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7.公女、悔やみきれない。

わたしが母に嫌われたことを受け入れ、打ちひしがれていた頃。


政館の衛士で、わたしに良くしてくれる青年がいた。明るすぎず、暗すぎず。なにかれとなく話しかけてくれた。


青年は、わたしの気持ちの支えになっていた。


ある日。政館に立ち寄った姉の横に、青年の姿があった。青年の目がわたしを認めると、バツが悪そうに顔を背けた。


青年は、姉の恋人のひとりになっていた。


姉はわたしを嘲弄する笑みを浮かべ、青年となにやら囁き合い、腰を抱かせて立ち去った。


それから、姉に奪われなかったのは、父くらいなものだ。


あとは、人目を忍んで通った裏路地の雑貨屋。老主人とザザ。


他はすべて、わたしが少しでも打ち解けられたかなと感じた者は、男女を問わず、姉が必ず奪っていった。


母から寵愛される姉に、わたしでは立ち向かうことが出来なかった。


その姉の毒々しい赤色をした爪が、カトランの顎を撫でた。



「私たち、よく分かり合う必要があると思わない? 姉と妹婿なんですもの」



甘ったるい声を絡ませる。


カトランの肩がピクっと動いた。



「ほう……、姉と妹」


「そう。私はアデールの姉のファネット」


「姉のファネット……」



カトランの顔が姉の方へと向き、ふたりの顔は至近の距離で向き合った。


かつて姉がわたしに見せ付けてきた、青年との囁き合いのように。


クスリと、姉が笑う。



「決闘なんて不粋なことはやめて、お酒を酌み交わしましょう? 私たちの出会いを祝して。王都から上等な酒をたっぷり持って来たのよ?」


「ほう……、決闘は不粋か?」


「不粋ねぇ」



カトランの手が、姉の胸元に伸び、そのまま、……まっすぐ伸びた。



「……ぐぇ」



と、胸がつかえたのか、姉の喉から無様な呻きが漏れる。


カトランの傷だらけの手が姉の喉と胸の間を押さえ、逞しく引き締まった腕が突っ張り棒のように距離を隔てさせた。



「お前が姉なら、大公家の公女にして我が夫人アデールを侮辱したこの男を、いかに裁く?」


「だ、だから」


「よもや、大公家の名誉を傷付けられ、ヘラヘラ笑って済まそうという訳ではあるまい、公女ファネット」


「くっ……、分からない男ね」



と、姉がカトランから離れる。


カトランは姉の胸元にあてていた手を、サッと払った。


まるで汚いものに触れてしまった時のような、自然な仕草に、姉の顔が歪む。


そして、その豊満な胸を突き出し、尊大に顎をしゃくった。



「アデールなんか、公女とは言えないんだから別にいいのよ。それより、私の男から早く足を退けなさいよ」


「ほう……。公女でない者と結婚させられたのか? 私は」


「いや、だから……」


「もちろん、その言葉がどういう意味を持つか、理解しての発言だろうな?」



カトランの真っ赤な瞳が、姉を一瞥する。



「くっ……。なによ、さっきから王都に屋敷も持たない辺境の子爵風情が偉そうに。私は女大公ブランディーヌ・ランベールの長女、公女ファネットよ!?」


「偽りを申すな」


「な、なにが偽りよ!?」


「お前が本物の公女ファネットなら、妹であるアデールへの侮辱を放置する訳があるまい?」


「くっ……、馬鹿馬鹿しい。なんで、私がアデールに……」


「公女を僭称する慮外者を捕え、首を刎ねるのは、王国貴族の端くれとして当然の責務ではあるが……、さて」


「なっ、なにを……、そんなことしたら、大公家の兵団が全軍でこの地に……」


「ほう」



と、カトランは、踏み付けていた男性から足を離した。



「数十年に渡って実戦経験のない大公家の兵団がいかほどのものか、実に楽しみだ」


「つ、強がりを……」


「30倍の敵兵団を退けた我が子爵家の兵団が、最近暇を持て余し困っていたところだ。……女大公殿下ご自身が政略結婚を持ち掛けた子爵家に対し、果たしてどのような戦いぶりを見せてくれるものか」


