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31.公女、母の謀略を打ち破る。

逃げてというわたしの言葉は、強くありたいと願うパトリスの心に届かなかった。


ムッとしたように、胸を張った。


けれど、ガビーの心に届いた。



「あははははっ! 鬼ごっこですかぁ!? 逃げるが勝ちですねぇ~!?」



キョトンとしたパトリスは、次の瞬間、セリアの腕からスルッと逃れた。



「ああっ……、パトリス……」



と、恨めしげな声をあげたセリアの足元を掻い潜って、わたしの元へと駆けてくる。



「……狼藉者を捕らえよ」



わたしの言葉で、傅役のギオがセリアを組み伏せた。



「ろ、狼藉……、などと、私はただ……」


「部屋に戻してください。……警護の者を増やすように」


「お、お待ちください、アデール様。せめて、パトリスと話を……」


「……当家の定めた区画より勝手に外に出た。それだけでも、密偵の疑いで厳しい詮議にかけてもよろしいのですよ?」


「くっ……。あまりな仕打ちではございませんか? ……ただ私は母と子の語らいをと……」


「立場の曖昧なふる舞いは、我がガルニエ辺境伯家の家風にそぐいません」


「なにを……」


「前当主夫人としての待遇を望むのなら、落城時の責を問うため、まずは獄を抱いてもらうところからです」


「そんな……」



なるほど。その涙で男の人をいいように操るのは、さぞや楽しいことなのでしょうね。と、冷ややかに見詰めた。


ただ、定めた区画から〈迷い出た〉だけで追い出すのは、今の時点では対応が少し重たい。



「……二度はありませんわよ?」


「は、はい……」



と、殊勝に項垂れるセリアに、反省の色はうかがえない。



「母女大公に抗議の使者を飛ばすのは、わたしも娘として心苦しいですからね?」



ここまで言って、ようやくセリアが顔を青ざめさせた。


密命どころか使者の任を果たせなかったとなれば、母女大公からどんな罰を下されるか分からない。


自分の置かれた立場に、ようやく気が付いたのだろう。


ギオに連れられセリアが姿を消すと、ガビーに礼を言った。



「あはははっ! 鬼ごっこはパトリス様の勝ちですねぇ!」



と笑うガビーに、パトリスも笑顔を見せた。


ガビーを見送り、パトリスをわたしの部屋に入れる。ギオが戻るまで、パトリスをひとりにしておくことも出来ない。


ザザが、温かいミルクを出してくれた。


パトリスは、まだ足のつかないソファに腰掛けて、美味しそうにミルクを飲んだ。


こんなに小さなパトリスが、なんと重たい荷物をいくつも背負っていることかと、目頭を熱くしてしまった。



「パトリス……」


「なに?」


「……もう二度と聞きません。だから、正直に答えてください」


「う、うん……」


「母上のところに行きたいですか?」



パトリスは瞬時に表情を曇らせ、俯いてミルクの入ったカップを見詰めた。


そして、怯えたような眼差しをわたしに向けた。



「……アデールは、ボクを追い出すの?」


「いいえ。わたしはパトリスが『もう、いいよ』と言うまで、絶対にパトリスのことを手放しません」


「……え?」


「あれ? あれれ? もう証明済みだと思ってたけど、もう一回やる? 抱っこゲーム」


「え~」


「ふふふっ。絶対絶対、わたしからは放さないわよ?」


「う~ん、アレは暑いから、もういい」


「そっか」


「……うん」



と、パトリスは、今度は頬を少し赤くして、はにかむようにして俯いた。



「……ははうえは」


「うん」


「……アデールがいい」



もう! 抱き締めて頬擦りしちゃうぞ!? という気持ちだったけど、パトリスの心中を思えば、喜びを強く出すのは控えた。


手をつないで、ふたりで厨房に行き、あり合わせのものでサンドイッチをつくる。



「はい、どうぞ」


「……どうして、ボクがお腹すいてるって分かったの?」


「う~ん、なんでかなぁ?」



パトリスが感情を昂らせた後、空腹を訴えるのは、経験上なんとなく分かっていた。


自分のサンドイッチを、パクッと食べて見せる。



「うん。なかなかの出来ね。パトリスも食べたら? 美味しいと思うんだけど」


「ふ~ん……」


「あっ、信じてないなぁ~?」



そう言えば、パトリスに料理を作ってあげるのは初めてだった。あまり厨房に立つ立場でもないし。


不信の塊のような表情のパトリスに苦笑いして、自分の分をペロリと食べる。


それを見たパトリスが、決死の覚悟を窺わせる表情で、チミッと口にする。



――そ、そんなに……?



