せっかくだしな」
俺は玉座から立ち上がり、ダンジョンの通路を歩き始めた。
特に目的もなく、ただぶらぶらと。久しぶりに自分の領域をちゃんと見て回る気になったのだ。
第一層の通路に差し掛かったところで、足元に何かが当たった。
ゴブリンだ。通路の真ん中にしゃがみこんで、石ころを眺めていた。
「何してる」
ゴブリンは俺を見上げた。特に驚いた様子もない。「いや、べつに」という顔をしている。
「暇なのか」
「……ぐぇ」
肯定らしい。
俺はしばらくゴブリンと石ころを見比べて、ふと通路の壁に目をやった。
苔が生えている。角には埃が溜まっている。罠のひとつが錆びて、作動しない状態になっていた。
「汚いな」
ゴブリンは特に気にしていない様子だった。
「掃除するか」
「ぐぇ?」
「掃除だ。綺麗にする。手伝え。」
ゴブリンはしばらく俺を見ていた。それから、まあいいかという顔で立ち上がった。
こうして、誰も頼んでいない大掃除が始まった。
◆◆◆
最初は俺とゴブリン一匹だった。
俺が錆びた罠を磨き、ゴブリンが埃を手で払う。
払っても払っても、ゴブリンの手が汚れるだけで埃は宙を舞い、結果として同じ場所に戻ってくるのだが、ゴブリンは気にしていなかった。一生懸命ではあった。
しばらくすると、通路の向こうからぷるぷると音がした。
スライムだ。二匹、三匹、気づけば十匹近くが集まってきて、俺の足元をぷるぷると漂い始めた。
「お前たちも暇か」
ぷるぷる。
スライムは床を這いずりまわる生き物だ。そして這いずった場所の汚れを、その体で吸着する。
本人たちに清掃の意図は一切ないのだが、結果として床が綺麗になっていく。
「……使えるな」
ぷるぷる。
俺はスライムたちを通路に放った。
あとは勝手にぷるぷると動き回り、床を磨いていく。なかなか悪くない。
騒ぎを聞きつけたのか、ゴブリンがもう二匹やってきた。手伝うつもりらしく、壁を素手で叩き始めた。何がしたいのかよくわからないが、壁の苔は多少剥がれた。
「まあいい、続けろ」
「ぐぇぐぇ」
やる気だけはあるらしい。
一時間ほど経った頃、通路の奥からどすどすと重い足音が近づいてきた。
オーガだ。
二メートル超えの大柄な体躯で、通路をいっぱいに使いながらのっそりとやってくる。こいつは普段からダンジョンを徘徊しているだけで、あまり役に立ったためしがない。今日の戦闘でも別の通路をうろついていてすれ違っていた。
オーガは俺たちの様子を見て、首を傾げた。
「何やってんの」
「掃除だ」
「ふーん」
オーガはしばらく眺めていた。それから通路の壁に手を当てて、べりっと苔を一枚剥がした。
「これか」
「そうだ」
オーガはうなずいて、隣の壁の苔もべりっと剥がした。なかなか豪快な掃除スタイルだが、確かに綺麗にはなっている。
「お前、意外とやるな」
「ふーん」
語彙が少ない奴だが、手は動いている。俺は特に何も言わなかった。
◆◆◆
気づけばダンジョンの半分が綺麗になっていた。
スライムたちが床をぷるぷると磨き、ゴブリンたちが壁の埃を叩き、オーガが苔をべりべりと剥がしていく。誰も指示していないのに、なんとなく流れができていた。
天井ではバットたちがずっとぶら下がっていた。
「お前らも手伝え」
バットたちはきゅっと体を縮めた。
「……まあいい」
戦力にならないのはいつものことだ。
俺は錆びた罠の修理に取りかかりながら、ふと思った。悪くない時間だ。
誰かに迎え撃たれるわけでも、倒されるわけでもない。ただダンジョンを歩いて、汚れたものを綺麗にして、魔物たちがぷるぷるしたりぐぇぐぇ言ったりしている。
なんだ、これ。
悪くない。
そして、最深部に近い通路の角を曲がったとき、俺はそれを見つけた。
壁だ。
いや、壁ではない。よく見ると、壁に溶け込むように扉がある。
継ぎ目が苔で埋まっていて、長年気づかなかったのだろう。スライムが丁寧に床を磨いた結果、その苔の一部が剥がれて輪郭が見えるようになっていた。
俺はスライムを見た。
ぷるぷる。
「お前が見つけたのか」
ぷるぷる。
「……まあ、そういうことにしておこう」
扉に手を当てた。古い。相当古い。俺がこのダンジョンに来るよりも前からある気がした。
そして、何かで封じられている。
ゴブリンたちが集まってきてじっと扉を見ていた。オーガも背後でのっそりと覗き込んでいる。
「開けるか……」
ぷるぷる。
「……今日はやめておこう」
俺は扉から手を離した。急ぐことはない。どうせ時間はたっぷりある。
掃除の続きをしてから、改めて考えればいい。
「とりあえず、今日はここまでだ」
ぐぇぐぇ。ぷるぷる。ふーん。
思い思いの返事が返ってきた。