「がははははっ! 腕が鳴りますな!?」



マルクの豪快な笑い声にも、姉の連れてきた護衛の騎士たちはビクッと身体を震わせるばかりで、剣を抜こうともしなかった。


カトランの声が低く響いた。



「アデール」


「はっ、はいっ!」


「この者らを……、私はどうすればいいかな?」


「……カトランのお怒りはごもっとも」


「ア、アデール!?」



と、姉の金切り声が城壁に木霊する。


わたしは、首まで覆う深いモスグリーンのドレスのスカートを摘んで持ち上げ、カトランに頭をさげた。



「……なれど、わたしの下げた頭に免じ、このまま帰してやってはくれませんか?」


「ふむ。夫人にそうまで丁重に頼まれては、応えぬ訳にはいかんな。夫として」


「ありがとうございます。旦那様」



カトランが、冷ややかな視線で姉を見下ろした。



「妹の取りなしで命拾いした、いまの気持ちはどうだ?」


「くっ……」


「聡明で優しい妹を持ち、姉として誇らしかろう? お前が本物の公女ファネットであるのならな」


「ひ、ひ、ひ、ひ……」



と、カトランから踏み付けにされていた男性が這うようにして、悪趣味な馬車に逃げ込み扉をバタンと閉めた。



「ちょ、な、なにしてるのよ!?」



と、姉も馬車に駆け寄り、扉を引くのだけど、男性が中から押さえているのか、開けることが出来ずにバタバタと見苦しく暴れる。



「……茶番は、外でやれ」



カトランの声に、姉が睨み付けた。



「お、覚えてなさいよ」


「いや。さすがに忘れたい。無様過ぎて、思い出し笑いだけで、笑い死にしそうだ」


「くっ……」


「粋なものを見せてもらった」



結局、カトランとマルクたちが離れると、少しも姉を守る素振りを見せなかった騎士たちが説得を始め、ようやく男性は馬車の扉を開いた。


屈辱に顔を歪ませた姉が、わたしを睨み付けたので、にこやかに頭をさげる。


カトランが領主として領内での歌舞音曲の禁止を申し渡し、楽団の音楽は鳴り止み、静寂のなか、姉の馬車が去って行った。



「あの……、大丈夫なのでしょうか?」


「ん? ……ああ、こうまで露骨に我が子爵家を侮辱しておいて、女大公が私を罰したら、恥をかくのは女大公の方だ。……隙を見せたのは女大公。仮に兵を差し向けられても、先ほど言った通り、負ける気はしない。返り討ちにするだけのことだ」



と、カトランは平然と言った。


そして、マルクを呼び、後始末の指示を出している。


その声の中に、



『……ふたりいたんですな、公女』


『ああ、驚いた』


『さすがの女大公も〈良い方の公女〉を送って来たんでしょうなぁ』


『アレは、ない』


『このクソ寒い中、乳を放り出して……、何を考えてるんでしょうな?』


『乱倫とかそういうレベルでは……』


『良かったですな、アデール様で』



と、聞こえてきて、わたしが姉と間違えられていたことに気が付いた。



「ははっ」



と、思わず笑いを漏らした。



――それは……、風紀を乱さないかと警戒される訳ね。



パトリスがぶつかっただけで罵倒された理由が、なんだか可笑しくてたまらず、笑いを堪えるのに必死だった。


姉の淫蕩ぶりには拍車がかかって見えた。


あそこまで〈頑張って〉も、相手の男性になびかれなければ、滑稽なことこの上ない。


さすがに胸のすく思いだ。



「あはっ!」



と、思わず笑い声をひとつ響かせ、カトランとマルクに変な顔で見られてしまった。



  Ψ



城内で、もてなしの準備を手伝っていたザザには予想通り、爆笑された。



「しまったぁ~、早く終らせてたら、私も見れたのになぁ~」



そのまま準備の撤収に加わったザザが、城兵から話を聞いてきてくれた。


もちろん、ちゃっかりラム酒をくすねて来ている。



「要するに、北の帝国からの侵攻を独力で退けちまった子爵家の武力を、王都は恐れてるのね」


「あ~」


「兵士たちも『暇だし、攻めて来てくれないかな』って笑ってたわ」


「ふふふっ……。王国は広いわね」


「ほんと。アデールが誘ってくれて良かったわ」



と、ザザが笑い、すこしホッとした。


なんでも面白がってくれるザザだけど、来て良かったと言葉にしてくれたのは初めてだったからだ。


それから暫くして、うっすらと雪が積もった日の朝。わたしはカトランの執務室に呼び出された。



「アデールに、正式に家政を任せたい」


「え……、あ」


「先日の姉君のことを気に病むことはない。私も気にしない」


「あ……、はい。あの……」


「ん?」


「……何と申し上げたらいいか」


「うん……。そうだな、ハッキリ言っておこう」


「はい……」


「仮に大公家との関係が悪化して、女大公がアデールとの離縁を言ってきても、私に応じるつもりはない」


「え……?」


「アデールは大切な人質だ」


「……はい、承知しております」


「大公家に戻したりはしない」



嬉しかった。


皮肉にも姉の来訪によって、わたしが〈乱倫の家〉の者ではないと証明されてしまったのだ。


ちいさく見せてる胸に、握った拳をあて、子爵家の一員に迎え入れてもらった喜びを噛み締めた。



「家政といっても、まだ出来ることは限られる。無理する必要はない」


「はい。出来ることから、少しずつやるようにいたします」


「うむ。……頼んだぞ」



軍令を発するような口調に変わりはない。


だけど、少なくともわたしを〈戦友〉だとは認めてくださったような気がした。



――頼んだぞ。



その言葉の響きが、何度も頭の中で繰り返される理由に、わたしは、なかなか気が付かなかった。


カトランは再び領内の視察に出かける。


わたしは、マルクに貯蔵庫を案内してもらったり帳簿を見せてもらったりと、慌ただしくも充実して過ごす。


そうしてようやく、自分に役割を与えられたこと、自分に居場所が出来たことが、嬉しくてたまらないんだということに気が付いた。


カトランは言葉も口調もそっけないけれど、行動で示してくれた。人質という言葉は冷たいけれど、わたしを大公家に戻さない理由を明確にしてくれた。


戻らなくていいと言ってくれた。


カトランはやはり優れた軍司令官なのだろう。



「おっ? アデール、張り切ってるねぇ~」



と、わたしをからかうザザも、たくさん手伝ってくれる。


わたしも行動で返したい。


なので、悔やんでも悔やみきれない。


大人しいパトリスが、わたしに口をきいてくれなくなっていると、気付くのが遅れてしまったのだ……。

本日の更新は以上になります。

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