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手のひらサイズの紅竜は魔法使いに保護される  作者: 碧衣 奈美
第三話 火(か)の魔珠

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3-03.老人と魔物

 河川敷へ降りる階段を使い、ルナーティアは川のそばへと向かった。

 今は晩秋。水際にいると、道を歩いているより寒く感じる。

 だが、川面の上には何もないので、視界が開けて気持ちが良かった。

「確か、パラレル魔界でもカモーの川へ向かうことがあったはずなのよね。魔果の素材探しの時も、少し通りかかったっけ。あの時は川がどんなだったかなんて、しっかり見てなかったしね。ここはこんなに気持ちがいいけど、パラレル魔界ではどうなってることやらって感じだわ」

「川の水が、どどどって流れてたりするのかな」

「かもね。それも、すごい色の水だったりして」

 この前行った池は、沼のような色の水だった。川なら「清流」とまではいかなくても、きれいな水が流れていてほしい。

「あ、おしゃべりはちょっとお休みね」

 歩く先に、川や周辺の絵を描いている白髪の人がいる。こういう場所では、たまに見掛ける光景だ。

 ルナーティアは、そのそばを通る時は口を閉じた。

 エイクレッドはいつもルナーティアの左肩にいるが、一見しただけではエイクレッドの存在がわかりにくい。わかったとしても、それが会話のできる生き物だとは思われないだろう。

 そのため、ルナーティア一人がぶつぶつしゃべっているように見えてしまう。相手が知らない人でも、そう思われたらちょっと恥ずかしい。

「あれ?」

 絵を描いている人の横を通り過ぎた先にゴミ箱があるのだが、その横にダンボール箱がある。

 ルナーティアの目の錯覚でなければ、その箱の中にある何かが動いたような。

 あー、またかぁ。

 こういう場面によく遭遇してしまうルナーティアは、心の中でちょっとため息をついた。

 たぶん、あの中に小動物がいるのだ。経験上では、だいたい犬かねこ。ごくたまにだが、鳥。

 しかも、生まれてそんなに日が経っていない子が、時には複数で入れられていたりするのだ。

「どうしてこんなかわいそうなこと、するのかしらね」

「何がいるの?」

 ダンボールから、わずかに濃い茶色の毛が見える。あの感じだと、たぶん犬だ。

「子犬じゃないかしら。そう言えば、エイクレッドがこっちへ来てから、動物ってあまり見てないんじゃない?」

「んー、遠くにいるのを見るくらいかなぁ」

 空を見上げれば、時々鳥が飛んでいるのを見掛けたりするし、塀の上をねこが歩いていたり、犬を散歩させている人とすれ違ったりする。

 でも、じっくり見る、ということはなかった。

 エイクレッドがこちらの世界へ来てから小さくなるまでの時間がどれくらいあったか知らないが、そんなに観察はできていないだろう。

「動物園や水族館へ行ったら、竜の世界とは違う生き物がたくさんいるかもね」

 今度、レシュウェルに言ってみようかな。エイクレッドと一緒だとデートって感じじゃなくなるけど、また違う楽しさがありそうな気もするし。あ、日曜日は魔珠鏡の素材集めがあるんだっけ。じゃ、土曜日の午後とか……。

