22.公女、生涯最長の一瞬。
城に帰る馬車の中で、あからさまに〈ガッカリ〉という顔を、カトランに向けてしまった。
見れば、パトリスもわたしと同じ顔をしている。
カトランは戸惑い気味に視線を下げた。
ただ、カトランの、この表情が『戸惑っているのだ』と分かるようになったのも、温泉旅行中のことだ。
以前は、深く思い悩んでいるか、気分を害したのかと受け止めていた表情。
わたしにも少しずつ、カトランのことが解かるようになっていた。
「……そうだな。一緒に行くか」
と、カトランが顔を上げた。
自分は集落の視察に行くから、先に城に戻るようにと言われ、パトリスと落胆していたのだ。
「あ、ありがとうございます」
「……領民にアデールとパトリスの顔を見せておくのに、いい頃合いかもしれない」
パトリスと目を見合せて、
――やったね!
と、微笑み合う。
単に3人で出かけた温泉旅行を、3人で帰りたかっただけだ。
けれど、カトランが大切にする領民たちに、夫人と令息として引き合わせてくれるというのだ。
カトランからもう一歩進めて、自分を認めてもらったことが、ほのかに嬉しい。
集落に着くと、ザザにコートを着せてもらい、馬車を降りる。
まだ、一面の雪景色。
だけど、城の兵士たちが畑の雪かきをして、農地を耕していた。
時折、畑から出てくる瓦礫を取り除いては、また耕す。
カトランに付いて歩く後ろで、ギオが解説してくれた。
「辺境伯家の兵員数は過大です」
「……そうね」
城にあった台帳から想定される収穫と、兵員数を頭の中で照らし合わせる。
「……ご主君は、兵を解雇せず、まずは屯田兵にすることを考えておられます」
「なるほど……」
「和約を結んだとはいえ、まだまだ油断はできませんし、……アレらを、野に返すおつもりもありません」
自分とガルニエ家のために戦ってくれた兵士たちを、用済みになったから解雇する。
たしかに、カトランの性分からは考えにくい。
「ギオ。……屯田兵って何?」
と、パトリスが顔を見上げた。
「畑を耕し、農作業をしながら、領地を守る兵士のことですな」
「ふ~ん……」
「……いずれは帰農させることもお考えでしょうが、いきなりという訳にもいきませんからな」
戦争の爪痕を感じる、荒れた農地。
黙々と働く兵士たちが、元は山賊や野盗だったとは、にわかには信じられない。
彼らは彼らなりの事情があって身を落としていたのだと、よく解かる光景だった。
いま彼らを解雇すれば、いずれまた山賊に戻ってしまうかもしれない。
荒廃した領地でも、なんとか彼らを養おうとしているカトランが、とても誇らしい。
領民の村娘や、奥さんたちが、兵士にお茶の支度をしていた。
カトランが声をかけると、上目遣いに様子を窺いながら、ペコリと頭を下げる。
――領民から、私は嫌われている……。
と、カトランの言葉を思い出す。
脱走兵たちの広めた悪評で、カトランは領民たちから警戒されているのだ。
何度も足を運び、越冬物資を引き渡し、説得して村に戻らせた。
――まだ、カトランの努力は続いているのだ……。
と、胸を打たれる。
王国最強の武力を持つカトランであれば、領民たちを強制的に移住させることも出来ただろう。
けれど、そうはしなかった。
粘り強く話し合いを重ね、領民たちが自ら山を降りるのを待った。
最終的には、越冬の厳しさが領民たちを動かしたのかもしれない。
それにしても、カトランは丁寧に接し、納得してもらった上で、村に戻らせた。
王都で享楽に耽る貴族たちの何人が、これほど領民を想って統治しているだろうか。
兄君の子息、ガルニエ家の令息であるパトリスの身柄でさえ、力づくで取り返そうとはしなかったのだ。
わたしもカトランの夫人として、丁寧に接しようと、微笑みを絶やさない。
「カトランの夫人となりましたアデールです。どうか、よろしくね」
わたしの言葉に、村娘たちはペコリと伏し目がちに頭を下げる。
ありありと、わたしを警戒する眼差し。
ザザが話しかけてみるのだけど、彼女たちの眼差しから、険しいものは去らない。
この眼差しに囲まれながら、カトランはめげることなく足を運び続けたのだ。
そして、心の壁を融かそうと、意を尽くしている。
無駄口を叩いている訳ではない。
畑の再耕状況を尋ね、必要なものはないか? 足りてないものはないか? と、丁寧に聞いていた。
軍司令官のような佇まいであるけれど、偉そうぶるところはなく、卑屈でもない。
凛々しい横顔を眺め、
――なんと素晴らしい夫に嫁げたのか……。
と、また胸を躍らせて、
――アデールを妻とは扱わないと言った、俺の発言を撤回したい。
というカトランの言葉を思い出して、つい顔を背けてしまった。
パトリスが心配そうに、わたしを見詰めていた。
「……アデール? 顔が赤いよ? 寒い?」
「う、ううん。大丈夫……」
「でも、顔が赤いよ?」
何回も言わないでほしい。
と思いつつ、パトリスからも顔を背けて、農地に目をやる。
村娘たちの支度したお茶をもらおうと、兵士たちが集まってくる。
ワイワイと騒がしい声が近付くにつれ、村娘たちが緊張していくのが分かった。
――まだ、完全に打ち解けている訳ではないのだ……。
わたしにも出来ることがあるのではないかと、兵士たちに手を振ろうとしたとき、後ろから元気な女の子の声がした。
「あーっ! カトラン様、来てくれてたんだ~っ!?」
振り返ると、小柄な女の子が木箱を抱え、満面の笑みで大きく手を振っていた。
オレンジに近い赤髪に、丸顔。歳のころはわたしと同じくらいか。見るからに溌剌そうな娘だった。
カトランが小さく手を挙げて応える。
周囲の村娘や奥さんたちの空気が緩む。赤髪の女の子に苦笑いしている雰囲気だ。
女の子は駆けて来るや、わたしの前に立った。
「この人が、カトラン様の奥さん!?」
「え、ええ……。アデールよ……」
「私、ガビー!」
おっと。と、内心、苦笑いする。
貴人に許しもなく名乗ることが、投獄されることもあるような非礼だとは知らないのだろう。
――ここは王都ではないのだから……。
と、ザザとの出会いを思い返す。
――あんた、面白いな!? 私、ザザ。名前は?
身分を隠して通った雑貨屋で、なぜかわたしを気に入ってくれた。
先に名乗られることが、気持ち良かった。
あのザザの笑顔を、わたしの原点と定め、ガビーに微笑みを返した。
「そう。よろしくね、ガビー」
「私、カトラン様の側室だから!」
こんなに、たくさんのことを一度に考えた一瞬はほかにない。
結論は決まっている。
――そんな訳ない。
だけど……、ひょっとして村に側室を囲ってた? 戦争中、カトランを慰めて……、いやいや、カトランよ? でも、ガビーったら、なんていい笑顔で。わたしより歳下に見えるけど、え? カトランってそういうのが好み……、いやいや、だから、カトランが側室なんて……。というか、パトリスも聞いてるんだけど……。
スウッと、カトランに横目を向ける。
顔に手をあてていた。
やっぱり、そんな訳はなかった。
木箱から蒸かした芋を出し、兵士たちに配って歩くガビーの笑顔に……。
困った。
みんな、苦笑いとか、顔をしかめたりとかはいいから、事情を説明してほしい。
本日の更新は以上になります。
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