財務省解体デモに見るポピュリズム
日本には財務省が凄まじい権力を持っていて政府は言いなりであり経済の停滞を招いてきたという陰謀論があり、その発露が最近起きたデモでありましょう
何故彼らはそういった陰謀論に見出してしまったのか?そしてそれについて可能な限り反論も述べていきたいと思います
陰謀論者がそのような考えに至った前提にはバブル崩壊以降の『失われた30年』はデフレ不況であって、その要因を民間にお金がないことに見出したから
民間にお金がないから投資や消費が進まず経済は停滞してしまった、何故民間にお金がないのか?それは財務省が緊縮財政を主導してきたから、という論法でありましょう
本当に緊縮財政によって民間にお金がなかったのでしょうか?これについては日本政府の債務残高の推移をみれば明らかでしょう
1990年には291兆円だった日本政府の累積赤字は30年後の今では1400兆円に達しています
単純に考えてこれと同規模のお金の供給が政府から民間にされていて、これで緊縮財政で民間にお金がなかったと言うのは誤りだとわかる事でしょう
お金の絶対量が問題だったのではなくお金が回らない要因や構造が他にあったと考えるべきでしたし、もっと早くに財政再建を行っても良かったはずです
財政再建というと彼ら陰謀論者は『税は財源ではない』という主張をしてきます、税は財源ではないのだから累積赤字を気にすることなく政府は支出を行うことが出来る
本来は財政赤字を気にせず行えるはずの政府の支出を経済成長に必要な分だけ行えていないから、緊縮財政なのだと言う人もいます
ただこれらはMMT(現代貨幣論)の一部が切り取られて独り歩きしただけで彼らの多くには正しく理解されていません
『税は財源ではない』とは本来どういった意味なのでしょうか?
銀行がお金を貸す時、わざわざ他の預金口座からお金を調達して貸すということはありません、貸す相手の通帳に数字を書き込むだけです
国の支出にも同じことが言えます。国が支出を行う際には税金から調達して支出する必要はなく、政府口座に数字を書き込むだけでお金を作り出すことが出来ます
お金とは負債の記録です。何もないところから産み出すことが出来ますし、それ自体が金貨のような価値を有しているわけでもない。国が支出するのに財源はそもそも不要であるのだから『税は財源ではない』は正しいのです
陰謀論者は政府は積極財政や減税を行い民間のお金の量を増やせば経済は成長する、国民は豊かになれる。『税は財源ではない』のだから積極財政も減税も何の障害もなく行うことが出来ると考えているのでしょう
上でも言いましたがお金とはそれ自体には何の価値もない負債の記録です。政府の財政赤字がいくらあっても問題がないのと同じで民間の黒字もいくらあっても問題にはならないのです
政府の借金は家計の借金とは違うのであれば、政府の支出で生まれた民間の金融資産もまた家計の金融資産とは違うのです
ここが恐らくは彼らの錯覚のひとつでありましょう、『税は財源ではない』と国家財政の視点からモノを言うのなら財政赤字に負の意味も減税や財政出動による民間へのお金の供給に正の意味もありません
『税は財源ではない』なら税は国民の負担にはなりません、ならば政府支出による国民の負担がどこに生じているかを理解する必要があります
その答えは祖庸調のようなお金や税金のなかった時代を見るとわかりやすいです。その時代の税は物品や労苦を納めるものでした。
これと同じことが現代でも行われているのです
政府が支出を行う際、物品と労苦が民間から政府に徴収されます、国民の負担とはその徴収された物品や労苦になります。MMTの言葉で言うなら実物資源でしょう
財政赤字が幾らあろうとも関係なく政府が支出出来るというのは民間に徴収できる物品や労苦=実物資源がある限りは政府はそれらを徴収出来るということに他なりません
これには実物資源が枯渇するとインフレになるとされますからインフレにならない限りはという但し書きがつきます
そしてこの場合税金は負担ではなくお金に価値を持たせる為にあります
人々は納税をする為にお金を求めます、その動機がお金に流通するだけの価値を持たせているわけです
こちらについてはここで説明するよりモズラーの名刺で調べてもらう方がわかりやすいかもしれません
もう一つ、税には資源の消費の抑制の役割があります、税によってお金が民間からなくなればモノサービスの消費が抑制されれば民間では実物資源を使った生産活動も抑制されそのままそれは資源の消費の抑制となります
ではどうして財政再建や政府の財政赤字が問題になるのか?
