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第34話 クリスマスに欲しいもの

「陣さん、怪我はないですか?」


 クリスマスのライトアップできらめく街を歩きながら、七瀬は揉み合った際に乱れた陣の前髪を、背伸びしてかきあげた。


「大丈夫、これでも喧嘩は強いから」


「陣さんが喧嘩するなんて、想像もつかないです」


「これでも男三人兄弟の末っ子だからね。子供の頃はよく、理不尽な兄たちに立ち向かったもので」


 そう言って笑う陣は、七瀬の手を握って彼のコートのポケットに収めてしまった。そして、ポケットの中で指を絡めながら、七瀬の気持ちをなだめてくれている。


「ごめんなさい。あんな大勢の前で、陣さんを侮辱するようなことを言って……」


「待った待った、七瀬さん。俺たちを侮辱したのは彼のほうで、七瀬さんが謝ることはなんにもないよ。君にあいつの代弁者になってほしくない」


 宗吾に代わって七瀬が謝罪する筋合いは、たしかにない。でも、七瀬が宗吾とのいざこざに陣を巻き込んでしまったという自責の念がある。

 とはいえ、陣にしてみれば、まだ七瀬が宗吾の側に立っていると言っているようなものだ。


「――そうですね。でも、驚きました。彼の会社って、陣さんの会社と関わりがあったんですね。全然知りませんでした」


「アストラルテックはグループ会社なんだ。俺もまさか、彼が帝鳳のグループ会社に勤めてるなんて思ってもみなかったよ。月曜日に兄貴の店でやりあったとき、彼に電話があったでしょう? 電話の相手にイオキベという珍しい名字で呼びかけていたから、もしかして――って思ったらその通りだった。今日、彼の聴取があってね……」


 そこで初めて、宗吾が会社でどんなことをしでかしたのかを知った。

 そもそもの騒動の発端は大楠沙梨であり、宗吾が自発的に問題を起こしたわけではない。一点、沙梨が彼のアカウントを使っていたことが問題視されていただけだ。

 その点を追求し、フィードバックすれば、宗吾にとってはそれほど大騒動になることもなかった。


 ところが、陣への敵対心からか、余計な方面にまで話を飛び火させ、私生活のだらしなさを暴露されることになってしまったのだ。

 おかげで、帝鳳本社の上層部にもかなりの悪印象を抱かせただろう。


 しかも、とどめがさっきの騒動だ。暴力行為はまず一発アウトだし、ワークショップで招聘した外部講師に暴言を浴びせた点は、擁護の余地もない。


「今日の結果をもって、年明けに懲罰委員会が開催されることになるんだけど……」


 七瀬にはそれをかばう言葉がない。すべて、大人である宗吾が自らの言動で落ちた穴だ。


「彼をセクハラで訴えるなら、力になるよ」


「そこまではいいです……! でも、陣さんに対して変な噂が立ったりしないでしょうか。会社であんなこと言って……」


 陣が恋人を寝取ったと何度も叫んでいたから、それを聞いた社員が真に受けたらと思うと、平常心でいるのが難しい。


「大丈夫でしょ。七瀬さんが毅然と対峙してた姿、かっこよかった。あの七瀬さんを見てくだらないことを考えるような輩、うちの会社にいらないし」


「陣さんもとってもかっこよかったです。というか、すごくうれしかった。陣さんが私を尊重してくれているって思えて」


 そして、貶されることに慣れすぎていた自分にも気付けた。気付きはとても大事なことだ。


「七瀬さん、それ当たり前だから。好きな人に暴力で悲しい顔をさせる意味が、俺には本気でわからない。正直なところ、人前じゃなければ殴って黙らせてたと思うよ。でも、俺まで同じ穴の狢になってしまったら説得力がなくなるし、何より非暴力(アヒンサー)に反するから」


