23.公女、かいたことのない汗をかく。
ガビーが明るく笑いながら蒸かし芋を配ると、兵士たちと村娘たちの垣根が、すこし低くなったような気がする。
「みんなで作ったんだから、ありがたく味わって食べてよね?」
兵士たちは苦笑い気味に礼を言う。
そして、ガビーがカトランの側へと、ツツツっと近寄った。
「お元気でしたか? カトラン様」
「ああ……」
と、応えるカトランが、スウと息を吸った。
「あ、あの! ……ガビー? わ、わたしこの辺りに来るの初めてなのよ。ちょっと近くを案内してくれないかしら……?」
カトランが、ガビーに何か厳しいことを言おうとしている気配を感じた。
自称、カトランの側室だというガビー。
「はい! 喜んで!」
と、屈託なく笑った。
カトランの反応を見る限り、ガビーには迷惑していて、わたしに「側室」と名乗ったことは限度を超えたのだと感じた。
けれど、領民を大切にするカトランは、本当は厳しいことなど言いたくないハズだ。
『……アデール?』
と、わたしの耳元で囁いた。
近い。
『一応、言っておくが……、この娘は俺の側室などではない』
『ええ……。あの、わたしから話を聞いてみますね?』
『ん?』
『こういうことは、女子同士の方が……、いいかもしれません』
と、カトランに小声で応えながら、まったく自信のない自分にも気が付く。
村娘たちがヒソヒソと、わたしとガビーを見比べていた。
「アデール様! 近くに小川が流れています。王都から来られたのなら、雪をかき分けて流れる景色は珍しいかもしれません」
と、ガビーが、ニコニコと言った。
そして、ザザと兵士がひとり護衛に付き、ガビーの案内で歩く。
「いやあ、カトラン様のおかげで、ようやく平和になって、ようやく小川が綺麗だなんて思えるようになりましたよ~!」
と、元気いっぱいに案内してくれる。
ザザが耳元に口を寄せた。
同じ〈人間〉であるのに、カトランの時はなぜ薄く緊張してしまうのかと不思議に思った。
『……思い込みの激しいタイプにも見えないけどねぇ』
『う~ん……』
ガビーは慣れた足取りで雪を踏み固めながら、小川へと案内してくれた。
「うわ、ほんと……。なんだか神秘的な景色ねぇ……」
川が細く蛇行していて、両脇から雪がこんもりと張り出している。その側では背の低い樹木の枝が積もらせた雪でしなり、白い流線を描いていた。
それらが陽光に照らされてキラキラと輝き、川のせせらぎが聞こえた。
「アデール様? 耳をよ~くっ、澄ませてください」
「……え?」
ガビーの言う通りにして、静かに耳をそば立てた。
「聞こえませんか? ピチョン、ピチョンって音?」
「あ、ほんと! ……雫?」
「雪融けです。どこかで水たまりになってて、それが聞こえてくるんです」
「へぇ~。……春に向かってるのねぇ。こんなに寒いのに」
しばらく銀世界の静寂と、小川のせせらぎ、そして雫の音に耳を傾けた。
わたしの側でしゃがんでいたガビーが、口を開いた。
「……畑、どう思われました?」
「え? ……荒れてたわね。でも、兵士たちが一生懸命、整えていたわ」
「いないんですよ」
と言うガビーの声は、飽くまでも明るい。
「……働き手が」
「ええ……」
「村に残ってるのは、女性や子どもと、老人ばかり」
働き盛りの男性は、まずカトランの兄君に徴用されて兵士となり全滅した。
さらに進駐した帝国の占領政策が過酷で、抵抗する者は処刑され、カトランが展開した反撃は当初、ゲリラ戦であったため、隠れ場所になる村は、帝国に焼き払われた。
「……ジイちゃんやバアちゃんを守りながら、みんなで山に逃げて」
「そう……」
「カトラン様が反撃しなかったら、帝国のお役人と上手くやれる道もあったかもしれないって考えてる娘もいるんですよね~」
きっと、夫や恋人を戦争で奪われてしまった娘たちだ。
カトランが歴史に残る大戦果をあげたことなど、領民にとっては、あまり興味のないことなのだろう。
貴族や王国のメンツの巻き添えを喰ったと思う者がいてもおかしくない。
「でね、アデール様?」
「ええ」
「……私たちは、婿を取らなきゃいけないんです。主にはあの兵士たちから」
「あ……」
「でないと、畑仕事もままならない」
「ええ……」
「けど、こんな経緯でしょう? ……みんな警戒しちゃってて、それどころじゃないんですよね~。恨んでる娘も多いし」
と、ガビーは、ニコニコとしたまま、溌剌とした口調のままで言った。
賢い娘だ。想像以上に。
