1-10.パラレル魔界
「うん、そうだけど?」
ルナーティアは、レシュウェルの質問に不思議そうな顔で首をかしげた。
レシュウェルは、グレーの迷彩柄のブルゾンを着ている。中は黒のシャツ。下は黒のデニムで、いつもとそう変わらない格好だが、全体的に黒っぽい。
ルナーティアの方はと言えば、薄いピンクのブルゾンに、明るい紺のデニム。ジッパーは胸元まで上げ、下に着ているオレンジのハイネックのセーターが見えている。
広がってどこかに引っ掛かることを少しでも避けるため、髪はいつものポニーテイルではなく、三つ編みにしてある。
肩にはいつものようにエイクレッドがいるが、私服の時だと変わった場所に付けられたブローチっぽい。
エイクレッドについては、連れて来ていいものか悩んだ。しかし、家に置いて行くのも心配だし、エイクレッドも留守番をいやがった。
魔力のない今の自分では何もできないとわかっているが、二人はエイクレッドのために動いているのだし、ただ待つのはいやなのだ。
小さくても竜だし、魔物が現れた時に戦えなくても喰われることはない……だろう。
丸呑みすればおしまい、という気もするが、そういうシーンになりそうな時はルナーティアがポケットに入れてしまおう、ということで話はまとまった。
「街の中ならいいが、これから行くのはパラレル魔界だぞ。明るい色の服は、目立つんじゃないか」
「えっ……そ、そっか」
動きやすい服、ということばかりを頭に入れていたので、色までは考えていなかった。元々、黒っぽい服はあまり持っていないのだ。
「ど、どうしよう。着替えて来た方がいいかな」
「テンプール先生から借りたマント、持って来たんだろ。それをはおっていれば、少しはごまかせる」
マントは黒だから、目立たなくなる。コートやブルゾンみたいにしっかりと袖を通す物ではないので、風などで裾がひらひらしたらピンクが見えてしまうが、それは仕方がない。手で押さえれば何とかなる……はず。
「ごめんね、動けたらいいってばっかり考えてたから」
「いいよ。俺もそこまで頭が回らなかったから」
リクリスには言っていないが、レシュウェルは友人とパラレル魔界へ行ったことがある。何度断っても「一度行ってみたいっ」と言う友人に引っ張られ、仕方なく行ったのだ。
なので、どんな感じの所かを知っているし、こうした方がいい、というのもだいたいわかっていた。
でも、ルナーティアは今回が初めて。レシュウェルもそれを知っているのだから、ちゃんと伝えるべきだったのだ。
お互いに考えが足りなかった、ということで話は落着。
服問題を解決する間に、目的地まで来た。
そこにあるのは、人通りの少ない路地の一角にひっそりとたたずむ、暗い灰色の石碑のような物だ。
しかし、つるりとした表面に文字などはなく、細長い大きな石を自然のまま置いたように見える。
この石から、パラレル魔界へと入るのだ。これに向かって呪文を唱えると、人間だけが通れる穴が石の表面に開くのである。
誰が言い出したのか「道の石」と呼ばれている、人間より少し大きな石。パラレル魔界へつながる道があるから、とか、何でもないように道に置かれているから、といった何となく単純な理由らしい。
「本当にここから……? 自分が住んでる地区に、パラレル魔界の入口があるなんて知らなかった」
ルナーティアはてっきり、ゴショーの街のどこかから行くんだろうと思っていた。なのに、レシュウェルから「イナリーからも行けるぞ」と言われ、最初はからかわれていると誤解したくらいだ。
「でも、この辺りで祠なんて、見たことないけど」
エイクレッドの魔力を吸い取った、と思われる祠。それがこの近辺にあったら、とんでもないことになってしまう。
「場所によって、魔物の現れる頻度が違う。あの祠は、よく現れる場所に置かれているんだ」
「どこからでも出て来るって訳じゃないの?」
「ヘイ・アーン地区は、よく現れたらしい。ゴショーの街は、場所によって魔物の出現率に差があったそうだ」
よく魔物が現れる場所は、祠を建てることで街を魔物から守っていたらしい。
「今回のことで、俺も祠について少し調べてみた。建てるには、かなりの労力を必要とするらしい。だから、全ての入口に祠をって訳にはいかなかったんだ」
ここは、たまにしか魔物が現れない場所。なので、祠ではなく、この石が置かれた。パラレル魔界への道を、この石で塞いだような形になっているのだ。
「危険度によって、設置する物が違うってことなのね」
