7-02.挨拶
「それは……」
ブラーゼスの言葉に、ルナーティアは詰まる。
オウレンを呼び出し、エイクレッドを連れ帰るように頼んだ時「自力で帰れ」ということを言われたのだ。
弟の様子を見に来たウィスタリアに頼んだ時も「そんなことをしたら、今度は自分が同じような目に遭う」と拒否された。
「きみの気持ちも、わからないではないよ、ルナーティア。だけど……人間風に言うと、家庭の問題だからね。これがうちの教育方針だって言われたら、第三者は口を出せないでしょ。それは、竜でも似たようなものだよ」
オウレンは「自分の始末は自分で付けろ」という方針なのだろう。
旧知の仲だと言うブラーゼスもそれを知っているから、ここでは余計な手も口も出さない、ということだ。
「それに、ここで手軽に帰れたら、エイクレッドのためにもよくないよ。自分がどういうことをしたら、どうなるのか。それを勉強する、いい機会だからね」
「うん……ぼく、色んなことがわかった気がする」
「エイクレッド……」
「幸い、エイクレッドは優しい人間に会えたんだ。せっかくだから、人間のことをしっかり見ておいで。時間はかかってもいいんだから」
つい先日、ウィスタリアも「時間がかかってもいい」ということを言っていた。
長命の竜にとって、エイクレッドが人間界で過ごす時間など、一瞬のようなものだろう。焦らなくていいし、焦っても仕方がない、ということだ。
「本当に、用事のついでに来たんですか?」
「ん?」
「実はオウレンに頼まれて様子を見に来た、とか」
「はは、ありえそうだね」
レシュウェルの言葉に、ブラーゼスは笑った。しかし、その様子にごまかしているような雰囲気はない。
「だけど、オウレンはそんなことはしないよ。息子に自分で何とかしろって言っているんだから、自分も自分で何とかする。ほったらかしにしている訳じゃないから」
「自分で何とか……?」
ブラーゼスの言葉に、ルナーティアは何となく引っ掛かった。でも、どう引っ掛かっているのか、はっきりしない。
「私は、自分の目でエイクレッドの様子を見たかったから、ここへ来ただけ。あと、さっきも言ったけれど、エイクレッドと関わっている人間もね。それだけだよ。ここにオウレンは絡んでない。ああ、あまり何度も言うと、逆に疑われるかな」
風の竜らしく、何となくつかみ所がない。
エイクレッドに励ましの言葉をかけ、人間の二人に手を振って、ブラーゼスは姿を消したのだった。
☆☆☆
土曜日は、午前だけしか授業がない。午後は帰るなり、自主練習するなり、個人の自由だ。
「……で、連絡事項は以上だ。他にないか」
ホームルームの時間。
担任のクフェアが連絡事項を伝え、生徒側に何かないかを尋ねる。
いつもなら誰も発言することなく、今日は終了となる……のだが、ルナーティアが手を上げた。
「お、ルナーティアからか。前へ来るか?」
「はい」
自席からでもよかったのだが、内容が内容だから、とルナーティアは教壇の方へと向かった。
もちろん、エイクレッドはルナーティアの肩にいる。
「帰る前に、ごめんなさい。エイクレッドのことで、話があります」
その言葉で、特に彼女を意識せずによそ見をしていたクラスメイトも含めて、全員がルナーティアに集中した。
「みんなも知ってるので今更だけど、あたしはこれまでに六回パラレル魔界へ行ってます。エイクレッドの力を取り戻すための術で使う、珠と鏡を作る素材を集めるためです。で、明日も行くんだけど、うまくいけばその素材で鏡を作って、術が行えるようになります」
誰も、何も言わない。術のことはよく知らなくても、ルナーティアがパラレル魔界へ行っていることは、みんなが知っている。
ルナーティアが魔性に攻撃されかけ、エイクレッドが大きな火を吐いたことでまた魔力を失い、身体が小さくなってしまった。
その時の話をした時に、だいたいのことは知らせている。
クフェアもそれについては知っているし、職員室にいる魔法使い達も、恐らく全員が知っているだろう。
それをなぜ、わざわざ改めて言うのか。誰も見当が付かない。
「魔珠鏡って術で、周囲に漂う魔力を集める方法です。その魔力をエイクレッドに取り込んでもらうんだけど、うまくいけば竜の世界へ戻れるくらいの力にはなるだろうってことで……えっと、つまり、その術が成功すればエイクレッドは帰れる訳で、エイクレッドがここへ来るのは今日が最後になります」
「ええっ?」
