15.公女、大いに肯く。
「すまなかったわね……」
と、わたしが横になるベッドの側で、ザザが栗毛色の髪をワシャワシャと掻いた。
「子爵様を呼びに走ったら、パトリスにまで聞かれちまった……」
「いいのよ。ザザが助けを呼んでくれたから、ことなきを得たんだし」
「かぁ~っ!! すまねぇ。……私としたことが」
「ふふっ。……ザザが警告してくれてたのに、オーレリアンを部屋に入れちゃったのはわたしだし、自業自得よね」
「……とほほ。私、侍女なのに」
「もう! なんで、わたしがザザを励ましてるのよ!? わたし、ケガ人なんだけど?」
「あ、いけね」
と、ようやく笑顔を見せてくれたザザと、笑い合えた。
活気に満ちていた城内に、いまは殺気がみなぎっている。
パトリスと一緒に見舞いに来てくれた傅役のギオが、黒い眼帯の上から、自分の顔を撫でた。
「……皆、アデール様には感謝してますからね」
「あら? ……ど、どのあたりに?」
「へっへ……。なんて言うんですかね。……明るくなりましたわな、城の中が」
「まあ……」
「……戦が終わっても殺伐とした男所帯だったところに、いつも前向きなアデール様が来てくださった」
照れ隠しなのか、ギオは外の雪景色を眩しそうに眉を寄せて睨んだ。
「喧嘩がなくなりましたわな」
「まあ……、喧嘩?」
「……殴り合いは日常茶飯事。剣を抜いちまうヤツまでいたんでさ。ねぇ、パトリス坊ちゃん?」
「……うん」
と、パトリスがおずおずと頷く。
「それが、ピタリと止まった」
「そう……、だったのね」
「……笑顔、ですかね? ガラにもないことを言いますが」
「ううん。嬉しいわ」
わたしは、城のみんなが喧嘩しているところなど一度も見たことがない。
これまでもずっと、一致団結していたものだとばかり思っていた。
「……なんだか楽しそうだなぁ、アデール様。って、みんな、いつの間にか毒気を抜かれましたよ」
「ふふっ。お気楽だったかしら?」
「とんでもねぇ。……ザザの姐さんひとり連れて乗り込んできて、儂らの拙い儀仗をニコニコ見てなさる。これはただモンじゃねぇぞ!? って、みんなザワついてたんですぜ?」
「だから、ジイさんの姐さんじゃ、私がバアさんになるだろ!?」
と、ザザが笑った。
「へっへ。儂が若返る方でひとつ頼みますわ。姐さん」
「ま、それなら仕方ないか」
「……だから、アイツらのことは、みんな許せねぇんですよ」
「ええ……」
「王都に攻め上れって息巻いてるヤツをなだめるのに、マルク殿が苦労してますよ」
「まあ……」
「……早く良くなって、皆に笑顔を見せてやってください」
「ええ、そうね。ありがとう、ギオ」
パトリスはあれから、わたしに会うたびに手を握ってくれる。
練習なのかもしれないし、感覚を忘れないようにしてるのかもしれない。わたしからは何も言わず、黙ってそっと握り返す。
ギオに促されて、パトリスは名残惜しそうに、わたしの手を放した。
「学問、頑張ってね」
「……うん」
「また、ゲームしようね?」
「うん!」
と、目を輝かせてくれたパトリスが部屋を出て行き、ザザとふたりになった。
「……良かったな」
「うん……」
良かったことを数えるのが大変だ。
嫌われ公女と蔑まれ、無粋と嘲笑を浴びせられて息のできなかった王都に比べたら、この辺境の城は天国だ。
自然と笑顔にもなろうというもの。
肩の痛みが引かないベッドの上だけど、心はとても穏やかに過ごせている。
随行員への詮議は厳しく行われている。
調べの終わった者から順に、ソランジュ殿下のもとに返される。
だけど、殿下は元からご自身の近侍であった僅かな者を残して、皆を王都に帰らせた。
「……どんな者が紛れているか分からんでは、勅使のお役など果たせませんから」
と、割り当てられたお部屋で謹慎され、読書をしてお過ごしだそうだ。
やがて、皆の証言から、オーレリアンが姉の恋人のひとりであると判明する。
オーレリアン自身にもかなり〈厳しい〉詮議が地下牢で行われているらしいけど、本人は口を割らない。
大公家の権勢を恐れてのことか、姉への愛情なのか。それは分からない。
そして、話の伝わった、オーレリアンの父ペリエ伯爵が、王都から馬を飛ばして城に駆け付ける。
多額の慰謝料を持参したらしいけど、カトランは受け取りも、オーレリアンの引き渡しも拒否。
そこで、よせばいいのにペリエ伯爵が、
「どうせカネが目当てなんだろう? いくら欲しいんだ、卑しい狂戦公めが!」
と、暴言を吐く。
激怒したカトランは、ペリエ伯爵も地下牢に叩き込んだ。
事態がここにいたって、王都の国王陛下が仲裁に乗り出される。
ペリエ伯爵は引退させ領地で謹慎。爵位は嫡男が継承。オーレリアン自身は、このままカトランが罰するという仲裁案をご提示になられた。
カトランは仲裁に応じ、ペリエ伯爵を牢車に積んで王都に護送。
オーレリアンには22年の重労働を言い渡し、雪深い山奥に送った。
この間、母女大公は沈黙を守る。
姉ファネットは理由を明かされないまま大公家領で謹慎となり、事実上、王都から追放された。
姉がオーレリアンに何かを吹き込んでいたのかどうかは分からない。
わたしに、何かヒドいことをさせようとしていたのかも分からない。
ただ、大公家の権勢が分厚いヴェールになって覆い隠しているけど、政治巧者の母は姉を切り捨てた。恐らく姉が再びわたしの前に姿を現すことはない。
