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5.公女、耳を傾ける。

カトランから漂い来る気配が、わたしの手を震わせ、身体を堅くさせる。



「やはり、支城を準備させよう」



カトランはそう、冷たく、丁寧に、軍令を発するように言い放った。



――わたしを、追い出すための……、城。



母の顔が重なる。


パトリスがわたしに抱き付いて見える様が、謹厳な家風を重んじるカトランの勘気に触れたのだとは分かる。



「……母と呼ばなくていいとは、やはり、パトリスを誘惑するためであったか」



違う。違うのだけど、声が出ない。


なにより「やはり」という言葉が、重くわたしの胸に突き刺さった。



「このように幼い者にまで……、大公家は見境なしか。乱倫の極みだな」



汚らわしいものを見る視線が、わたしからパトリスへと動く。


呼吸が、浅くなる。



「パトリス。いつまで抱き付いている。その者は、お前の夫人ではない」



カトランの射るような声にも、パトリスは身を強張らせて動かない。


わたしにしがみついている訳でもなく、ただ動かない。



「……パトリス」



と、カトランが声を低くしたとき、わたしはようやく気が付いた。


わたしの身体を堅くさせているものが、圧倒的な〈暴威〉であることに。


男性の持つ腕力、膂力、暴力。王都にいるときに感じたことのなかった、……恐さ。


ここが最前線の城で、カトランが悪名高い〈血みどろの狂戦公〉であり、王国史上最強と名高い武人であることを、思い出す。


手の震えが止まる。



「ちょっと、子爵様さぁ~」



と、ザザの呆れたような声が遠くに聞こえた。いや、近くにいるはずなのに、耳に靄がかかったみたいに、小さく響いた。



「これは子爵家の問題だ。大公家の侍女殿といえども、口出しはお控えいただこう」


「私は大公家の侍女って訳じゃないけどさ。まずは状況確認、情報収集っていうのが大将の仕事ってもんなんじゃないの?」


「むっ……」


「私は兵法の先生から、そう教わったけど? ごく最近」



カトランが部屋の中を、一瞥する。



「……乱雑に散らかった部屋。他人の夫人に抱きつく男。状況は確認した。どれも、わがガルニエ子爵家では、あり得ないものばかりだ」


「子どもが母親に抱き付いて、なんの問題があるのさ。……抱き付いてもないけど」



そうだ。大公家から来たわたしはともかく、パトリスの名誉は守らないと……。


そう、顔をカトランに向けたとき、ザザが言葉を重ねた。



「どうでもいいけど、そこ……、私の城なんだけど?」


「……城?」


「足元、見て。……その線から、私の城。私の〈ワクワク軍〉の城なの。どいてくれないと、捕虜にしちゃうわよ?」



眉間に険しいシワを刻んだカトランが、足下を見回す。


四角の板に目を輝かせる〈ワクワク軍〉の駒が、散らばっている。


教授役の痩せぎすの兵士が、カトランに片膝を突いた。



「……恐れながら」


「……なんだ?」


「ただいま……、図上演習中にて」


「図上演習?」


「……パトリス様率いる〈ニコニコ軍〉および、アデール夫人率いる〈プンプン軍〉の連合軍が、侍女殿の城を陥落させる目前にございます」


「ちょっと、先生ぇ?」



という、ザザの声には、意地悪めいた笑い声が混ざっていた。



「私の援軍に来た、先生の〈ムカムカ軍〉による奇襲攻撃が成功して、パトリス様が転びそうになったんでしょ~?」


「あ……、は……。左様で」


「転びそうになった息子を身体を張って助けるだなんて、アデール様ぁ~? ふしだらでございますわねぇ~? 旦那様が妬いていらっしゃいますわよぉ~?」


「ちょ……、調子に乗りすぎよ、ザザ?」



と、わたしは、ようやく声を絞り出せた。


まだ、状況が呑み込めないのか、カトランは部屋に散らばる4種類の駒を目で追っている。


そのとき、



「がははははははははあっ!!」



と、マルクの豪快な笑い声が、カトランの後ろから響いた。



「負けです負け。カトラン様の負けでございますな」


「う……」


「負け戦は手早く手仕舞い。撤退して、再起を期す。……最初の最初に、カトラン様から教わった兵法の要諦ですぞ?」


「……そうだな」


「我ら、最初は負け戦つづきでしたからな。……カトラン様の見事な退きっぷりに、皆が信頼を厚くしたものです」



と、マルクは腕組みをして、さも楽しげに何度も頷いた。


やがて、カトランは背筋を伸ばした。


そして、わたしに向かいキレイに腰を折る。



「……まだ詳しく理解できておらんが、大変、失礼なことを申した」


「い……、いえ……」


「暴言を、許してほしい」


「……わ、わたしこそ、旦那様であるカトランの許しも得ずに、勝手なことを……」


「はいはい! お仕舞い、お仕舞い!」



と、ザザが手を打った。



「侍女殿にも……」


「ああ、そういうの、私にはいいから。それより、子爵様が相手してよ?」


「……ん?」


「戦争ごっこの。子爵様、戦争がお強いんでしょう? さあ! もう一回、最初からやろう。さ、さ。パトリス様も駒を集めて」


