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11.公女、不安と向き合う。

布団で顔を隠したままのパトリスは、ピクリとも動かない。



「……お城……が、ね……」


「……うん」


「……森……の、……山で……」



と、パトリスは、わたしに言葉を絞り出してくれる。


要領を得ない単語の羅列だったり、話してくれる意味は取りにくい。


だけど、なにかを一生懸命、わたしに伝えようとしている。


強張った声に滲むのは、わたしへの申し訳なさと、何に対するものか――、悔しさ。



「……走って……」


「……うん」



わたしは急かさず、ただ邪魔しないように相槌を打ちながら耳を傾ける。


パトリスのたどたどしくも懸命な言葉を頭の中で並べて、つなげて、また、並べ替えて、つなげ直して、わたしに伝えようとしていることを追ってみる。


すると、ふわっと情景が浮かんできた。


この城が落ちる時。敵兵が次々と城壁を乗り越える大混乱の中、パトリスは母親に抱きかかえられて脱出した。


ギュウッと強く強く、抱き締められて。


なのに、山奥の森の中で、母親から投げ捨てられた。



――恐怖から安心、安心から絶望……。



女性の身体と接触すると、ツラい記憶から、自分ではどうしようもない拒絶反応がパトリスに湧き上がってしまうのだ……。


女性自体が嫌いな訳でも恐い訳でもない。


近くにいても大丈夫なのに、接触してしまった瞬間にだけ、どうしようもない恐怖が理不尽に、内側から襲ってくる。



「……アデールは、ゲームを考えてくれたし……、遊んでくれるし……」


「うん……」



攻城戦ゲームでわたしとぶつかったとき、身体を強張らせていたのは、カトランの怒りに怯えていたのではなかった。


最初、わたしの胸をチラチラ見ていたのも、早熟だからではなかった。



「ボク……、ボク……、ボクね……」


「うん……」



本当ならこういうとき、抱き締めて頭を撫でてあげたい。


大丈夫だよ? と、伝えてあげたい。


だけど、それはパトリスにとっては、途方もなく恐いことなのだ。


まだ6歳のパトリス。


母親の行いを自分なりに消化して克服するのには、この先、長い時間が必要なんだろうと思う。


しかも、パトリスはそんな自分に困惑し、恥ずかしいとさえ思っている。



「……養父上には……、内緒にして……」


「うん。分かった。わたしとパトリス、ふたりだけの内緒ね」


「うん……。ごめん……なさい」


「ううん。勇気を出して、突き飛ばしてしまった訳をわたしに話してくれたパトリスは、とても偉いと思うわ」


「……うん」


「わたしがパトリスの歳だった頃、そんな勇気は持てなかったなぁ……。偉いね、パトリスは。尊敬しちゃうなぁ」



布団の中のパトリスは、しばらく何も答えてくれなかった。


けれど、身体の強張りがゆっくりと解けていくのが、布団越しにも分かった。



「……アデール?」


「なに?」


「……ボク、……弟や妹が出来ても、いい子にするから……」


「え?」


「……可愛がるから」


「……うん」


「ボクを……、追い出さないでね……」



パトリスの周りには、恐いことばかりだ。


いま、わたしがカトランから『妻とは扱わない』と申し渡されていることを伝えていいものなのか……。



――弟や妹が出来ることはないよ。



と、伝えることが、果たしてパトリスを安心させるのか。


形式上だけのことでも、養父(ちち)継母(はは)


