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16.狂戦公、息を詰まらせる。

  Ψ  Ψ  Ψ



アデールに家政を任せると告げたとき、その目の輝きに、胸を締め付けられた。


俺に従う兵士には、もとは山賊や野盗に身を落としていた者たちが多く、皆、なにかしら育ちに問題を抱えていた。


彼らの挑戦を受けてやり、話を聞いてやり、やがて心を許してくれたときと、アデールの瞳が同じ輝きをしていたのだ。



――あれが、かの名高い〈嫌われ公女〉か。クフッ。



アデールの姉が連れてきた軟弱な男が漏らした笑いがすべてを物語ってはいた。


だが、アデールもまた、高貴な生まれでありながら傷付いた心を抱え、この北の辺地まで流れ着いたのだとハッキリ解ってしまった。


違和感はあった。



「……マルク」


「はっ」


「その、なんだ……。女性の胸というのは……、増えたり減ったりするものなのか?」


「さあ……、どうでしょうなぁ?」



視察から帰るたびに、増減する。


ジロジロ見る訳にもいかないし、ふとマルクに聞いてしまった。


ただ、アデールの侍女に聞いて来るというマルクは押しとどめた。がははと笑って、まっすぐ聞くに違いないからだ。



――なにせ、乱倫の家の者だ。なにかの策かもしれない……。



と、そのときの俺はまだ、アデールを疑いの目で見ていた。


やがて、アデールの胸の大きさがペタンと安定し、



――あるいは、冬の寒さの影響か……? 気温で伸び縮みするものなのか……?



と、首をひねっていた頃、パトリスを抱き付かせるアデールを見て、感情を爆発させてしまった。


やはり、乱倫の家の者であったかと。


俺を裏切ったあの女に類する、ふしだらな本性を現したかと。


だが、激昂する俺に対してアデールは凛と立ち、自分のことよりパトリスをかばう姿勢を見せた。


侍女から、大公家の使用人とは思えない砕けた物言いで取り成され、我に返る。


俺が暴言を詫びると、アデールは咎めることもなく受け入れてくれた。


それどころか、俺などよりも遥かにパトリスのことを考えてくれていたことに、衝撃を受けた。


兄は、いい男だった。


兵団が全滅するとき、マルクを付け、俺だけを逃がした。



「ガルニエ家を頼んだぞ」



最後の笑顔を思い出すたび、涙がこぼれそうになる。


パトリスの生存が判明すると、兄に代わって立派に育て、ガルニエ家を継がせなくてはと堅く誓った。


山奥に三度通って、ようやくパトリスに会え、背筋が凍った。



――あの女と……、同じ顔……。



それでも、兄の子だと自分に言い聞かせ、城に連れて帰った。


いつも暗い顔をさせているのが、俺のせいだと解ってはいた。なのに、パトリスの顔をまっすぐには見れない。


そのパトリスが、アデールに笑顔を見せ、



――笑い顔は……、兄上にそっくりだ。



と、肩から力が抜けるのを感じた。


アデールの考えた攻城戦ゲームで、一緒に遊ぶパトリスが見せた笑顔。



「素晴らしいゲームだ。……パトリスのために、ありがとう」



俺の言葉に、アデールがはにかんだ。


家政を任せる決断をし、アデールは誠実な働きぶりを見せてくれた。


越冬物資の不足を調べ上げてくれるなど、文官のいない城で、非常に助かりもする。


アデールが執務室を出たあと、ふと廊下の気配に違和感がして、そっと覗くと、ふわりとスカートを広げ、アデールがターンして舞っていた。


安堵と高揚の入り交じった笑顔。


兵士たちが、俺のもとに居続けていいのだと得心がいった瞬間に見せてきた笑顔に、とてもよく似ていた。



――大公家という、王国の(いただき)で育ちながら……。



ここは、女大公に公女がふたりいることさえ届かなかった、北の辺地だ。


その辺境の領主に褒められただけで、廊下でターンして侍女に拍手させる公女に、胸が痛んだ。



「……カトランと一緒に、悩んではいけませんか?」



アデールの言葉に、ハッとする。


雪合戦をしてパトリスの身体に触れてしまったと、細かなことまで正直に報告してくれていた。



――こんな辺地の子爵家の一員になろうとしてくれている……。



ここを居場所と定めてくれたことが、なぜか無性に嬉しかった。


マルクを呼び、この先、俺が不在中のアデールのふる舞いを報告する必要はないと告げる。



「……アデール本人がすべて報告してくれる。わざわざ監視するまでもない」


「がははははっ!」


「ん? ……なんだ?」


「アデール様に、惚れましたな!?」


「ほ、惚れっ……。アデールはまだ16歳だぞ!?」


「がはははっ! 来年は17で、その次は18ですなっ!」


「……なにを、当たり前のことを言ってるんだ?」


「カトラン様も、そろそろ忘れていい頃合いですからな」



そういうところだぞ? マルク。


と、苦笑いする。


なんで、わざわざ、あの女のことを思い出させるのだ?