上で述べてきたように『税は財源ではない』とするなら財政赤字の数字自体は問題になりません
ただこうなるまでの経緯と現状、徴収された物品や労苦=実物資源がどのような使われ方をしたのかしているのかが問題となるわけです
政府が支出する際、民間からは実物資源が失われ引いていえばその実物資源が生み出すはずだったモノサービス=付加価値が失われます。これは民間への負担となります
ですが、その支出で失われた以上の資源または付加価値を産み出すことが出来たのなら問題にはなりません
これと同様の支出を矢継ぎ早に繰り返して財政赤字が膨れ上がったとしても同様です
ですが支出の結果、使った資源に対して産み出される資源や付加価値が少ない場合は問題になります
民間にあった物品と労苦を無駄に失ってしまっただけです
日本に何故財政再建や財政赤字の是正が必要だったのか
それは財政再建や財政赤字の是正は実物資源の使い方の是正でもあったからです
日本の支出、資源の使い方をいうと真っ先に挙げられるのは社会保障でしょう
先に言いますと社会保障は本来は労働者の為にありました。セーフティネットがあるから労働者はケガや病気または失業や老後の心配をせずに働くことが出来ました
言い換えるなら社会保障の維持に使われる資源より労働環境の改善による資源や付加価値の増加の方が大きかったのです
それが平均寿命の増加や少子高齢化、人口動態の変化によって逆転して、労働者の為の社会保障が今は逆に労働者の負担となっています
それ以前に日本の皆保険制度が人口の増加や経済成長を前提にしたネズミ講的な制度で最初から破綻していたという見方もあります
かなり初期の段階で皆保険制度はその支出を赤字国債で賄っていました
先の東京五輪はどうでしょうか?使われた資源に対して、それに見合う以上の資源や付加価値を我々は獲得できたのでしょうか?
五輪の生産誘発額は2兆9000億円で逆に使われたコストは現状推測では3.7兆円近くとも言われてはいます
この数字をそのまま受け取るなら3.7兆円の付加価値を生み出せる分の物品や労苦を使って約3兆円の付加価値の増加しか起きなかった、資源を無駄に使ってしまったことになります
日本の財政赤字はこういった資源の浪費を放置し続けた結果と言えるでしょう、文字通り将来へのツケとなったわけです
では『税は財源ではない』の目線から見た民間の『失われた30年』はどうだったのでしょうか?
陰謀論者は緊縮財政を行っていたから民間ではお金=有効需要が縮小して投資も消費も行われずに経済成長出来なかったと言います
何度目かの繰り返しになりますが『税は財源ではない』と言う事はお金とは無から制約なく産み出せる負債の記録です
制約がないのだから民間のお金の需要に政府や日銀は常に応えていることとなります
民間にある資源や付加価値が資金需要を決定して、政府や日銀はそれに従ってお金を供給している
これは貨幣内生説や日銀理論が詳しいでしょう
お金は民間の外にある政府や日銀が生み出して決定しているのではなく、民間の資源と付加価値が決定している、生み出しているというわけです
例え話になりますが、
腹を空かせた漁師が夕方には魚を獲ってきて渡すと約束して農家から米をもらい受けます
この時、漁師は政府か日銀からペンを借りて農家の通帳に魚と書き込むわけです、この負債の記録がお金です。漁師は何もないところからお金=負債の記録を産み出しました、政府と日銀はペンを貸しただけです
これが成立するためには米という資源、腹が膨らむという付加価値がまず存在しないと成り立ちません
短期的にはバブル崩壊直後のように民間の貸し出しが控えられてデフレ不況と呼ばれる時期はありました、しかし『失われた30年』のような中期のスパンで見ると民間に起きていたのは資源や付加価値の停滞、もしくは縮小です
お金がないから経済成長出来なかったのではなく経済成長=付加価値を増やすことが出来なかったからお金が産まれなかった
何故付加価値は増えなかったのか?それは第二次産業から第三次産業への転換に失敗したことが大きいでしょう、第二次産業は日本の戦後の高度経済成長を牽引しましたが、その優位性は他の途上国のインフラの整備によって失われてしまいます
教育や流通インフラが整ってしまえば安く多く人的資源の確保できる国に生産拠点は移動してしまいます
日本国内の海外への生産拠点の移転は90年代から始まりピーク時の2000年には日本企業によって年間一万以上の工場が海外に建てられました
半導体に関しては半導体協定が大きいでしょう、かつて産業のコメと呼ばれ世界シェアの半分を占めていた日本の半導体は今では見る影もありません
そうして日本国内から付加価値は失われ、その代わりを生み出すことが出来ませんでした
ここまでをまとめると『失われた30年』とは
社会保障の制度疲労、少子高齢化、産業構造の変化、による国内の実物資源、付加価値の停滞或いは減少だと考えられます
これらはある日突然降って湧いた問題ではなく、かなり昔から周知されていました。もっと早くに手を付けることが出来ればなんとかなったかもしれませんが、今からこれらを是正しようとするのは多くの労力を必要とするでしょう
多くの障害や困難を引き起こすことは想像に難くありませんし、反対する人も当然それだけいるのです
陰謀論者の中には付加価値の減少が原因なのなら生産性を上げればよい、その為に拡大財政や減税を行うべきだという人もいます
少子高齢化で労働者が少なくなっても技術の開発や発展で労働者一人当たりの生産性を上げれば、社会保障を支えつつ産業構造の変化も行える、その為に拡大財政や減税を行い政府主導で事業を行ったり民間にお金を供給するのだと
それが出来るのなら『失われた30年』は起こり得ません。今より資源が余っていた『失われていた30年』のどこかで生産性の向上や技術の発展は達成されていたことでしょう、達成どころかその具体的な筋道すら立っていないのが現状です
モノや人が余っていた頃の現役世代にやれなかったことを、環境の悪化した今後の現役世代に出来るとどうして考えることが出来るのでしょうか?