「怒りの感情が湧くのは人として当然ですけど、その感情を理性で抑えるのは簡単なことではないですから。怒りに任せて行動して、いい結果になることはないですしね……」


「その通りとしか言いようがないな。でも、あんな下劣なことを人前で叫ぶなんて……やっぱ殴っておけばよかった」


 一瞬。本気の顔に見えたが、七瀬と目が合うと彼はすぐに冗談めかし、満面の笑みを浮かべた。


「でも、これで決着がついたって考えてもいいんでしょうか。またスタジオまで来られたら……」


 昨日の朝みたいにレッスンの前後を狙われたら、避けようがない。宗吾は自宅待機だというし、週末からは年末年始の長期休みに入ってしまうのだ。

 年末年始は七瀬のコマも増えるから、不幸な遭遇の確率も上がってしまう。


「これ以上、七瀬さんをつけ回すようなら、さすがに彼の学習能力を疑うけど……その辺のことは俺が片付けておくから心配しないでいいよ」


「片付ける……って?」


 陣なら心配することはないだろうけど、なんだか不穏な発言だ。


「とっておきの秘策があるんだ。耳貸して」


 青山の街を歩きながら、陣が耳に唇を寄せてくる。

 その距離感に馴染むにはまだ時間がかかりそうで、どきどきしてしまったが、そんな七瀬の頬に陣の唇がふわっと触れた。


「――!」


「あ、ごめん。七瀬さんのほっぺが赤くなってかわいかったから、つい」


 そう言って悪びれもせずに笑っているから、確信犯だろう。


「早く七瀬さんの中から、あいつの記憶を追い出さなきゃね。朝倉くんにはしっかり話をつけておくから、本当に心配いらない」


「彼に話して、わかってくれるでしょうか……」


 そもそも人の話など聞く気もない男で、話してわかるなら、こんなにこじれることもなかったと思う。


「おっ、七瀬さんが意外に辛辣」


「そういうつもりじゃ……!」


 陣はひとしきり笑うと、ポケットの中で七瀬の手をぎゅうっと強く握りしめた。


「従わざるを得ない人に対応を頼むから、大丈夫。三門の人脈、こういうときに使わないとね」


 そう言って改めて七瀬に耳打ちするが、その内容に目を剥いた。とても一般人には使えない直接的な方法だ。


「こ、こんなときに使うような人脈ではないような……」


「そんなことより、明日はクリスマスイブだし、そろそろ俺だけ見ててほしいな。七瀬」


 突然の呼び捨てで、握られた手が汗ばんでしまった。

 罪のない笑顔で顔を覗き込まれ、寒さではなく熱さで頬が火照っている。そうでなくとも顔立ちの整った人なのに、こんなアップで微笑まれたら目が泳いでしまうではないか。


 でも、同じ呼び方でも、宗吾の威圧感のある口調とはまったく違って、陣に呼ばれる自分の名前は、とてもふわふわしてやわらかいものに感じられた。

 大事に大事に包まれているようで――。


 胸がくすぐったいこの感覚を、ずっと大切に持っていたいと思う。

 自分の目を見つめる陣に視線を合わせると、遠慮がちに彼の頬に指を当てた。


「……クリスマスプレゼント、陣さんは何が欲しいですか?」


 いつももらってばかりなので、七瀬からも彼に何かあげたい。でも、陣なら欲しい物はなんでも買えてしまうだろう。ヘタな物をあげて失敗するくらいなら、本人に聞くのが一番だ。


「んーそうだな」


 ちょっと考えて、名案を思いついた顔でうなずいた。


「七瀬にも、さん付けなしで陣って呼んでほしい」


「……それだけですか?」


 と言いつつも、どきどきが加速していく。彼を呼び捨てになんてできるだろうか。


「俺には何よりのプレゼントだよ。七瀬は何が欲しい?」


 頬に当てた七瀬の指をやさしくつかみ、陣が手のひらにくちづけてくる。そのあたたかくてやわらかな感触が、七瀬の冷えた指先に血を巡らせてくれる。


「私はもう、とっておきのプレゼントをもらいました」


「ん、言っとくけど、昨日のヨガマットはクリスマスのじゃないよ?」


「そうじゃなくて。安心して過ごせるとっておきの時間と空間を、陣にもらいました。今年、最高のプレゼントです!」


「……また、かわいいこと言う」


 街中だというのに、陣がいきなり抱きしめてくる。

 びっくりはしたが、彼のやわらかな笑顔を見たら、率直に気持ちを伝えてくれる陣が心から愛おしく感じた。自分の感情に嘘をつかない正直(サティア)だ。


「七瀬のそういう慎ましいところ、ほんとに好きだ。ねえ、もうひとつ欲しいものが増えたんだけど、リクエストしてもいいかな」


「もちろんです。私にあげられるものなら」


 すると、七瀬の肩を抱き寄せて歩き出しながら陣は言った。


「いつでもいいんだけど、七瀬の気持ちが整ったら――君の肌の温度を教えてほしいな……と」


 ぶわっと顔中が赤らんだ気がする。つまりそれは――。


「――いつでもいいんですか?」


「なるべく早い方がうれしいけどね」


「クリスマスプレゼントは、二十四日の夜にこっそり枕もとに置いておくんです、我が家では」


 そう伝えたら、陣がふと立ち止まった。


「それはつまり、今夜の十二時が過ぎたら二十四日……」


「えっ、それはフライングです! 二十四日から二十五日にかけて、ですよ!」


 あわてて訂正したら、陣は意外と本気でがっかりしている。


「一晩の忍耐を試されるわけだ――」


「だって、明日は木曜日なんですよ。早朝レッスンがある日なので、今夜じゃゆっくりできないですよ」


 ヨガを理由にお断り。宗吾相手だったら、ひとしきり詰られているところだが……。


「ああっ、そうだ! ランニングも行かなきゃいけないしね。なるほど、明日ならゆっくりしていいんだ」


「あ――え、っと……」


「それなら、我慢のしがいがあるかな」


 またお互いの顔を見て、笑い合う。

 そうして、ふたりの始まりの場所でもある『Vintage Voltage』の扉をくぐるのだった。

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