「カトラン公は30倍の帝国軍を退けられたのですからね」
と、お茶の相手をさせていただくソランジュ殿下が笑われた。
「12万の帝国軍を、わずか4千で退けたのです。……正面から争える者など、王国にはおりませんわ」
「12ま……」
わたしは〈30倍〉を、ちゃんと計算したことがなかったことに、今さら気が付いて言葉を失った。
「……この戦で最も大変だったことは何でしたかと、武勇をお聞かせ願う軽い気持ちでおうかがいし、……心底から震えあがりましたわ」
「カ、カトランは……、なんと?」
「……棺を9万基用意するのが、いちばん骨が折れたと……」
「9ま……」
「遺体をすべて返却せねば再度の侵攻に口実を与えるし、ガルニエ家の流儀にも合わない……、と」
「そうでしたか……」
「……その上、軍を率いていた皇帝を捕虜とし、和約にサインさせ、9万の遺体と共に帰国させたのです。……当然、帰国した皇帝は権威が失墜して廃位。大打撃を受けた帝国は数年、いや数十年単位で軍事行動をとれないでしょうね……」
なんという、破滅的な強さ。
王家にも大公家にも一歩も退かない自信に、ようやく納得がいった。
そして、王国にカトランに勝る軍事勢力は存在しないだろう。
「……辺境伯を受けてくださり、心の底から安堵しておりましたものを」
姉の関与はほぼ間違いないけど、わたしが姉に代わって殿下に謝るのも、変な話だ。
オーレリアンみたいな男を、随行員に紛れ込ませたのも殿下だし。
まあ……、ちょっと寂しくなって、うっかり心を許しかけ、部屋に入れてしまった、わたしもわたしだ。
殿下と互いに曖昧な笑みを交わし合ってしまった。
「カトランは、これ以上の戦乱を望まないでしょう」
「だと、いいのですが……」
「……カトランは、領民をとても大切にしていますから」
「そうですか……」
「丁寧に丁寧に接して、越冬の物資も『受け取っていただく』といった姿勢で配り歩いていたと聞きます」
「ふふっ。……冬を越え、春が来ても、カトラン公が王都に攻め上る気の起きないよう、我らも辺境伯を受け取っていただかねばならぬ身です」
ソランジュ殿下の並々ならぬお覚悟が伝わり、カトランと並ぶ姿にやきもちを焼いていたことが申し訳なくなった。
というか、恥ずかしくなった。
ソランジュ殿下はわたしの手を取り、堅く握り締められた。
「……アデール夫人からも、カトラン公へのお口添えを賜りたく存じます。おふたりの堅い絆が頼りです」
「承知いたしました」
と、その手を握り返す。
わたしがこの城に来たとき、自分のことで精一杯だったように、ソランジュ殿下も精一杯でいらしたのだ。
なのに、いわばカトランへの接待として、オーレリアンからの指導をわたしに提案して、しくじられた。
内心、忸怩たるものがおありだろう。
対抗関係にある大公家の姉に足を引っ張られて、妹に頭を下げるハメになったのだ。
やがて、一連の騒ぎのせいで遅れていた勅許状が、ついに王都から届いた。
叙爵式が厳かに執り行われ、カトランは辺境伯に、マルクたちは騎士に叙爵された。
そして、パトリスの子爵位継承の式典も併せて挙行される。
ガチガチに緊張したパトリスの手を、わたしが握らせてもらい、ソランジュ殿下からの承認状を一緒に受け取らせてもらった。
「おめでとう、パトリス」
「う、うん。……ありがと、は、継母上」
「あっ……」
「え?」
「パトリス子爵閣下っ!」
パトリスは、わたしにくすぐったそうに微笑んだ後、子爵位継承の承認状をまじまじと眺めた。
ちなみに、爵位継承の承認状なんて聞いたことがない。わたしがソランジュ殿下に頼み込んで、一筆書いていただいたのだ。
幼いパトリスがこの城から追い出されることはないと、王女様からのお墨付きを出していただいた。
ジッと眺め続けるパトリスの眼差しは、熱くて透き通っていて、わたしもソランジュ殿下も微笑ましく見詰めた。
そして、ついに!
念願の温泉旅行に出かける日がやって来たのだ~っ!!
わーい!
積雪が増したけど、兵たちが総出で雪かきをしてくれた。
「がはははははっ! 体がなまっておりますからな! いい運動になりましたわい!」
と、騎士マルク卿の豪快な笑い声に見送られ、馬車に乗り込む。
パトリスが、すこし恥ずかしそうに、ちょこんとわたしの膝の上に座ってくれた。
カトランも何も言わないし、感無量だ。
わたしは〈乱倫の家〉の者でもないし、パトリスからは母の距離、家族の距離を許してもらった。
まだ、わたしから抱き締めるのは控えておく。
わたしの膝の上に立って、窓から外を眺めるパトリスを、ただ見詰めた。
「ね、ねぇ……、アデール?」
パトリスがわたしを〈継母〉と呼ぶときは、なにかルールがあるらしい。
わたしも無理強いはしない。
「なあに、パトリス?」
「……なんで、ソランジュ殿下の馬車もついて来てるの?」
「……おっ、王女殿下がご滞在を延ばしてくださるだなんて、あまり例のない、とって~も名誉なことなのよぉ~?」
「ふ~ん……」
「……ガルニエ辺境伯家を大切に扱ってくださってる証なのよ? 喜ばないとね」
「ボク……」
「なあに?」
「……アデールと養父上と……、3人が良かったなぁ……」
それは、わたしも同感だ!
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