2-04.絡まれないように
もう、面倒だなぁ。わざわざ声をかけて、言うことがそれなの?
相手は数名……四人いた。このまま言い争っているうちに、囲まれて変に絡まれても厄介だ。
「教室へ戻るので、失礼します」
そう言って、ルナーティアは足早にその場から離れた。
「どうせ、その辺りにいたトカゲに細工したんでしょ」
後ろからそんな声と、くすくす笑う声がまた聞こえた。
「ぼくは紅竜だっ」
エイクレッドが振り返って怒鳴り、笑い声が止まった。ルナーティアは彼女達がどんな表情になっているか、見られない。
竜を怒らせてしまった、と怖がるか、怒鳴られたことに腹を立てるか。
生意気だ、などと言われて追いかけられたりしないうちに、急いで教室へ向かった。
で、教室へ入ったらため息が出た、という訳だ。
「んー、エイクレッドのサイズを見れば、疑うのも無理はないかもだけど……それにしても、失礼よね」
話を聞いて、ネーティはなぐさめるようにルナーティアの肩をたたく。
「ねぇ、エイクレッドが帰れるようになるまで、また似たようなことがあるんじゃないかな」
途中から話を聞いていたカミルレが、口を挟んだ。
「たぶん。今までだって何度も、本当に竜なのかって聞かれたし」
さっきのように、あからさまに疑われることはなかった。もっとも、心の中ではどう思われていたか……。
今のエイクレッドのサイズでは、どうしてもすぐに竜だと信じてはもらえない。そのうち、心ない人がエイクレッドをつまみ上げたりしないか、と心配になってくる。
「俺達は事情を聞いたからいいけど、他の奴らは放っておいたらテキトーなことを言ってくるよな」
同じく、途中から話が耳に入ったジュークが、割り込んでくる。
「魔法使いになろうって奴なら、竜に興味があるのは当然だけど。ルナーティアがエイクレッドを連れ歩いてたら、またそうやって絡まれるよな」
「うん。だけど、家には置いておけないし」
だから、エイクレッドを保護した次の日、担任のクフェアに許可をもらったのだ。
「代わりにあたし達が連れ歩く……っていうのも、無理よね」
カミルレの言葉に、エイクレッドは返事できない。
今ではこの教室のみんなとすっかり顔なじみになったが、やはり最初から一緒にいるルナーティアのそばが一番落ち着く。
でも、ずっとルナーティアのそばにいることにこだわったら、彼女がいやな思いをすることになるかも知れない。
そう考えると、どうするのが最善なのかわからなくなってしまう。
「代わりに……あ、そうだ。いいこと考えた」
ジュークが手を打ち、教室の前へ走った。
「おーい、みんな。聞いてくれ」
あと五分もすれば、ホームルームを告げるベルが鳴る。なので、教室にはクラスメイトがほぼ全員揃っていた。
ジュークの声かけで、みんながそちらを見る。
「あのさ、エイクレッドが他のクラスや学年の奴に絡まれるらしいんだ。で、俺からの提案なんだけど。小さい私物に擬態の魔法をかけて、エイクレッドみたいなものを作らないか?」
「そんなの作って、どうするんだよ」
突然の提案に、質問が飛ぶ。
「ルナーティアみたいに、それを肩に乗せるんだよ。にせものだろって言われるらしいから、いっそ俺達がにせものを連れ歩いてやるんだ。何人も似たようなものを乗せてたら、誰が本物の竜を乗せてるかわからなくなるだろ」
例えば、十人以上がルナーティアと同じ格好になれば。
ルナーティアの顔を知らない人からすれば、どの生徒が本物の竜を連れているのかわからなくなる。
一度違う生徒に声をかければ、二度三度と声をかける人はあまりいないだろう。そうなっていけば、ルナーティアに声をかける人が多少は減るのでは。
それがジュークの提案だ。
間違いなく竜なのに、何度も「本当に?」と言われれば、エイクレッドだって気分がよくないはず。
ルナーティアも、声をかけられるたびに同じことを言わなくて済むだろう。
「そっか。ぼくはいいよ」
「面白そうだな」
「私もやる」
口々にそんな声が飛び、それぞれが擬態の魔法をかけるのにちょうどいい私物を探し始める。
「ジュークも、面白いことを考えるわね」
ネーティは言いながら、ノートを半ページ破った。それを、こよりのように細長く丸めていく。
元となる物の形が少しでもエイクレッドに近ければ、擬態の魔法もうまくできやすくなる、という寸法だ。
レシュウェルがパラレル魔界で、木片を蜂に変えたやり方と同じ考えである。
「あ、それ、いいわね。さぁて、誰がエイクレッドに一番似せられるかしら」