わたしが何故、どこかに案内してと言い出したのか、その意図をしっかりと分かっている。
「私、一応、村長の娘だったんですよね~。……だから、私が率先してカトラン様の側室か、お妾さん? ってヤツになったら、みんな、少しは安心して婿探しが出来るかなって……」
「ええ……」
「……思ったんですけど、やっぱり無理ありますかね? こんなチンチクリンじゃ。おっぱいも小さいし」
「そ……、そういうことではないと思うわ」
〈だった〉ということは、村長の父親は既に亡くなったのだろう。ガビーは、その受け継ぐ血統の責任を果たそうと、自ら政略結婚を申し出ていたのだ。
ガビーはまだ幼さも残すけど、器量はいいし、磨いてドレスでも着せれば美少女のうちだ。
王都の堕落した貴族たちなら、舌舐めずりしながら愛妾に加えていたことだろう。
「……カトランは、そういうことは考えないと思うわ」
「でも、アデール様はそうやって嫁いで来られたんでしょ~?」
「う~ん……。ふふっ。自分で言うと少し悲しくなっちゃうけど、言うわね」
「え、……はい」
「カトランは、王都の貴族令嬢であるわたしより、領民のガビーを大切に想ってると思うわ。……ガビーには、ガビーの恋や結婚を大切にしてほしいって」
「……そうですよね」
「あの……、わたしには経験がなくて、とても難しいんだけど」
「え? ……あ、はい」
「カトランが側室を迎えるのが嫌だから、意地悪を言ってる訳じゃないのよ?」
「あ……。ああ! そんな風には、ちっとも思いませんでしたよ!」
「な、ならいいんだけど」
「アデール様、おぼこいし!」
「おぼこ……」
しゃがんでいたガビーが、ピョコンと跳ねるようにして立ち上がった。
「……どうしたら、みんな、仲良くなれると思います? こんなに色々あったのに」
仲良くなる。仲良くさせる。仲良くしてもらう。
わたしとっても、永遠の宿題だ。
「そうね……。わたしも、ガビーと一緒に考えさせてもらっていい?」
「え? ええ! もちろん、喜んで!」
それから、カトランたちのところに戻る帰り道、ガビーはお父様の思い出をポツリポツリと聞かせてくれた。
ずっと明るい口調ではあった。
だけど、ガビー自身が、この村を守る使命感に溢れていることが伝わってきて、胸が締め付けられる。
みんなのところに戻るや、
「カトラン様の側室、辞めました! 私、アデール様の側室になります!」
と、ガビーが元気良く宣言し、かいたことのない汗をかかされる。
え? なに? どういう理解だったの?
ザザ、お腹をかかえてプルプルしてないで、なんとか言ってくれないかしら?
主君が、こんなにオロオロしてるのに。
なにより、カトランまで赤くした顔を背けてるのは、いかがかと思いますわよ? 夫人に側室が現れたというのに。
キョトンと置いてけぼりになってるパトリスに悪いですわよ?
ただ、村のお姉様方も爆笑していて、
「ガ、ガビーには……、側室がなんなのか……、よく教えておきます」
と、笑いを堪えながら約束してくれた。
兵士たちとも笑い合っていて、垣根はさらに下がったような気がする。
帝国軍を追い払った英雄たちとはいえ、彼らがいなければ戦争自体がなかったかもしれないし、元は山賊や野盗の類。
恋や結婚どころか、打ち解けるまでにも長い時間が必要かもしれない。
まずは屯田兵として村に親しむうちに、気の合う相手に巡り合えたらいい。
そう祈りながら、城へと帰り着いた。
「がはははははっ! お帰りを待っておりましたぞ、アデール様!」
と、マルクの豪快な笑い声に出迎えられ、案内されたのは貴賓室。
「……入れないわね」
王国各地の貴族から、カトランの辺境伯叙爵への祝いの品が、山のように送り届けられていた。
入口の箱に、てんこ盛りに突っ込まれているのは伝票の紙束だ。
うん。お願いどおりに処理してくれてる。
ただ、入口の隙間から覗いても、奥の奥までビッシリと詰め込まれていた。
――こ、これを整理して、仕訳するのか……。
と、ザザと途方に暮れたとき、涼やかな声音がした。
「お手伝いさせていただきましょうか?」
長いストレートの黒髪を腰まで伸ばした男性。肌はやや浅黒くて、顔立ちは理知的。
ただ、オーレリアンとは違い、野心めいたものを隠さない、不敵な笑みを浮かべて立っていた。
見覚えのない男性が、馴れ馴れしく近付いてきて、思わず身構えた。
本日の更新は以上になります。
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