わたしは、母女大公と父の冷えた関係を見て育った。


両親が愛しみ合っていないことが、子どもにとってどれほどツラいことか、イヤというほど知っているつもりだ。



「パトリス?」


「……なに?」


「ガルニエ子爵家の跡取りは、パトリスです。カトランとも、そう話し合って決めているのよ?」


「……え?」


「だから、大丈夫。パトリスは、ずっとこのお城にいていいの」



それでも、たとえわたしが〈妻〉でなくても、〈温かい家族〉にはなれるのではないか。


互いを慈しみ合う、温かい家族に、わたしはパトリスと、カトランと、なりたい。



「わたしのこと、パトリスが守ってくれるんでしょ?」


「……うん」


「じゃあ、パトリスがずっとお城にいてくれないと、わたしが不安になっちゃうわ」


「……うん。守る……。絶対、守るよ」


「ふふっ。頼もしいわね。……おでこの濡れタオル、取り替えてもいい?」


「……うん」



と、パトリスは、そっと布団から顔を出してくれた。


微笑みかけると、パトリスも微笑みを返してくれる。


布団もタオルで塗れてしまっていたので取り替え、肌に触れないように、そっと、替えのタオルを額に置いた。



「……アデールは、優しいし……、キレイだし……、ボク、好きだよ」



という、パトリスに、



――おっ!? 意外と無自覚女たらし!?