そしてそもそもがお金を供給して付加価値を増やそうという考えが『税は財源ではない』に反しています
こういったように彼ら陰謀論者には大衆に迎合するのならば理屈の是非や理論の筋は関係ありません、まさにポピュリストと呼んでも差し支えないでしょう
彼らの産まれた背景に経済の停滞による社会不安があることは確実で、この先社会不安が大きくなれば大きくなるほど彼らのような人たちは力を持つでしょう
今回のケースに見られるようにポピュリストが力を持てば社会不安そのものを取り除く障害となり、それが更に社会不安を増大させていくといった悪循環が産まれているように感じます
小泉自民党の抵抗勢力から始まり、民主党の埋蔵金、円高デフレ悪玉論、財務省緊縮悪玉論といった流れでしょうか?
大衆だけでなく政治すらも引っ張っているのかもしれません
ポピュリズムの悪循環を押しのけて大元である経済を是正する、これは正解ではありますが現実的ではないようにさえ思えます
ケインズ政策とMMTの補足
ケインズ政策とMMTを混ぜている人が結構見受けられる
有効需要(お金)に着目しているのがケインズ政策、第二次世界大戦前の世界恐慌では効果的だった
お金を増やせばモノサービスの供給量が増える、有効需要の原理つまり有効需要がモノサービスの量を決定する
それが破れたのがオイルショックの時、スタグフレーションには有効需要の原理は役に立たなかった
まあインフレと不況が同時に起きてるときにお金増やしても意味ないどころかインフレが進むだけやね
有効需要じゃなくてモノサービスに着目したのがMMT
モノサービスつまりは実物資源がお金の量を決定する、実物資源が増えるとお金は勝手に増えますよってな感じ
この時、上で散々擦った『税は財源じゃない』とかが成り立つ
よくわからんけど『税は財源じゃない』と有効需要の原理が悪魔合体してるんよね
税は財源じゃないから国はいくらでも支出出来る!ほなら支出しまくって有効需要を増やして景気回復!経済成長だあああああ!財政拡大に逆らうやつは新自由主義者で財務省の手先で財政破綻論者だ!カルタゴ滅ぶべし!
いやMMT取り扱うならどこから緊縮やら財務省やらが出てくんのよ そうはならんやろ ってのを大の大人がやってる多分
MTTはケインズと違って裁量によるお金の供給は基本不要だと考えている、実物資源に着目していて実物資源がお金を決定してるってんだからそりゃそうなる
Job Guarantee Program = JGP
代わりに失業者に直接国が仕事を与えるJGPってのをやるのが前提 失業者に直接仕事を与えれば実質資源は増えるからね
好景気の時は失業者が減ってJGPへの支出が減って国から民間への貨幣供給量が減る、不況の時は逆でJGPへの支出が増えて民間への貨幣供給量が増える
政府が裁量で不景気だから金増やして景気過熱しろ!好景気だから金減らして冷ませ!とかやらなくても自動で調整してくれる機能が財政自体にあるよって考え方 ビルトインスタビライザーってやつね
これが機能しているのは実際に確認されていることであるけれど個人的にインフレデフレ是正としては疑わしいとは思う
有効需要に着目したケインズ政策が資源高騰のスタグフで破れたのなら、資源に着目したMMT政策というものを行う場合、それは信用インフレ信用デフレで行き詰まる可能性があるのは想像しやすい
MMTがインフレやハイパーインフレで批判されるのはそこにあるかと思われます