と、苦笑いを重ねるのだけど、パトリスの表情がパアッと明るくなった。



「ほんとだ、美味しい……」


「意外そうに言わないでよ。アデール、傷付いちゃうな」



という、わたしの冗談は耳に入らないようで、パトリスはパクパクと、アッという間に完食してしまった。



「……また、作ってよ。……は、継母上」


「ふふっ。ええ、いつでも作ってあげる」



厨房の作業台にもたれ、礼儀も何もない食べ方だったけど、たまにはこういう時間もいい。


パトリスと微笑み合った。



  Ψ



ほぼ強制的にセリアを温泉に連れ出した。



「ソランジュ殿下にもお楽しみいただいた当家のもてなしですが、なにか? それとも、大公家は王家より劣るもてなしをお望みですか?」



と言えば、それ以上に抗弁してくることもなかった。


セリアは城の構造をよく知っている。


いつ定めた区画から出てくるのかとピリピリして過ごすより、いっそ隔離してしまうことにしたのだ。


セリア以外の入浴を禁じ、従者やメイドたちを男女別々の山荘に押し込める。


乱痴気騒ぎなどされては、たまったものではない。警護名目の兵士に見張らせた。


従者やメイドの中には、見覚えのある顔もあった。


わたしを貶めようという視線も、ヒソヒソと嘲笑う声も聞こえたけれど、毅然とふる舞えば、どうということもない。


母や姉のいない場所では、下賤な家人たちに過ぎない。


それでも、こちらからは最後まで隙を見せないようにと、わたしも入浴衣を身に付け、湯に浸かる。


やがて姿を見せたセリアに、顔をしかめさせられた。


下着のようなセパレートの、はしたない入浴衣。薄いガーゼ地は湯に浸かれば肌が透けるだろう。



「……わたしの替えの入浴衣があります。すぐに着替えてきなさい」


「ええっ? そのような無粋なもの……」


「なるほど。男爵夫人は当家のもてなしを断り、このまま王都に帰還すると?」


「……王都では、入浴衣など身に付けず、みなで浴場に浸かるのが流行ですのよ?」


「へぇ……」


「男も女もなく、豪華な金の大浴場に飛び込むのです。実に清々しくて、束縛のない、粋で素晴らしい経験を……」


「それは是非、王都の流行を学びに、辺境伯家の全軍で訪ねさせていただかねばなりませんね?」


「あ、……いや、それは……」


「無粋な入浴衣に着替え、使者として当家のもてなしを受けるか、このまま王都に帰るか選びなさい」



しばらく、はしたない格好で逡巡して見せたセリアは、やがて着替えに戻る。


そして、ふたり、黙って湯に浸かった。


すこしは打ち解ける場にしてもよいと考えていたけど、完全にその気が失せてしまった。


パトリスを山奥に投げ捨て、ひとり逃げたときの心境など、聞いたところで偽りしか言わないだろう。


むしろ、本心の方が聞きたくない。


湯面にゆらゆらと浮かぶフリルを不満そうに眺めるセリアから目を逸らし、空を見上げる。


セリアが何を企もうとも、そのすべてを封じた。


辺境伯家を撹乱しようという母女大公の謀略を、わたしは打ち破ったのだ。


頭の中では、お試し初回に向けて〈ややこしい客〉を温泉地に入れてしまったときの、いいシミュレーションになっている。


母のおかげで、最高の被験体を迎えることが出来た。これ以上に〈ややこしい客〉などいないだろう。


そして、この温泉地を、節度のある、清く正しい社交の場とするためには、やはり覚悟が要る。


ズルズルとなし崩しにしようとする者が現れても、毅然と断らなくてはならない。


春風に吹かれながらの湯は、明るく開放的な気持ちにさせてくれた。


きっと、兵士と村娘との距離も、明るく清らかに近付けてくれるはずだ。


おそろいの入浴衣に不満げなセリアを見るにつけ、わたしはその確信を深めた。

本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


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