という苦笑いは、丁寧に隠した。



「ありがとう。……パトリスが眠るまで、側にいてもいい?」


「うん……、ありがとう」



ニコッと笑ったパトリスの笑顔は安堵に満ちていて、まだまだこの先何度も不安になるだろうけど、その度に「一緒にいてね」と伝えていきたいと思った。


パトリスとの約束通り、カトランには何も伝えなかった。


女性の身体に触れられないという問題が深刻になるのは、きっと、まだ先のことだ。


問題になる前に解決するかもしれない。


ゆっくりと家族になっていくことを、わたしは選んだ。



  Ψ



パトリスの体調が戻るまで、カトランも在城していた。


わたしは、家政を預かる立場として、まずはパトリスの〈傅役(もりやく)〉を決めた。


これまで、兵士たちが交代でパトリスの世話をしていたのだ。


それで、帰城したカトランの出迎えにパトリスが出て来なかった理由が、わたしやカトランに伝わるのが遅れてしまった。


すでに発熱していたのに、



「大丈夫。養父上とアデールには言わないで」



と、言われては、責任の所在が曖昧な兵士たちでは〈若君からのご命令〉だ。逆らうことはない。次の仕事に行ってしまう。



「へっへ。……公女様に名乗りを許してもらえるとは、儂も出世したもんですな」



と笑った片目の老兵士ギオを、パトリスの傅役に任じた。


手加減を嫌うパトリスをよく理解しているし、それと気付かせず、ケガをさせない老練な手加減もできる。適任と判断した。



「ほらよ、ジイさん。出世のお祝いだ」



と、ザザが作ってくれた黒い布地に金糸で縁取りされた眼帯を付けると、なかなかにカッコいい。照れ臭そうに背筋を伸ばしたら、将軍! と呼びたくなる貫禄だ。


パトリスもギオを憧れの視線で見詰めた。


越冬への準備が着々と進み、狩りを終えたマルクが帰城する頃には、パトリスも元気になった。



「がははははっ! 久しぶりに山を駆けたら、つい調子に乗って狩り過ぎてしまいましたわい!」



と、マルクの豪快な笑い声が城に戻って、獲物の肉を塩漬けや燻製にする作業で、活気にあふれる。


パトリスも傅役のギオに付き添われて作業を手伝い、活き活きとした表情を浮かべてくれていた。


その姿に安心したのか、カトランは視察に出かける。



「この視察が、この冬では最後になる」


「はい。お気をつけて行ってらっしゃいませ」


「……帰ったら」


「ええ」



珍しく言いよどむカトランに、ん? と、首をかしげてしまった。



「……温泉に」


「え?」


「……パトリスと3人で。もちろん、護衛なしとはいかないが」


「まあ」


「わ、私も戦い詰めの、働き詰めだった。湯治でもして、少し身体を休めたい」


「素敵ですわ。……雪の温泉ですわね」


「うむ。……支度を頼む」


「かしこまりました」



隣では、パトリスも嬉しそうに目を輝かせていた。


ふたりでカトランの背中を見送り、



「温泉だってぇ!?」


「ボク、温泉、はじめて」


「いやん、わたしもよぉ!?」


「……そうなんだ」


「楽しみねぇ~」


「うん……、楽しみ」



と、喜び合った。


危うくハイタッチの手を差し出そうとして、すんでのところで止まれた。


パトリスの控え目な笑顔を壊さずに済んだと、内心、胸を撫で下ろす。


色々考えてのことだと思うけど、カトランなりの気遣いが嬉しかった。


貴人が温泉に浸かるときは、専用の入浴衣を着る。公衆浴場とは違い基本は混浴。だけど、全裸で浸かったりはしない。


なので、パトリスを緊張させないようにと、身体の線が出にくい入浴衣のデザインを、ザザと研究する。



「まったく……。王都の貴婦人方は、いかに乳をデカく見せるかばかり考えてるっていうのに」



と、笑うザザ。


この城に女性は、わたしとザザのふたりだけ。


ザザにだけは、



「パトリス、女性の身体が苦手みたいなのよね……」



と、簡単に伝えた。



「お、そうか」



と、ザザは、それ以上に何も聞かずにいてくれて、ありがたかった。


いそいそと旅支度を整える中、突然、王都からの先触れが届く。


カトランも視察を早めに切り上げ、急遽、帰城した。



「……勅使」



書簡を見て驚くわたしに、マルクが豪快な笑い声をあげた。



「がはははっ! 王家もカトラン様の武功を無視はできんということですな!?」


「ふっ。援軍の求めを、あれほど放置しておきながら、現金なものだ」



カトランが、皮肉げに笑った。



「私を、叙爵したいそうだ」


「まあ!? ……それは、おめでとうございます」


「ふふっ。本来であれば、私が王都にのぼり、煩雑な手続きと儀礼を経るものを、わざわざ勅使を寄越すのだそうだ」


「がははははっ! よほど、我らの兵団を王都に入れたくないのでしょうな!?」


「がははと笑う野蛮な兵など王都に入れては、民が皆、逃げ出してしまおう?」


「逃げるのは、むしろ貴族方ではありませんかな? がははははっ!」



温泉行きは延期になって、勅使様をお迎えする準備に追われる。


少し残念だけど、中止になった訳ではないし、子爵家にとっては名誉なことだ。



「……複雑な動きは要らないと思うので、とにかく呼吸を合わせ、一糸乱れぬ動きで。……イチ、ニだけでいいと思います」



と、まったくの専門外ながら、儀仗の指導も任される。


なにせ、城の兵士のほとんどが元は山賊や野盗の類だ。


カトランとマルクの教育で規律こそ行き届いているけど、賓客に捧げる栄誉礼の経験など皆無に等しい。


わたしの到着時に、ずいぶん荒っぽくて、そろってない儀仗だなと気になっていたのだ。


言い出した以上はと、王都から持って来ていた先例集を引っ張り出し、心許ないながらに指導にあたる。


そして、



「さすがは武名轟くガルニエ家の儀仗隊。豪壮なる栄誉礼に深い感銘を受けました」



と、迎えた勅使様からのお言葉を賜って、ほっと息を吐いた。


勅使としておみえになられたのは、王国第二王女、ソランジュ殿下。


スラリとしたご長身に、水色がかかった銀髪。雪景色によくお映えになられる。


髪色に合わせた淡いシアンのドレスがよくお似合いで、肌は雪よりも白い。


クリスタルのような碧い瞳に、気品あるお顔立ち。


乱れた王都社交界を忌まれ、離宮に引き籠ってお過ごしで、姉や兄などからは〈堅物王女〉と揶揄されていたお方だ。


わたしもお会いするのは、初めて。


カトランの案内で、城のなかへとお進みになられるソランジュ殿下のお背中はまっすぐで、思わずわたしも背筋を伸ばす。


ただ、互いに長身で、年齢も近いカトランとソランジュ殿下が並んで歩く後ろ姿に、チリッと胸の奥で焼けるものを感じた。



――ひょっとして、王家も……、カトランとの政略結婚を企図して……、堅物王女を勅使に選んだのでは……。



ふわりとした不安を、脳裏によぎらせてしまった。

本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


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