第14話 企業ワークショップに出かけてみれば
翌日はいつもオフの水曜日だが、今日と来週、企業ワークショップが全二回の予定で入っている。
でも、この仕事は宗吾に伝えていない。ワークショップの時間は十八時二十分から三十分程度だ。宗吾の帰宅はいつも二十一時過ぎ。
宗吾の会社もこの近くだったはずだが、帝鳳ホールディングスの方が駅に近いので、終わってさっさと帰れば余裕で先に帰宅できると考えたのだ。
バレたときのしんどさを考えると、あらかじめ話しておくべきとは思うのだが、そうしたら絶対にチクチクと嫌みを言われるのがわかりきっている。
でも、気づかれなければ嫌な思いをすることはない。そして、気づかれない可能性は高い。
だとしたら、余計な波風を立てないためにも、黙っておいたほうが精神衛生上いいに決まっている。
――と、ここまで先回りして考えなければならないことに疲れを感じた。
でも、長く一緒に過ごしてきたという重みがあるし、生まれて初めての恋人にまだ、情が残っている。
付き合い始めの頃は、七瀬がヨガ講師をしていることに感心し、応援してくれていたのだ。
それなのに、急に否定するようになったからには、七瀬にも落ち度があったのだろう。
昨日、宗吾の浮気相手と思われる女性がスタジオを強襲したのは、彼の差し金なのだろうか。
だとしたらそれを改善し、以前のように気持ちよく送り出してもらえるよう努力をすべきだ。
あの表参道デートも実は七瀬の見間違いで、自分の気持ちを正直に話したら、宗吾が耳を傾けてくれる未来があるかもしれない……。
「…………はぁ」
洗濯物を干すベランダから空を見上げ、吐息をついたが、首を左右に振って笑っておいた。
日中、晩御飯の仕込みまで一通りの家事を済ませると、夕方になってそそくさと出かけた。
今日の仕事先であるは、帝鳳ホールディングス本社は南青山スタジオからわりと近くにあり、国内外でいくつもの事業を展開している超大手企業である。
商社から物流、不動産など、数々のCMも流れているから、その企業名を知らない日本人はいないだろう。
巨大な自社ビルの受付で来意を告げると、すぐに担当者の女性が迎えに来てくれた。
「お待ちしておりました、鈴村先生。帝鳳ホールディングス労働組合、担当の磯部です。今日と来週の二回ですが、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。講師の鈴村七瀬です」
雑談をしながら、ワークショップを開催する会議室に案内してもらう。
二十七階にある広い部屋で、テーブルなどはすべて片付けられていて、パイプ椅子が三十脚ほど並んでいた。
大きな窓なので開放的で、夕焼けを背景に、新宿の高層ビル群もよく見える。
「隣の控室でお着替えしていただいて大丈夫です。中から鍵もかかりますので」
担当者に案内されて着替えを済ませると、七瀬は講師用に準備されていたパイプ椅子に腰を下ろし、体を伸ばしはじめた。
「先生、椅子の間隔はこのくらいで大丈夫でしょうか」
「はい、腕を伸ばして前後左右の人とぶつからなければ問題ないので、十分です。何人くらいいらっしゃいますか?」
「お昼の時点で予約が二十八人でした。スペースもあるので、ギリギリまで受け付けてますから、もしかしたらもう少し増えるかもしれません。十八時までは予約受けてますので」
しばらく担当者と雑談をしていたが、十八時にチャイムが鳴ると彼女がノートパソコンを開いた。
「今日の業務終了のチャイムです。今の時点で三十二人ですね」
「思ったよりいらっしゃるんですね。こういう企業さんには時々呼ばれますけど、三十人規模は滅多にないです」
「今日はノー残業ですし、ヨガに興味のある人も多いみたいですよ」
「ありがたいことです」
「では、私は外で受付を始めますので、よろしくお願いいたします」
こうして終業からしばらくすると、続々と社員が入室してきた。
「こんにちは。今日はよろしくお願いします。前から詰めて座ってくださいね。今日はチェアヨガという椅子を使った簡単なストレッチなので、お着替えは必要ありません。荷物は後ろの机に置いてください」
所変われど、講師の仕事は同じだ。若い社員が多いかと思ったが、意外と中高年の社員の顔もちらほら見える。「部長もいらしたんですか」などの日常会話もあり、それを楽しく眺め、時計が定刻を指したので立ち上がった。
「では、時間になりましたので始めたいと思います。講師の七瀬です、よろしくお願いいたします」
会釈を返す面々を見て微笑むと、チェアヨガについて簡単な説明をする。
「チェアヨガは、お仕事の合間に席でできるストレッチです。就業中、一つでも取り入れるとだいぶリフレッシュできると思うので、いくつか覚えてみてくださいね。後で紙の資料も配布します。退出の際に受付でもらって行ってください」
淀みなく説明し、さっそくいつもどおりにインストラクションを始めたのだが、遅れて入って来た男性の顔を見た瞬間、目が丸くなって頭が真っ白になった。
だってそれは陣さん――あの三門陣だったのだ。
彼は七瀬と目が合うとにこやかに笑い、一番後ろの空いている席に座った。