 あれこれ思いながら、ルナーティアはダンボール箱がある方へと近付いて行く。

「待って、ルナーティア!」

 突然、エイクレッドが叫んだ。その声に驚いて、ルナーティアの足が止まる。

「え、何?」

「それ、犬じゃないよっ」

 その言葉に驚いたルナーティアがダンボール箱の方を見ると、中にいた生き物がゆっくりと動く。

 形は犬に似ているものの、赤い目をした牙の鋭い生き物が現れて、こちらを睨み付けていた。

 どう見ても、これまでルナーティアが見付けた動物達の「助けて」と訴えかけているような目ではない。

 サイズは子犬よりやや大きい程度だが、子犬にしてはその表情に迫力がありすぎだ。

 前脚をゆっくりと、ダンボール箱のふちにかける。そこに見えるのは、鋭く光る長い爪。

 その先端が赤く、羽らしきものが付いていた。恐らく、鳥を襲ったのだろう。

「形はかなり犬っぽいけど……違うみたい」

 信じたくないが、魔物だ。大きければ野犬と思うかも知れないが、子犬であの牙と爪は絶対ありえない。何より気配が違いすぎる。

 ルナーティアは、ゆっくりと後ずさった。だが、もう目と目が合っている。素通りは絶対に無理だ。

 大きさだけなら、思い切り殴るなり蹴るなりすれば逃げられそうに思うが、たぶん本当の子犬のように弱くはないだろう。

 それ以前に、ルナーティアの攻撃なんて簡単によけられてしまいそうだ。

 どうしよう。完全に狙われてるっぽい。逃げてもすぐに追い付かれそうだし、あたしが逃げられたとしても、今度は別の人が狙われるよね。だけど、どう対応したらいいのよぉ。

 この辺りはあまり人がいないが、ここから南へ向かえば人通りの多い場所がある。そんな所へ現れたら、パニックが起きるだろう。

 かと言って、ルナーティア一人で対処できる自信なんて、かけらもない。

 レシュウェルに連絡して助けてって……頼んでも、絶対間に合わないよね。どうしたら……。

「きゃっ」

 さらに後ずさろうとして、ルナーティアは小石を踏んだ。そのせいで、ほんのわずかだがバランスが崩れ、思わず声がもれる。

 小さな声だったが、魔物にとっては飛び掛かる合図にも等しい。

 赤黒い口の奥を見せながら、魔物がルナーティアへ向かって飛び掛かった。実戦経験などないルナーティアには、攻撃魔法も防御魔法も使う余裕はない。

 エイクレッドのいる左肩をかばうようにして、ルナーティアは身を縮める。

 だが、肩や腕などに痛みが走ることはなかった。

 悲鳴が聞こえ、知らず目を閉じていたルナーティアが目を開くと、飛び掛かろうとしていた魔物が、数歩手前で転がっている。

 その顔が、なぜか白い。まるで鳩にフンを落とされたかのように、何か白いものを顔にかけられていたのだ。

「行儀の悪い奴だ」

 声のする方を見ると、黒ブチのメガネをかけた白髪の老人が絵筆を持って立っていた。さっきルナーティアが横を通り過ぎた、絵を描いていた人だ。

 その絵筆の先が魔物へ向けられ、先端は魔物の顔と同じく白い。

 老人と魔物とは軽く十メートルは離れているが、もしかして絵筆についた絵の具を放ったのだろうか。しかし、絵の具は飛び道具ではなかったはずで……。

 とっさのことで、ルナーティアは何も考えられない。ただ、普通の人じゃない、ということは感じ取れた。

 顔が白くなった魔物は頭を振って、気を取り直したように老人を睨んだ。今度のターゲットは、狩りの邪魔をした彼だ。

 魔物の目を見て、自分が睨まれている訳でもないのにルナーティアは背筋が寒くなった。

「尋常な目付きではないな。どこかで自分を見失ったか」

 睨まれていることを意に介さず、老人は軽い口調で言う。

 相手が魔物だとわかったのだから、本当なら見習い魔法使いのルナーティアが老人に「危ないから逃げて」と言うべきなのだ。

 普通に考えて、魔物の対処ができるのは一般人ではなく、魔法使い。見習いだろうが、一般人から見て「魔法使い」と呼ばれるなら「魔法使い」だ。

 しかし、この人は大丈夫だ、という気がした。根拠はない。強いて言えば、絵筆が魔法の杖のように見えたから、か。実に様になっている。

 魔物は自分の勝利を信じているのか、正常な判断ができないのか。立っている人間とは明らかにサイズの差がありすぎるのに、飛び掛かって行く。

 さすがに魔物、と言うべきか。その小さな身体が、普通の犬ならありえないくらい高く飛ぶ。落下の勢いのまま、老人の喉元へ食らいつこうとした。

 魔物と老人の距離など、あってないようなもの。ものすごい跳躍力とスピードだ。

 しかし、老人が持っていた絵筆を軽く振ると、魔物は飛んでいる途中でいきなり地面に叩き落とされた。濁った声で、悲鳴を上げる。

「かわいそうだが、ここでお前を逃がすと被害が広がりそうだからな」

 その言葉が終わると同時に、魔物の身体が火に包まれた。

 それなのに、魔物の悲鳴は聞こえず、熱さで転げ回ることもない。落ちた場所で震えるように、わずかに動くだけだ。

 魔法使いを志すルナーティアには、見えていた。魔物の周辺が、狭い結界で囲われているのだ。

 見えない壁に邪魔をされ、そのために魔物は転げ回ることもできない。悲鳴さえも、遮られているのだ。

 魔物が火に包まれる時間は、ほんの数秒だった。苦しむ姿を見て楽しむ趣味などなく、老人はさっさと混乱を静めたようだ。

 地面に魔物の焼死体はなく、焦げ跡さえもない。あるのは、少しだけ飛び散った白い絵の具だけ。

 誰かがここを通っても、何があったのかと不審に思うことはないだろう。絵を描いていた人が絵の具を落としたんだろう、と単純に考えるはず。

 その絵の具も、雨が降ればすぐに流れてしまうだろう。

「あ、あの……ありがとうございました」

 よくわからないうちに助けられたようなので、ルナーティアはそちらへ駆け寄ってお礼を言った。

「いやいや。お嬢さんにケガはなかったかな」

「はい、何ともありません」

 目の前の老人は、七十前後と言ったところだろうか。しかし、背筋はしゃんとしている。丸い黒ブチメガネの奥にある目は、穏やかで優しそうだ。

「おじいさんも、魔法使いなの?」

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