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第21話 一方、その頃。

『やっぱり今日帰ろうと思う』


 七瀬からSNSのメッセージが入っていることに宗吾が気づいたのは、日曜日の朝のことだった。

 そのメッセージが送信されてきたのは、昨晩二十時三十分。

 昨晩、自宅に沙梨を連れてきて以来スマホを触っていなかったのだ。


 宗吾は通知を見てぎょっとし、自分に抱きついて眠っている沙梨の腕を解くと、リビングに飛び出した。

 朝陽が射し込んで明るいリビングは、昨日のまま特に変わったところもなく、人の気配はない。

 もう一度、確認のために七瀬からのメッセージを見返したら、『帰ろうと思う』と微妙な書き方をしてあった。

 宗吾が返信をしなかったから、結局は帰らずに名古屋に留まったとも読み取れる。


「帰って……ないよな……?」


 落ち着かずそわそわするものの、問題はないと自分に言い聞かせる。

 でも、七瀬に返信するのは沙梨を帰らせてからにすべきだろう。身の回りは万全に整えておかなくてはならない。


「あいつ……まだ寝てるのかよ」


 ちらりと時計を見たら、もう八時を過ぎているのに、沙梨が起きてくる気配はなかった。


「大楠さん、起きて」


 寝室に戻って、裸のままで寝ている彼女の肩を揺さぶると、「日曜くらいゆっくりしましょうよ」と、再び宗吾に抱きつこうとする。

 その腕を振りほどき、床に脱ぎ散らかしていた服を沙梨に投げつけた。


「七瀬が早く戻ってくるかもしれないから、今日のところは帰ってくれ」


「ええ!? 今日はドライブしようって約束してたじゃないですか」


「事情が変わったんだから、しょうがない。この穴埋めは年末にするから、今日は帰ってくれ」


「――わかりました。じゃあ、年末旅行のホテルはスイート取ってもいいですか? 今ならギリ、予約変更できると思うので」


「わかったよ」


 朝からおおわらわで支度をする沙梨を、ようやく自宅から追い出せたのは三時間後。結局、昼になっていた。

 しかし、沙梨を送り出すために玄関へ行ったとき、宗吾は息を呑んだ。

 玄関の壁に、ヨガマットが立てかけてあったのだ。


 それは普段から七瀬が持ち歩いているもので、家にあること自体は、まるで不自然ではない。だから、ずっとそこにあったのを見過ごしていただけかもしれない。

 ヨガマットはスタジオでも借りられると聞いている。わざわざ名古屋までこんな荷物を抱えていく必要もないだろう。

 でも、金曜日からあっただろうか。玄関ドアが開く方の壁に立てかけてあるから、これでは出入りの邪魔になる。

 ずっとここにあったのなら、きっと帰宅時に気になっていたはずだ。


(昨日、帰ってきてた……?)