ルナーティアの最後の言葉に、誰もが驚いて声を上げた。
そうか、そういう術のためだったんだな、と思いながら聞いていたら、いきなりエイクレッドがいなくなることを聞かされて、誰もが聞き返してしまったのだ。
「あ、あの」
予想していたより大きな声で反応され、ルナーティアは少し戸惑う。
「エイクレッドにも言ってあるんだけど、絶対って保証はないの。あたし達には竜の世界と人間界との行き来にどれだけの力が必要なのかはわからないし、戻れるだけの力をエイクレッドに送り込んであげられるかもわからない。だけど、もし術がうまくいけばエイクレッドはその時点で帰ることになるし、次にいつこちらへ来られるかは、エイクレッドにだってわからない。だから、帰れること前提で、エイクレッドとみんながお別れの挨拶をできたらいいな、と思ったの」
教室が一気にざわざわする。
エイクレッドが来て、およそ二ヶ月。来た頃は体力も低下しているからあまり構わないように、とクフェアからも言われて極力静観していた。
それが、いつの間にか普通に朝の挨拶をし、休み時間に話しかけたりし、ここにいるのが当たり前のようになっていた。
それなのに、いきなり「休み明けからいなくなる」なんて言われれば、ざわつくのも仕方がないというものだ。
ルナーティアと一緒にいることが多いネーティやカミルレも、この話はこうして伝えられるまで知らなかった。
と言うのも、ルナーティアが「みんなに言おう」と思い付いたのは、四限目の授業が始まる直前だったからだ。
明日、パラレル魔界へ行って、鏡を作って、術が完成すれば……。
それだけを考えていたが、術が成功してエイクレッドに帰れるだけの力が戻れば、そしてエイクレッドが竜の世界へ戻れば、この小さな紅竜とお別れなのだ。
わかっていたはずなのに、パラレル魔界へ行く、という自分にとって大変な部分にばかり意識が向かっていた。
自分は明日一杯は一緒にいられるから、まだいい。でも、クラスメイト達は今日でお別れだ。
しかも、このまま帰ってしまったら、休み明けにいきなり「エイクレッドは帰ったから」と知らされることになる。
また普通に会えると思っていたのに「さよなら」や「元気でね」といった言葉を何一つ言えないまま、別れてしまうのだ。
それは……あまりにも淋しい。
エイクレッド自身は発言や実技をしなくても、一緒に授業を受けた仲なのに、黙って帰るなんてよそよそしい、と思われるかも知れない。
竜の世界へ帰ったら、人間風に言えば、たぶん自宅謹慎をさせられるだろう。それが、どれだけの期間になるのか。
竜にとってはわずかな時間でも、人間にすれば何年という単位かも知れない。
再びエイクレッドがこちらへ来られるようになっても、その時にはルナーティア達はみんな卒業し、ばらばらになっている。
この顔ぶれでエイクレッドと会える機会は、もうないかも知れない。同窓会で会えるとしても、全員参加はきっと難しいはず。
だから、ルナーティアは授業中に、こっそりエイクレッドと話したのだ。
帰りにお別れの挨拶をしないか、と。
術がうまくいけば、みんなと会えるのは今日で最後だから、と言うと、エイクレッドもうなずいた。
ルナーティアと同じように、エイクレッドも今日で終わりだ、という意識がなかったので、何も言わずに帰ってしまうところだったのだ。
「そうか。あまり詳しくは聞かなかったが、そういう魔法をするためだったんだな」
横で聞いていたクフェアが、感心したようにうなずいている。
ルナーティアは聞かれれば答えるつもりだったが、これまでクフェアはあえてあれこれ尋ねようとはしなかった。
エイクレッドを学校へ連れて来た初日。一緒にいられる許可が出るように、うまく言ってくれたのもこの担任教師。パラレル魔界へ行ってることをはっきり知っても、禁止するようなことを言わなかった。
エイクレッドにとって、クフェアは別の意味で恩人と言える。
「うん。先生、ありがとう。あ、ウィスタリアが授業の邪魔して、ごめんなさい」
「ああ、そんなこともあったなぁ。ずいぶん前のような気がするが。エイクレッドは、女性に振り回されるタイプかもな」
そう言って、クフェアは笑った。
「みんな、今までありがとう。みんな優しくて、ぼく大好きだよ」
エイクレッドの言葉に、教室のあちこちで鼻をすする音が聞こえる。突然のお別れ宣言に、ショックを受けているクラスメイトもいるようだ。
「ねぇ、ルナーティア。今から時間ある?」





