第23話 対峙
昨晩、完膚なきまでにスマホを叩き潰してしまったので、以前使っていた旧機種を引っ張り出してきた。
SNSの一部のログは消えてしまったが、マメにバックアップはとってあったので日常使いに不便はない。
七瀬のアカウントを見ると、名古屋に行く直前までのメッセージしか残っていなかったため、昨晩、大量に送りつけた宗吾のメッセージを彼女が読んだかどうかはわからなかった。
しかし、昨晩も帰宅しなかったのをみると、沙梨を自宅に連れ込んだことは知られているとしか思えなかった。
玄関に残されていたヨガマットは、帰宅した七瀬が置いていったものだろう。
(わざわざヨガマットを置いてあてつけとか、これだから女は……)
宗吾が他の女性のところにいったのだって、元を正せば七瀬の身勝手が原因だ。こちらの都合などお構いなく、わずかな金銭のために早朝から出かけて行き、疲れて帰宅する宗吾に作り置きの冷めた食事を並べ、自分はさっさと寝てしまう。
誰のおかげで、恵比寿という便利な場所に住めると思っているのだろう。あまりに感謝が足りなすぎではないか。
しかも、今は男のところに転がり込んでいるようだ。
相手が水曜日のあの男だとしたら、やはり仕事がらみだとか言っていたのは嘘ということになる。
(先に浮気をしたのは、七瀬の方じゃないのか?)
女の浮気は本気とも言うし、宗吾が初めての恋人だとか言っておきながら、男とあんなに親しげにしていた。一、二度会った程度の関係ではないだろう。
(あいつの見た目に騙されてたのか、俺は――)
初めて会ったとき、顔はかわいいしスタイルも良く、ちょっと変わった子ではあったが、初心な様子に心惹かれたものだが……。
昼休み、自席でキッチンカーの弁当を食べていたのだが、イライラして唐揚げに箸を突き刺した。
弁当を作ってくるはずの沙梨は、昼前に部長に呼ばれて今なお戻ってこない。おかげで彼女から弁当を受け取ることができず、買いに行く羽目になった。
(弁当代の三百円は返してもらわないとな……)
この週末からクサクサすることばかりだ。
とにかく、七瀬にはガツンと言って、自分のありがたみを教え込まなければ。結婚は考え直すと言えば、土下座でもなんでもしてくるだろう。
最後の唐揚げを口に放り込んだ時、SNSの通知がきた。七瀬からだ。
すぐさまタップして、彼女の言い訳を確認する。
『仕事が終わったら、青山一丁目駅近くのカフェバーVintage Voltageに来てください。話したいことがあるので、十九時にはお店で待ってます』
それは以前、宗吾が七瀬を呼んだ店だ。
素直に謝罪するなら一度くらいは許してやらなくもないが、相手の男のことはきっちり聞き出し、場合によっては制裁も考えなくてはならない。
リプライをするのが癪なので、既読無視することにした。
来るか来ないか、七瀬をやきもきさせてやりたい。昨日は帰って来るのか来ないのかで、宗吾がさんざんやきもきさせられたのだから。
◇
結局、七瀬からそれ以上のメッセージが来ることはなく、落ち着かない思いをさせられたのは宗吾の方だった。
『話したいことがある』と思わせぶりな書き方をしているのが気に食わない。
今日は十時に出社したので、十九時に上がれる。待たせてやろうという気持ちもあったが、十九時きっかりに会社を後にすると、駅まで急ぎ足で向かった。
もうすぐクリスマスなので、各所でライトアップが施され、『Vintage Voltage』の店先もイルミネーションで飾られている。
寒い夜だというのに、街全体が浮足立っているようだ。
先週からずっと不快一辺倒だというのに、世間の浮かれ具合にこちらは腹が立った。
店に入って店内を見回すと、七瀬が壁際のソファ席に座っており、手元にはグラスマグのカクテルがあった。
宗吾は不機嫌な表情を作ると、七瀬をにらみながら席まで近づいていく。
