1-01.出会いは桜の下で
白に近い、ほんのりと薄いピンクの桜が咲いている。ほぼ満開だ。
しかし、周辺に花見をする人はいない。ここが住宅地の一角にある空き地で、咲いている桜も一本だけだからだ。
通りすがりの人達が路上で少し立ち止まり、長くてもほんの数分眺めるくらい。わざわざ立ち寄り、その場でじっくりと観賞する人はいない。
柵がないから、いくらでも桜に近付くことはできる。だが、家一軒が建ちそうなスペースがあるし、こういう場所はへたに入ると地主にうるさく言われるかも、とでも思われているのだろう。
何にしろ、細い桜一本では宴会もできないし、通りすがりに眺めるだけで十分なのかも知れない。
そんな桜の木の下で、真っ直ぐな黒髪をポニーテイルにした少女が立っている。その顔は、ひどく困っていた。
その手には、薄い茶色のもふもふしたものがある……いや、いる、と言うべきだろう。
彼女が抱いているのは、中型犬サイズの生き物ではあるが、犬ではない。
幅は十センチにも満たないであろう薄い黄色のくちばしがあり、時々ばたつかせるそれは翼と呼ばれるもの。つまり、鳥だ。巨大なひよこである。
何度も飛ぼうとするが、うまく飛べない。身体に対して、翼が小さすぎるのだ。少女の腕から飛び出したものの、滞空すらできなかった。
「あ、ちょっと……。大丈夫?」
着地と言うより落下したそれを、少女は再び抱き上げる。
「ふぇーん」
鳥は鳴くと言うより、完全に泣いていた。鳥のはずなのに、その泣き声はほとんど人間のようだ。
「ね、ねぇ、泣かないで。大丈夫よ、怖くないから」
自分も同じように泣きそうな顔をしながら、ルナーティアは住宅地ではあまり見掛けないサイズの鳥を懸命に慰めていた。
「んー、どうしよう」
大きな毛玉にすら見える鳥を抱いて、少女はため息をついた。
「どうかしたのか? そいつ……ロック鳥のひなじゃないのか?」
道路から声をかけられ、ルナーティアはどきっとしながらそちらを見る。
背の高い大学生くらいの青年が、そう言いながらこちらへ近付いてくるところだった。
「ロック鳥ってわかるの? ってことは、魔法使いですか?」
「見習いだ。キョウートの大学部」
「あ、えっと、あたしは高等部です」
「ああ、キョウートの制服だな」
キョウートは、ここケフトの国にある魔法使いを養成する学校である。高校と大学が同じ敷地内にあり、ルナーティアはそこの高等部一年生だ。
この辺りは学校の近くなので、生徒同士がこうして顔を合わせても不思議ではない。
もっとも、最寄り駅からは少々遠回りのルートになるので、この周辺に住んでいるのでもなければ、あまり通ることのない道だ。
ルナーティアはまだこの周辺に慣れていないので、どのルートに何があるのか、ちょっとした探索もかねての帰り道だった。
「自分で呼び出したのか?」
同じ学校の大学生なら、彼はルナーティアの先輩にあたる。その彼に聞かれ、ルナーティアは慌てて首を横に振った。
「ち、違います。あたし、まだ入ったところだし」
正確に言うなら、今日で二日目だ。
昨日が入学式、今日はオリエンテーションなどで、授業らしい時間は明日からとなる。
そもそも、魔獣召喚なんて、一年生の教科書には載っていない魔法だ。
「ここを通り掛かった時、この子が泣いてたんです。あ、その時はこの姿じゃなく、四、五歳くらいで金髪の人間の子どもで。単なる迷子かと思って声をかけたら、びっくりさせちゃったのか、急にこの姿になって……」
説明しながら、ルナーティアは彼の顔を見る。
並べばたぶん、頭一つ半くらいはある身長差。黒く短い髪。自分よりやや薄い茶色の、切れ長の目。女子からの評価は高いであろう面構え。
黒のパーカーブルゾンにデニムというラフな格好の下は、きっと細マッチョだと思われる(妄想込み)。
「人間に化けてうろうろしていたのが、魔力が切れてってところだろう。近くに親はいないか?」
ロック鳥のひなは、ひなと呼ぶには大きい。だが、親が象より大きいことを考えれば、これでもまだ小さい方だ。
そのひなは、泣きながら時々人間の言葉で「おかーさーんっ」と言っているようにも聞こえる。
「こら、ちびすけ。泣いてないで、ちゃんと話してみろ。親と来たのか?」
ルナーティアとは違い、きっぱりした口調で説明を求められたためか、ひなはぐずりながらも何とか話し出す。
「おかーさんと……来たの。あっちでどーんって……。人間がいっぱいで、走ったら、わーってなったの」
しっかり話せる訳ではないようで、意味不明な言葉も多い上に、泣き声も混じる。