「う、うん……」



と、パトリスがふらりと動いた。


ザザとふたり、パトリスも床に散らばった駒を集める。


カトランが、そっと、わたしに歩み寄った。


そして、耳元で……、



「大変、不躾なことを言ってしまった。お詫びのしようもない」



と、囁く。



「い……、いえ。……王都を離れたら、大公家がどのように語られているか……、わたしも理解しているつもりでした……」


「しかし、感情的になってしまい……」


「……わたしの配慮が足りていませんでした」



と、頭をさげ、ようやく耳元のカトランから顔を離す。


男性と、経験のない距離に、すこし狼狽えていた。


そして、カトランはパトリスにも詫び、パトリスは首をすくめるようにして頷いた。



「ケケケッ。アデールの色気をこれ以上抑えようと思ったら、顔に墨でも塗るしかないわね」


「ザ、ザザ!? ……そんな、わたしに、……色気だなんて」


「これから、どんどんキレイになるよぉ? アデールは。……あっ、いけね。アデール様は!!」



しゃがんだまま、頬杖をついて笑うザザの隣に、マルクが大きな体を畳んだ。


そして、駒を拾い集めはじめる。



「……侍女殿。ずいぶん、喧嘩慣れしておられますな? 見ていて、惚れ惚れする仲裁ぶりでしたぞ」


「バ~カッ。ボーっと見てるんじゃないわよ。ほんとは、ご側近のマルク様の仕事でしょ~?」


「がはははっ! これは一本取られた。その通りだ」


「おっ! 撤退、はやいねぇ~!?」



ふたりの軽妙なやり取りに、部屋の空気が軽くなる。


パトリスの表情はまだ堅いけど、教授役の兵士からルールの説明を受けるカトランの表情には、和やかな空気をつくろうとする努力が見受けられた。


わたしが風紀の乱れた大公家の一員だと見られていたことには、少なからずショックを受けた。


乱倫の極みとまで罵られてしまった。


だけど、まだ幼いパトリスにまで、カトランが疑いの目を向けていたことには、かるい違和感が残る。


大切な甥で、養子。自分の跡を取らせると決めているのだろう。


一度は潰滅状態に陥った子爵家の、謹厳な家風を受け継がせたいのだろうけど、それにしても……。



「よぉ~し! 子爵様の〈メソメソ軍〉をみんなで攻めるぞぉ~っ!!」



と、ザザの明るい声で我に返った。


パトリスも、ぎこちないながらに笑みを見せている。


わたしもグウッと顔に力を入れて、笑顔をつくった。



  Ψ



パトリスの〈ニコニコ軍〉、わたしの〈プンプン軍〉、ザザの〈ワクワク軍〉、さらに、教授役の兵士、マルクも加えた、五ヶ国連合軍は、一度もカトランの〈メソメソ軍〉を討ち破れなかった。


ただのゲーム。お遊びだとはいえ〈血みどろの狂戦公〉の凄味を見せつけられた。


何度やっても勝てないのに、パトリスの目には尊敬の光が宿る。


そんな目でカトランを見るパトリスは、わたしがこの城に来てから初めて目にするものだった。



「……まもなく晩餐の時間だ。今日はこのくらいにしておこう」



と、カトランが駒を置いた。



「……アデール」


「は、はい!」


「素晴らしいゲームだ。……パトリスのために、ありがとう」


「いえ……、そんな」


「晩餐の後、もう少し、語り合えると嬉しい」



と、先に部屋を出るカトランの背中を、皆で眩しく眺めた。



「さすが、お強いですね~、お養父上!」


「う、うん……。そうだね」



と、ザザの言葉にパトリスが、誇らしげに唇をすぼめる。


パトリスは、初めて父親と遊んでもらったのかもしれない。男の子なら、それは忘れられない思い出になるだろう。


わたしのピクニックのように。


嫌な思いもしたけど、パトリスの表情に報われた気がする。



「う~ん、……懐かしいですな」



と、マルクが感慨深げに、腕を組んだ。



「カトラン様は、挑戦されたら断らずに、必ずお受けになる。そうして、荒くれ者ばかりの兵を、まとめ上げられたのです」


「……そうなのね」



わたしの感じた暴力の匂い。迫力。恐さ。


それが、戦場の実戦で培われ、奪われた城を取り戻し、子爵家を再興させたのだと、実感させられる。


社交に踊り、酒と愛欲に溺れ、恋愛という名で人の心をゲームの駒にする、王都の貴族たちとは全く違う。


辺地貴族の現実を垣間見せられた。


どちらが好きかといえば……、わたしには断然、カトランの生き様の方が好ましい。


謹厳で、禁欲的。部屋はいつも整頓されていて、余計なものは何もない。華美ではないけど貧相でもない。気高いとはこういうことなのではないか。



――きっと、今日は少し行き過ぎてしまったのね……。



と、頷いた。



「まあ……」



と、マルクがする話の続きに、興味深く耳を傾ける。


わたしは、もっとカトランのことを知りたくなっていた。



「……いいことばかりでは、ありませんがな」



と、マルクは珍しく、複雑で曖昧な表情を浮かべた。

本日の更新は以上になります。

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