兄の代に城で仕えていた者たちは、皆、命を落とすか、すべて逃散した。


あの女を知る者は、マルクしかいない。


城の者たちに余計なことは言うなよと、釘を刺してからマルクを下がらせた。


やがて、王都から勅使が来た。


アデールは、我が家の名誉を我がことのように張り切ってくれ、儀仗や晩餐会の支度を整える。



「養父上……、意外と……厳しいですね。アデール」



肩をすくめて苦笑いするパトリスは、兄の面影を色濃く映していた。


父に叱られたあと、こうして笑い合った。



「……本当だな」


「はい! 晩餐会中にヒソヒソ内緒話をしない」



アデールの声に背筋を伸ばすパトリスの仕草にまで、兄を感じてしまう。



「席につく皆で会話を楽しむのです」


「は……、はい」



アデールへの返事がパトリスとそろって、また微笑み合った。


第二王女との交渉は予断を許さないもので、つくりものの和やかさの中、緊迫した日々を過ごす。


厚遇の提示に、なにか罠はないかと王女と慎重に腹を探り合う。


その過程で、ふと女大公の腹が読めた。



――アデールを使い捨てにし、我が家への援助自体は王家に押し付けるつもりであったか……。



アデールを俺の夫人に送り込んだことで、王家は大公家との対抗上、俺を厚遇して取り込まざるを得なくなった。


辺境伯への叙爵。王家、大公家に次ぐ王国第三位の礼遇とは、公爵家を上回る異例のもの。根回しに苦心したはずだ。


加えて荘園の寄贈。それも、統治自体は王家の代官が行い、税収のみが送られる。


絵に描いたような懐柔策。


女大公はアデールと越冬物資を贈っただけで、ほとんど身銭を切らずに、王家から俺を懐柔させることに成功した。


そして、縁戚である以上、俺の兵が大公家に向かうこともない。



――ならば、俺はアデールを決して女大公に返すまい……。



そう決意を固めた矢先だった。



「子爵様! アデールの部屋に!!」



と、アデールの侍女が、俺の部屋に駆け込んだ。


アデールは、俺への貞節を守るために、またパトリスをも守るために負傷していた。


駆け付けた第二王女と不埒な男を退け、ベッドに寝かせる。


手当てをしようと上着を脱がせたとき、ウッと息が詰まった。



『がははははっ! アデール様に、惚れましたな!?』



絹のように滑らかな白い肌と、純白の下着を目にしたせいか、マルクの笑い声を耳に蘇らせてしまう。



――マルクめ……。余計なことを言いおって……。



骨に異常がないか、グッと指で押さえて肌に触れた。


痛みをこらえるアデールの顔を、なぜか直視できない。


負傷兵の手当てなどこれまで幾人にも施してきたことだ。と、心を落ち着け、薬草を貼り付け、包帯を巻いた。


アデールが第二王女にパトリスへの子爵位継承を申し出たとき、思わずその顔をまじまじと眺めてしまった。


さも当然のことであるかのようなアデールの穏やかな表情に、顔を背けてしまう。



――俺は……、悔いているのか? 妻とは扱わないと言ったことを……。



けれど、兄の子であるパトリスに家督を継承させたい想いにも変わりはない。


第二王女に用意させた承認状をパトリスと一緒に受け取り、パトリスを誇らしげに眺めるアデールを、眩しく見詰めた。



「……にゅ、入浴衣?」


「はい。……お持ちかもしれませんけれど、カトランのものも縫ってみましたので、よろしければ」



淡い青色をした麻のズボンと上着を、アデールが持って来た。


素知らぬ顔で受け取り、マルクを呼ぶ。



「……温泉とは、男女が交代で浸かるものではないのか?」


「がはははははっ! ……知りません」



盗賊の頭目として、王都近くを根城にしたこともあるギオを呼びだす。



「ああ……。へっへ。それは庶民の公衆浴場ですな。貴人が温泉に浸かるときは、基本混浴です」


「そ、そうか……」


「入浴衣を着て……。まあ、社交の一種ですからな」


「……社交」


「風呂とは違いますな」



乱倫の家で育ったとは思えない貞淑さを見せるアデールが、いまさら誘惑して来るとも思えない。


温泉が楽しみで仕方ない様子のアデールに、水を差すのも気が引けた。


肩の怪我を養生するのに湯治がいいだろうと、遅れていた温泉行きの決行を決めたのも俺だ。


覚悟を決めて、湯に浸かる。


アデールは、ゆったりと丈も袖も長いワンピースのような入浴衣を身に付けていた。


露天の温泉には湯煙が立ち込め、よく見えはしないが、煽情的なところは一切ない。


それどころか、湯に浸かると胸元にあしらわれたフリルが浮かんで、絹のような肌が見えるところはどこにもなかった。


ホッと安堵する自分に、苦笑いして目を閉じた。



――残念がっているのか……? 俺は。



フッと、もう一度苦笑いすると、湯の温かさが身に染みてくる。


長年の疲れと緊張が、湯に溶け出していくようだった。


俺とおそろいの入浴衣を着たパトリスも、最初は興奮気味だったが、やがて静かに湯に浸かった。


冬の雪山に、音はなにもしない。


アデールとパトリスとただ静かに湯に浸かり、湯煙に包まれて過ぎる時間が心地よかった。


不意に、あの女を思い出した。


俺の心を掻き乱すだけ掻き乱し、何食わぬ顔で兄の妻に収まった、あの女。


脳裏に浮かぶのは、泣き顔だ。


儚げに泣き、しなだれかかり、俯いた顔で舌を出している女だった。



――こんなときに、出て来るな。



と、湯煙を睨みつける。



「パトリス? こちらにいらっしゃい」



アデールの朗らかな声で、我に返った。



「……養父上は、難しい政治の考えごとをされているようですわ。邪魔しちゃいけませんよ」



俺が湯煙越しに睨みつけていたのは、いまにも泣き出さんばかりに悲しげな顔をした、パトリスだった。

本日の更新は以上になります。

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