高山大川をさだむ、定められた順序を守ろうね。③
結局、荀偃が宮中にいる巫覡を呼び、士匄とついでに二次被害にあった趙武を祓った。巫覡も少し呆れており、
「士氏の嗣子とあろうものが、毎度君公のおられる宮に不浄をお連れになるのはいかがなものか。いくらなんでも異常というものです。必ず何か呪いか祟りの原因がおありのはず。きちんとお調べ下さい」
とやんわりと説教をして去っていった。士匄は苦い顔を隠さず、おとなしく拝聴した。
さて、韓無忌は病欠、欒黶はさぼりである。となれば、一番の先達は荀偃となり、彼がみなを教導する立場となる。圧の強い士匄と、柔和であるが芯が極めて強い趙武とに視線を動かした後、荀偃は諦めた口調で口を開いた。彼は頭は悪くないが極めて平凡である。ゆえに、出した議も無難なものとなった。
「夏書の『禹貢』に関して、学びましょう」
夏王朝を開いた禹王が行った税制の記録であるが、同時に治水や地質調査の話でもある。国を治め税をとるためには、土地を調べ場を整えることが肝要、という為政者の基本のような話であった。どちらかといえば穏やかな意見交換の最後、
「今や邑として開かれたところは、邑宰や大夫が過去の記録を全て把握している。そして、めぼしい場所はそのような邑ばかりだ。よほどむりやり新たに邑を作るということが無い限り、禹王のように一から調べ場を整える必要はなかろう。誰がいつ開いたか分からぬ邑など無いのだから」
と、士匄があごに手をやりながら言った。趙武も頷く。
「我が原邑は元々姫姓原伯のものであったと伺っております。しかし戦乱を経て周王さまが治めることとなり、文公の時に下賜され、我が曾祖父である成子がいただきました。ゆえ、私の元に戻ったときに、原邑が商殷にて開かれた始めから全てをお教え頂きました。その時に、地勢、特産物、税について、河への対応をどうなさっていたかも引き継ぎされております」
春秋時代、邑を己で開墾する記述よりも、譲られる――もしくはそのていで奪う――記述が圧倒的に多い。豊かな邑、軍事的要地は古い時代にあるていど確立していたためであろう。趙武の言葉に士匄も荀偃も同意する。
「先日も周の大夫から邑を譲られた。その際、舜帝の時代に開かれた邑であると引き継いでいる」
ついでに周の大夫というコネもゲットしたことを思い出しながら士匄は言った。
「お父上の名代で周の大夫と儀を行うなんて、范叔はさすがですね。私など、緊張して声が出なくなりそうです。先日とおっしゃいましたが、つい最近なのですか?」
荀偃が称賛と興味を混ぜ込んで問うた。褒められれば気が大きくなりついでに言葉も多くなるのが士匄である。その癖をやめろと父親の士爕は頭を抱えているのだが、全く治す気は無い。彼は持ち前の記憶力で正確な日数を答えた後に
「儀に使う生け贄は羊。国同士の盟いでないことを考えれば、なかなかに上等なものをあちらは用意した。我が士氏と昵懇になりたいという思いが強いのであろう。また、少々古くさいが人の贄も行った。我が地を譲るという盟いの強さというものだ」
人の贄ですか、と趙武が目を丸くする。
「戦い勝利の儀を廟で行うとき、攻めてきた狄を倒し二度と来ぬように祈願するときに捕虜や狄を天に捧げることは、まあ、珍しくないですが。たかが一つの邑の引き継ぎで人の贄とは盟いや祈願が強すぎるように思えます」
荀偃も不審さを隠さず趙武の言葉に頷いた。言われた士匄はそうか? とこともなげに言い、
「邑で問題があった、という連絡は無い。つつがなく邑宰は治めているようだ。ああ、でも供のものたちはやたら運が悪かったな。何故か帰りに落石で潰されたり、河に落ちたり、食い物に当たったりで死んだ。父上の臣や下僕であったから、申し上げ、父に不祥祓いの祈祷をおすすめした。まあ、そのおかげか父には何もない」
と笑った。が、拝聴している二名は少しずつ顔色がわるくなり、ひきつっていく。日数、状況を考えても、士匄が頻繁に取り憑かれるようになった時期と一致する。
「え。なんで気づかないんです? 范叔ってすっごく頭いいですよね。古詩古書古史法制儀礼天文の計算まで全部頭に入ってて、教養クイズもとんちクイズも完璧で、ねぷりーぐ的な催しでも一問もお間違えにならない。上背もあり体つきもよくて弓矢も戈もお上手、やたら鬼に好かれるわりにはくじ引きは当たりをお引きになる勘の良さ。それで、どうして、気づかないんです? 欒伯がさぼったのって范叔の不祥が原因ですよね? あの、全ての不祥不吉凶不浄が避けて通るほどのバカパワーが通じないほどの不祥ってどう考えても恣意的な祟りや呪いですよね? え? 儀式の帰りに下僕全滅されているんですか? うん、どうしてそれでお父上の運が悪い、という結論なんです? めちゃくちゃ頭がいいのにバカなんです? なんで気づかないわけ? バカなの? 死ぬの?」
趙武がひきつった嘲笑をうかべながら、懇切丁寧に士匄を罵倒した。趙武の言葉に士匄の顔は氷点下のような冷たさとなり、底光りをする瞳を向けて、獲物を狙う虎のように少し身を乗り出した。
「我が才を讃えて頂き、趙孟には感謝に堪えぬ。そしてどうやらわたしへご忠告いただいたようであるが、あまりに卑賤な言葉で耳慣れず、また、わかりにくい文言で、いまいち理解できなかった。常々申し上げている。趙孟は弁があまり立たぬ。わたしはそのあたりの教導も含めお前を任されているのだが、趙孟のお力になっていないようだ。わたしの不徳といたすところ、陳謝を」
霜でも吹くような冷たい声音で、士匄は趙武へ返した。そこには確かな嘲りがある。趙武が優美で柔和な顔に怒りを込めて睨んだ。吹雪でも起きているような雰囲気が充満していく。
「あ、あ、あの! ああ、范叔も、趙孟のおっしゃることくらいおわかりでしょう! ねえ、仲良くしましょう、仲良く!! 趙孟も言い方ぁ! 二人でごめんなさいしましょ、同時に、ごめんなさい! ね!?」
年長の荀偃が半泣きで叫んだ。さらに、もう、二人とも怖い! 怖い! と叫ぶ。半泣きを越えて涙を浮かべてしまいそうな勢いであった。パニック直前の荀偃に毒気を抜かれた二人は、顔を見合わせると姿勢を正し、ゆっくりと拝礼して
「申し訳ございません」
と、同時に謝った。荀偃が先達であるため、その顔を立てねばならぬ、という大夫の価値観もある。が、頭に血が上った人間は、さらにパッパラパーになる人間を見ると冷静になるというものであった。
④に続く