「そういうことだ。今はゴショーの街を含めて整備されているから、祠と同じくこの石もお役御免なんだろうけどな」」
ルナーティア達のように、パラレル魔界へ行く必要ができた時、全ての入口を封鎖してしまうと困る。なので、この「道の石」を通じて一時的に通り道ができるようにされた。
そこからあちら側の魔物が飛び出して来ることがないよう、この石そのものに結界の効果があり、現在もその効果は有効。なので、通り道を作っても問題はないのだ。
しかし、近隣住民はもしものことを考えて、魔法使いがこの周辺にいるのをいやがることも多い。
なので、できるだけ人のいない所の方がやりやすいのだが、そういう場所へ移動する時間がもったいないので、二人はここにしたのだ。
よそには大通りに面して鎮座している道の石があることを思えば、ここは人目が少ない方だろう。
別に悪いことをする訳ではないが、二人で周囲に人がいないか見回す。人影がないと確認すると、レシュウェルは素早く呪文を唱えた。
「ケラヒ チミ」
レシュウェルの身長とそう変わらない高さの石は、見た目に何の変化もない。
「行くぞ」
レシュウェルがルナーティアの手を握り、そのまま石の方へと進む。すると、レシュウェルの身体が石の中へと消えた。
レシュウェルとつないだ自分の手の先が石の中へと同じように消え、ルナーティアは緊張しながら足を運ぶ。
何の違和感もなく、数歩進んだ先には、今まであったはずの人工物は全て消えていた。
そこにあるのは、雑草が好き放題に生えた荒れ地。遠くに山の影があり、別の方向には森が見える。
振り返れば、少し離れた場所にも山があった。空はどんよりとした鈍色。そのせいか、まだ午前なのに薄暗い。
「ここが……パラレル魔界?」
「ああ。ルナーティア、俺からあまり離れるなよ」
「離れろって言われても、やだ」
一見すれば自然が広がっているだけなのだが、ここには魔物がいる。すぐそばにはいなくても、移動しているうちにどこからか姿を現すだろう。
そう思うと、怖い。自分で来た、と言っても、それはそれ。
ルナーティアは、パフィオから借りたマントをすぐにはおった。
「あんまりきれいな場所じゃないね」
ルナーティアの肩で、エイクレッドが素直な感想を言う。
「場所によって、色々だ。もう少し見やすい景色もあるらしい。俺も網羅している訳じゃないから、どこがそうなのかは知らないけどな」
レシュウェルは言いながら、リクリスから借りた地図を広げた。A4サイズの、セピア色をした紙だ。
縦長にした状態で地図を持つと、中央よりやや下部分に小さな赤い点が点滅している。これが現在位置で、パラレル魔界のイナリーだ。
「まずは、ニシジーンよね。北へ向かうんでしょ」
「ああ。建物があってもなくても、こうして見ると距離が果てしなくあるように思えるな」
レシュウェルは一旦地図をしまうと、また呪文を唱えた。
「トッチョ レハナンクテキ」
ここからとことこ歩き、目的地へ移動する訳にはいかない。人間界なら電車やバスで行けるが、もちろんここにそんな乗り物はないから、代わりが必要になる。
レシュウェルの呪文は、その代わりを手に入れるためのもの。召喚術だ。
リクリスがエイクレッドの父オウレンを呼び出す時のものより、かなり簡略化されている。
やがて、二人の目の前に現れたのは、一頭の大きな白馬だ。
たてがみは、火が赤く燃えている。目も赤い。炎馬と呼ばれる魔獣だ。
「レシュウェルが話してた魔獣?」
パラレル魔界へ行く計画をしていた時、現地ではレシュウェルが魔獣を召喚すると話していたのだ。
「ああ、そうだ。ログバーン、話していたルナーティアとエイクレッドだ。しばらく力を貸してくれ」
「わかった」
魔獣の年齢などわからないが、声は若いように思える。人間で言えば、レシュウェルと同年代か少し上くらい、といったところか。あくまでも、ルナーティアの推測である。
高等部で召喚術を習い、何度目かの授業の時に呼び出した魔獣と相性がよければ契約するのだが、ログバーンはその時にレシュウェルと契約した魔獣だ。
数日前にレシュウェルはログバーンを呼び出し、パラレル魔界へ行くこととエイクレッドの話をしてある。
協力を求めるなら、やはりお互いのことや事情をよく知る魔獣の方が心強い。
「きれい……。よろしくね、ログバーン。あたし、こんなに近くで魔獣を見たの、初めて」
美しい姿の魔獣に、ルナーティアは少しテンションが上がる。
「ぼくとよく似た色の目だね」
普段とは違い、魔獣の方が自分よりずっと大きいが、エイクレッドが怖がる様子はなかった。