「宗吾さん、どうかしました?」


 靴を履こうとして固まった宗吾を、沙梨が不思議そうに見つめている。


「いや……」


「せっかく江ノ島まで行けると思ってたのに、ドライブが駅前までの数分なんて、ショックすぎますぅ!」


 色々なことに対してイラッとした。

 人の気も知らずに、自分の希望ばかり主張する沙梨にも、帰ってるか否かで宗吾を惑わす七瀬にも。


「わかった、じゃあ江ノ島まで行こう」


 イライラを隠しながら言うと、沙梨の表情がパッと輝いた。


「えっ、いいんですか!? 彼女さん帰ってくるんじゃないですか?」


「いいよ。どうせ元々夜まで帰ってこない予定だったんだ。あっちの都合に構う必要もない」


「そうですよね、どうせ自分の好きなことばっかりしてて、宗吾さんのこと放ったらかしなんでしょう? 宗吾さんの時間を奪う権利なんて、いくら彼女さんでもないですよ」


 小悪魔的な笑みでささやかれ、宗吾は頷いた。


「それにしても、彼女さんじゃ宗吾さんが満足できるとは思えないです。なんか地味だし」


「会ったのか?」


「いえっ、部屋に写真が飾ってあったの見ちゃいました」


 確か、この家で同棲を始めた初日に、記念とか言って七瀬がツーショット写真を自撮りして寝室の棚の上に飾っていた。

 日常の光景に埋もれて、そんなものが部屋にあったことすら忘れていた。


 このヨガマットはずっとここに置いてあったし、何時に帰って来るのかもわからないのに、宗吾が気を使って家にいる必要もない。

 家にいて、一日中悶々とするのがいやだったのだ。

 きっと宗吾からのリプライがなかった時点で、帰るのは思いとどまっただろう。

 勝手なことをするのは許さないと、これまでにもさんざん教え込んで来たし、それに反したらとことん思い知らせてきた。

 つい最近も宗吾に逆らい、オフの日に勝手に仕事を入れた挙句、男と並び歩いていたのを叱ったばかりだ。


 何するにも宗吾にお伺いを立て、指示を受けてからでないと決められないように、徹底的に躾けていかなければ。

 帰ってきたら、従順な女でなければ結婚は無理だと教え込むことにしよう。


 ――こうして宗吾はイライラの元を断ち切ると、沙梨を助手席に乗せて江ノ島までドライブに向かい、二十時には彼女を自宅に送り届けて帰宅した。

 しかし、玄関を開けても室内は真っ暗で、七瀬の姿はない。スマホを見ても、連絡一つ入っていない。


(やっぱり昨日、帰って来たのか……?)


 玄関口に置きっぱなしになっているヨガマットを見たら、無性に腹が立ってきた。


「邪魔だっ」


 ヨガマットを力任せに蹴り飛ばしたら、リビングの方まで転がっていった。

 家に上がると、マットを踏みつけて部屋に入り、ソファに腰を下ろして七瀬に電話を入れた。

 しかし、ずっと呼び出し音が続くだけで、電話がつながることはない。

 SNSにメッセージを送ってみても既読はつかない。


「なにやってんだよ」


 毒づいてもう一度、電話をかける。でも結果は同じ。だんだんイラついてきた。

 さらに電話をかけ、合間にメッセージを山のように送り、手が空いたら次の電話をかける。

 これを一時間ほど繰り返していたら、やっと通話状態になった。


「――七瀬! なんですぐ出ないんだ!」


 開口一番の対応が大事だ。一日で募りに募った怒りを爆発させ、いかに自分が怒っているかを知らしめなければならない。

 だが、電話の向こうは無言のままだった。宗吾に怒鳴られて、怯えているのだろうか。


「今日、帰って来るんだよな? 何時に帰って来る?」


 七瀬が返事をしやすいように、なにより一度帰宅したかを確かめるために、さっきより少しだけトーンを落として尋ねた。

 それでもやはり、返事はない。


「七瀬、聞いてるのか? どこにいるんだ、何時に帰ってくる!?」


 再びイライラしながら問い詰めた時だ。


『――悪いが、七瀬はその家に帰さない。近いうちに荷物を取りに行くから、そのつもりでいろ』


 思いもしなかった男の声だった。しかも、間違い電話とかではなく、明らかに七瀬の携帯とわかって電話に出ている。

 状況が把握できず、頭が真っ白になった。


 だがふいに、水曜日のことを思い出した。オフのはずの七瀬が青山にいて、見知らぬ男と一緒に歩いていた姿。

 あのときはカーッと頭に血が上って、七瀬を連れ戻すことしか思い浮かばなかったから、男の顔も声もはっきりとは覚えていない。

 でも、こんな近距離にいる男の心当たりは、あいつしか思い浮かばない。


 七瀬があの男に向けていた笑顔は、愛想笑いの類ではなかった。男の素性については知りたくもなかったので問い詰めなかったが、親しい人物だったのだろう。

 企業に呼ばれて、そこの社員にヨガの質問をされていただけだと言っていたが……。


「……誰だ、おまえ」


 ようやくそう返した瞬間、有無を言わせず電話は切れた。


「は?」


 通話が途切れたスマホを見下ろしているうちに、怒りがふつふつと湧いてきた。

 宗吾は立ち上がると、スマホを力任せに壁に投げつけていた。叩きつけられたスマホは大きな音を立てて床に落ち、画面には亀裂が入る。

 その様子を見て、ますます激昂した。


「クソが!!」


 壁際まで歩いた宗吾は、スリッパを履いた足でさらにスマホを何度も何度も踏みつけ続けた。

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