すると、七瀬もこちらに気づき、立ち上がって宗吾がやってくるのを待った。
「来てくれて、ありがとう」
口元を微笑させて七瀬が言った。宗吾が来てやったことに安堵しているのだろう。
「仕事中に抜けてきてるんだ。何の話があるのか知らないが、手短に」
向かいのソファの上に鞄と上着を放り投げ、スマホをテーブルに置いてから、腰を下ろして足を組んだ。
いかに自分が怒っているかを態度で示し、七瀬に反省させなければならない。
注文したビールが届くまで沈黙が続いたが、ウェイターが立ち去ると、それを合図に七瀬が切り出した。
「……まず、私が最近見聞きしたことについて、宗吾さんの口から本当のことを教えてほしいの」
「なんだよ、本当のことって」
「今月の頭、金曜から前乗りで九州に出張って言ってたよね。私ね、土曜日の昼間、宗吾さんが女の人と表参道を歩いているのを見たの。出張は……嘘だったの?」
「…………」
いきなり予想もしていなかったことを指摘され、言葉を失った。
元々は沙理の兄の誕生日プレゼントを買いに行くだけの約束だったのだが、その一週間ほど前、彼女と客先に出向いた後で、会社には直帰と伝えて二人でホテルに入った。
そこで盛り上がってしまい、どうせなら翌週末も――となり、出張と偽って金曜夜から日曜日まで、沙梨と過ごしたのだ。
七瀬が表参道に行く確率はほぼゼロに等しく、スタジオのある青山、新宿、渋谷を避ければ遭遇することは絶対にないと思っていた。
「出張は嘘じゃない。お土産も渡しただろ」
有楽町のアンテナショップで買ったものだったが……。
「そう。新宿駅で宗吾さんを見かけたとき、一緒にいた会社の人だと思ったけれど、じゃあ私の見間違いかな」
七瀬は目を伏せて笑ったが、まるで納得していない顔だ。宗吾が嘘をついていると決めつけている表情をしている。
「一昨日……土曜の夜はね、十時頃に家に帰ったら、女の人の靴が玄関にあったの。二人で寝室にいたよね。ごめんなさい、聞くつもりじゃなかったけど、聞こえてしまって……」
七瀬は平静を保ち、微笑を浮かべたまま言う。
「私たちの家だよね……? どうしてあんなことができるの……?」
彼女の恨み節を白々しい思いで聞いていたが、被害者意識が強くて、明らかに宗吾を悪者と決めつける態度が冷笑ものだった。
「……それって、被害者ヅラ?」
そう告げたら、心底驚いた顔をした七瀬が、思わずといった感じで顔を上げてこちらを見た。
「だいたいさ、誰のせいだと思ってんの? 朝は起きたらいない、夜は帰ってきたら寝てる。自分だけ作りたてのあったかい飯食って、俺には冷や飯だけ置いていってさ。弁当も作らないし、ろくに家事もしないで遊びまわってる七瀬に、俺のやることを干渉されたくないんだけど? それに『私たちの家』って、俺の家に転がり込んできただけの居候の自覚ないの? 七万ぽっちのはした金で恵比寿に住まわせてやってるのに、ずいぶん上からだな」
「…………」
今にも泣き出しそうな顔をする七瀬に、ますます苛立ちを感じた。都合が悪くなると、こうやって情に訴えてくる女が心底嫌いだ。
「泣けば許されるとでも思ってんの? そう言うおまえだって、男がいるんだろ? 名古屋出張だって嘘ついて、実際は男の家に転がり込んでるくせに。クソみたいな最低女だな」
冷笑してやると、七瀬は目に涙をためていた。
「……宗吾さん、私のこと、ずっとそう思ってたの?」
「え、なに? 自分の行いは棚に上げて、俺一人が悪者なんだ? おまえみたいな女、反吐が出るわ」
沈んだ表情の七瀬を見ていたら苛立ちが最高潮になる。宗吾は飲みかけのグラスを手に取ると、腹立ちまぎれに中のビールを七瀬にかけようとした――そのとき。
背後からいきなり手首をつかまれて、グラスを手から取り上げられる。
驚いて振り返ると、後ろの席にいた男が立ち上がり、宗吾の手を締めつけるほどの力でつかんでいたのだった。