カミルレも、ネーティのまねをしてノートを丸めていく。
ルナーティアとエイクレッドは少しぽかんとなりながら、クラスメイト達の魔法を見ていた。
「……え? な、何だ?」
ホームルームの時間になり、担任のクフェアが教室へ入って来ると、目を見開いてしばらく絶句する。
クラスの全員が、肩にエイクレッドのにせものを乗せていたのだ。
☆☆☆
その日の三時間目。
いきなり、それは現れた。
魔法の属性などについての内容で、ちょうどクフェアの授業だ。黒板に魔法で浮かび上がる文字を、生徒達はノートに書き写していた。
「……で、この属性の相性について……」
書かれた文字を指し示しながら、クフェアが説明を続けようとした時。
突然、がらがらと音がした。
それが教室の後ろの扉が開いた音だとわかり、教師と生徒の目が一斉にそちらを見る。
今日は誰も遅刻していないし、だとしたら何かしらの連絡事項を伝えに来た事務員か、と考えた。
そうだとしても、普通は前の扉からそっと教師を呼びそうなものなのに、と思いながら。
「……誰?」
誰かがそうつぶやいた。教室にいる全ての人間が、同じことを頭に思い浮かべただろう。
そこには、一人の少女が立っていた。
一見して彼女が「人間ではない」とわかるのは、その大きくて少し上がり気味の瞳がワインレッドだからだ。
腰近くまである真っ直ぐな髪も、鮮やかな赤。こちらは、ルビーレッドか。その赤が、肌の白さを際立たせる。
白の長袖ブラウスは襟が大きく、明るい赤でシンプルなデザインのロングスカートはくるぶしより少し上。同色の幅広リボンがウエストの細さを強調し、左横に大きな蝶結びが揺れている。足下は、瞳の色に近い赤のピンヒール。
外見は十六、七といったところだから、この教室にいる生徒とそう変わらないように見えた。
しかし、その色目と容姿のよさが際立っている。完全に「別格」だ。
そんな目立つ少女がいきなり教室へ入って来て、誰もが口をきけないでいる。
人間でもないのに人間の姿をしているということは、魔力の強い魔獣か魔性の類だろう。しかし、ここまで堂々と、大勢の人間の前へ現れることはまずない。
その登場の仕方に誰もがあっけにとられ、危険かも知れない、という気持ちが働かなかった。
魔法使いのクフェアでさえそうなのだから、見習いである生徒達がそうなのも仕方がない。彼女に攻撃の意思があれば、この教室にいる全員が一瞬で全滅だ。
「きみは……誰なんだ?」
ようやく、クフェアが口を開いた。時間にすれば、あっけにとられていたのは数秒だったろう。
だが、少女がかつかつと靴音を響かせながら教室へ入って来るには、十分な時間だ。
「あ、みーっけ」
その姿よりも少し幼い感じのする声で言いながら、少女はクフェアの問いには気付かない様子でさらに中へと進む。
え、あたし?
その進行方向は、ほぼ間違いなくルナーティアがいる方だ。彼女の歩き方には、まるで迷いがない。
「……ウィスタリア」
授業中はルナーティアの机の端にいるエイクレッドが、そうつぶやいた。その声を聞いたルナーティアは、エイクレッドと近付いて来る少女を交互に見る。
「こんな所にいたのね、エイクレッド」
ちゅうちょなく紅竜の名前を呼ぶのだから、間違いなく知り合いだ。エイクレッドも少女の名前らしき言葉を口にしているし、顔見知り以上だろう。
「ほーんと、ちっちゃくなっちゃって。魔力がないと、ここまで身体が縮むものなのねぇ」
「う……」
エイクレッドは何か言い返そうとしたが、うまく言葉が出て来ないのか視線を外して黙ってしまう。
「あの、あなたはエイクレッドの知り合いなの?」
エイクレッドのそばに、と言うより、ルナーティアのほとんど真横に来た少女。相手がどんな存在であれ「誰なの」という問いが勝手に口をついて出る。
相手が人間でないことはわかっているが、不思議と恐怖心はなかった。
「ん? ええ、そうよ。私はエイクレッドの姉」
「姉っ?」
教室のあちこちで、ルナーティアが口にしたのと同じ言葉が飛び交った。
「お姉さんってことは……あなたも紅竜?」
「当然でしょ。紅竜の姉が白竜なんて……あー、絶対ない、とは言い切れないかしらねぇ」
その辺りは「おとなの事情」というものが絡んだりする。
それはともかく。
彼女の髪や瞳の色は、エイクレッドの身体や瞳の色に似ていた。彼女自身も認めたが、紅竜には違いないようだ。
「私はエイクレッドの姉で、ウィスタリア。エイクレッドと一緒にいるってことは、あなたがルナーティアね」