それでも、何とか推測するに、この子は親と人間界へ来たものの、好奇心で勝手に動き回るうちにはぐれた、というところのようだ。
人間の子どもでも、よくあることである。
「ロック鳥が人間界にって……何しに来たの?」
「……おはな、みるって」
ひなの小さな翼の先端が、すぐそばに立つ桜を差した。
「もしかして、お花見に来たとか? あ、そんなことないわよね」
自分で言って、ルナーティアは自分で否定する。
魔獣はだいたい、よその世界に棲んでいるもの。花見なんてのんきな理由で人間界へ来るなんて、ありっこない。
「するらしいぞ」
「え……」
先輩の言葉に、ルナーティアは絶句する。
「旅行気分で人間界へ来る魔獣は、結構いるんだ。その時は人間の姿になって、騒がれないようにしているらしい。だから、一般人にはわからないみたいだ」
人間界に棲む魔獣もいるが、ほとんどがパラレル魔界に棲んでいる。
それくらいはルナーティアも聞いたことがあったが、まさか魔獣が「観光」に来ているとは思わなかった。人間にとっての海外旅行、みたいなものだろうか。
「たぶん、花見をしていて、親が目を離した隙にってところだろう」
「あの……あたし達が誘拐した、なんて思われない?」
「どうかな。親がパニックになってなきゃ、それはないと思うけど」
「いたっ! ぼうや!」
そんな声がして、こちらへ向かって走って来る女性がいた。
長く薄い色の金髪を振り乱すようにして、ルナーティアが気付いた時にはすぐそばまで来ている。
「おかーさん!」
予測はできたが、ひなが女性を見て叫ぶ。だとすれば、彼女はロック鳥だ。
しかし、一見しただけでは、ベー国やエー国にいそうな人間にしか見えない。その外見の感じだと、二十代後半から三十代といったところ。
ルナーティアが見たひなが人間の子どもの姿だった時の年齢とも、ちょうど釣り合いが取れそうだ。
「あなたのお子さんですか」
彼の質問に、女性は大きくうなずいた。黒い瞳が、真っ直ぐにひなを見ている。
「そうよ。こちらの世界の桜を見て回っていたら、いなくなっていて。ずっとあちこち捜していたのよ。こちらから声と気配がして」
さっきの勢いだと、ルナーティアの手から子どもを奪い取りそうにも思えたが、母親はそんなことはしなかった。
人間の姿とは言え、正体不明の相手が子どもを抱いているのだ。手を出そうとして、子どもを傷付けられたら、と警戒するだけの冷静さはかろうじて残っているのだろう。
本当に、お花見に来てたんだ……。
「よかったね、お母さんが迎えに来てくれて」
ルナーティアは驚きながらも、抱いていたひなを女性の方へ差し出す。
目の前にいる女性はとても魔獣には見えないが、ひなが嬉しそうに鳴いているから、本当にロック鳥の母親なのだろう。
「もう……心配したのよ。騒ぎになったら大変でしょ」
「ごめんなさーい」
子どもを受け取った母親が、ぎゅっとひなを抱き締める。
すると、ふわふわの毛だったひなの姿が変わり、小さな人間の男の子になった。ルナーティアが最初に見た時の姿だ。
人間の姿なのは、先輩が言ったように「騒ぎにならないため」だろう。
確かに、ひなの姿のままで泣いているところを一般人が見たら、ちょっとした騒ぎになりそうだ。
「この子、迷惑をかけなかったかしら」
改めて母親を見ると、かなりの美人だ。別の意味で、騒ぎになりそうである。
「いえ、何もなかったですよ。泣いているのを見付けたところだったから。それも、ついさっきだし」
ルナーティアの言葉に、ロック鳥の母親はほっとした表情を浮かべる。
礼を言って、親子はその場から去った。子どもが小さな手を振り、ルナーティアも振り返す。
かわいい。魔獣でも、子どもってやっぱりかわいいな。
「じゃ」
気付いた時には、すでに彼は歩き出していた。
「あ、あの、ありがとうございました」
ルナーティアは、慌ててその後ろ姿に礼を言った。
「俺は何もしてないから」
何でもないように言って彼は立ち去ったが、ルナーティアはとても助かった。
あのまま一人だったら、ひなを抱いたまま途方に暮れていたに違いない。
いずれは今のように、母親が迎えに来ただろう。その時に一人でいるのと、初対面であっても彼が一緒にいてくれるのとでは、精神的に全然違う。
まして、見習い魔法使いなら、なおさら心強いというもの。
あ、名前、聞いてない。高等部ですって言った時に、名前も一緒に言えばよかった。そうすれば、彼だって……。でも、同じ学校なんだし、また会えるかな。