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第9話 人生初の――目覚めたら見知らぬベッド

 今、人生で初めて、見知らぬ部屋で目を覚ますという経験をしている最中だ。


 起きて最初に目に入って来たのは、常夜灯にぼんやり浮かび上がる、高級感のあるグレーの壁紙。枕は自分の物とは明らかにモノが違うのがわかる。

 白いコットンのリネンは肌触りがよく、あたたかくて柔らかいチャコールグレーの毛布はカシミアだろうか。その上にはふっくらした羽毛布団。

 極上のぬくもりで、いつまでもベッドから抜け出せそうにない――のだが、のんびりお布団を味わっている場合ではない。


 七瀬は擬音が目に見えそうなほど勢いで飛び起き、部屋中を見回した。


「え、どこ……」


 広い部屋だった。十二畳くらいで、七瀬が寝ていたセミダブルベッドの隣にも、もう一台もぬけの殻のベッド。でも、誰かが寝ていたという気配はない。鞄やヨガマットといった、七瀬の荷物が揃えて置かれている。

 ダークグレーのカーテンがかかった窓は、全面窓だろう。


(ホテル……!?)


 恐る恐るベッドから下りたが、チャコールグレーのウッドフローリングは暖かい。床暖房が入っているようだ。

 コートハンガーには七瀬のコートがきちんと掛けてあり、家主(?)の律儀な性格が表れていた。


「え――え――!?」


 昨日の記憶が、どこを探っても出てこない。

 服は昨日のままなので、変なことがあったわけではないようだが、何も覚えていないことに恐怖を感じた。


 震える手でカーテンをちょっとだけ開けてみたら、まだ暗いもののうっすらと明るくなりかけている時間だ。

 ところどころに点いている街灯や看板の光、早朝に稼働し始めた店の灯りが微かに見えている。


「…………あっ」


 あわてて室内を振り返って時計を探し出すと、サイドテーブルのデジタル時計が午前五時三十分を指していた。

 今日は日曜日だが、宗吾が出張で不在とわかっていたので、早朝のオンラインレッスンを代行することになっていたのだ。


 開始時間は午前六時半。スマホは持っているし、無線イヤホンにはマイク機能もついているから、リモートクラスを開催できないことはない。

 でも、心情的にそんなことができるだろうか……。はっきり言って、そんな場合じゃないのだ。


「どうしよう……!」


 お酒で失敗するなんて生まれて初めてのことだ。

 ひとまず鞄の中からスマホを探し出したが、誰にどんな連絡をするべきか。焦りすぎてまったく思い浮かばなかった。


(落ち着こう、落ち着こう。まずは呼吸法……って、そこまで落ち着いてる場合じゃない!)


 半泣きでおろおろしながら部屋を出たら、正面に扉がある。そっと扉を開けてみたら、高級ホテルさながらの洗面台と、広そうなお風呂があった。


(やっぱりホテル……?)


 廊下を進むと、左手に玄関、右手に扉。ガラスの入っている扉の向こうに見えるのは、リビングだろうか。

 広々とした大理石の玄関には、七瀬の靴と男性の革靴が揃えて置かれている。


(ホテル……じゃなくて、陣さんのおうち……?)


 昨日の記憶で最後に一緒にいたのは陣だが、彼が履いていた靴だっただろうか。そこまでは見ていなかった。

 荷物を持てば、このまま帰れるのはわかったが、無断で逃げ帰るのも……。

 それに、ここを出たところでリモートクラス開催の解決にはならない。三十分で自宅に帰りつけるかどうか、わからないのだから。


 焦る気持ちでリビングにつながる扉を開けたら、時間が止まったように感じた。

 さっきのベッドルームも目を見張るほどの高級感にあふれていたが、このリビングの広大さときたら。

 ヨガのスタジオより広いかもしれない。

 角部屋らしく、正面と左手の壁に大きな窓があり、レースカーテンの向こうには、うっすら明るくな

ってきた都心の景色が広がっている。

 壁も床もグレー系で統一され、革張りソファのアイボリーがアクセントになっていて、間接照明が高級感をいや増していた。

 カウンターキッチンも、テレビで見るようなセレブのお宅のそれにしか見えない。


 落ち着かない面積のリビングには、ソファとダイニングセット以外に目につく家具はないが、機能的に見えた。

 壁掛け時計を見たら、五時四十五分。起きてから十五分もおろおろしていたらしい。


(ここでレッスン、できるよね……)


 でも、家主に無断で場所を借りるわけにはいかないし、レッスン着は持っているとはいえ、昨日から顔すら洗っていないのだ。とても人前に出せる顔ではなかった。

 リビングの奥にも扉があるが、そこが寝室だろうか。


 口から心臓が飛び出しそうなほど緊張しつつ、遠慮がちにノックしてみたが返事はない。まだ明け方だし、在室していたとしても眠っているだろう。

 どうしようかと躊躇していたら、室内から微かな物音が聞こえ、いきなり扉が開いたので七瀬は飛び上がった。


「わ……っ」


 腰を抜かしそうになったが、眠そうな顔をしたスウェット姿の陣がそこにいたので、焦るより先に安堵した。

 迷い込んだ異世界で、見知った顔に出会った安堵感みたいなものだろう。


「あ、七瀬センセー……」


 欠伸を噛み殺す陣に、七瀬は泣きついた。


「陣さん、ごめんなさい。場所、貸してください……!」


「……場所?」


「六時半から、オンラインクラスがあるんです!」


 まだ寝ぼけている陣に昨日のことを問い質すより先に、これから早朝クラスを開催しなくてはいけないことを訴え、リビングの片隅を提供してもらうことになった。

 ついでに洗面所も貸してもらい、顔を洗って身なりを整える。


 タオルも簡単なメイク道具も持ち歩いていて本当によかった。大きなリュックを宗吾は嫌うが、実用面でこれに勝るものはない。

 それにしても……。


 大きくて白くて美しい洗面台、ちらりと背後の浴室を振り返ったら、白とベージュで統一された広々としたお風呂場には窓まであり、とても個人宅のものとは思えなかった。


(でもやっぱり、ホテル――じゃないよね? 陣さん、何者……?)


 自分が今どこにいるのか、改めて謎だった。

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