何ぞ彼の穠たる唐棣の華。嫁ぐ姿は、あの美しく盛んに咲き誇る艶やかな花のよう①
地精たちは、女官を、否、己と同じ地精を殺しきった。体をねじりきり、腕をもいで、首もねじ切る。そこまですると、土を掘り出した。
「おい、何をしている」
慎重に足を運び、移動しながら士匄は声をかけた。この内宮どこにいても地精から逃げられないであろう。油断すれば、見えぬ腕がひっぱってくる。侍ろうと絡んでくるのを払いのけながら、掴まらない場所をさぐりながら、歩く。
士匄の声に、地精が一斉にふり返った、その顔は清楚で、可憐であった。一見、地味な目鼻立ちであったが、心に清冽さが残るような、美しい女どもであった。まさに、菊そのものである。それらが、表情なく、士匄を見つめた。
「埋めるのです。死ねば黄泉に。鳥か土と伺いました。今は土のほうが早いのです」
澄んだ声が、唱和し、幾人かがしゃがんで土を手で掘り出した。柔らかくもない土に、爪が剥がれた女もいたが、もくもくと掘っていた。地精に痛みなどわからぬのであろう。
「あなた、あなたたち、狄の方を、木の上に、置いたのですか、あのように、惨い! おやめなさい、やめて!」
趙武が、地精たちをかきわけ手を伸ばす。士匄は、バカ、と思わず言った。趙武の手は白い腕にからめとられ、それどころか体に女たちがまとわりついてくる。柔らかく、いいにおいの、おそろしい女たちが趙武を四方八方から抱きしめ侍ってくる。
「ヤダぁっ」
幼児のような声をあげて、趙武は泣きだした。男として役得、などとは思わなかった、押しつけられる胸も腿も、性欲をかきたてられるどころか恐怖でしかなかった。
「大夫さまは、穢れたところに行ってはいけません」
「穢れても私たちがお役に立てますけれども、貴きかたに卑しい女官など」
「大夫さまは、我が主の主にならなければなりません。そうでなければ、お役に立たないでしょう、大夫さまはお役に立たなければなりませんでしょう」
「ここにいるのであれば、お役に立たないと」
「君公の、我が主のために、さあ大夫さま、私たちが務めますゆえ」
人のことわりなどわからぬさえずりを合唱され、趙武は耐えられなくなり嘔吐した。地精どもは、人の生理などわからないため、気にしなかった。
胃液に喉を焼き、鼻を痛めながら、趙武の目に強い光が戻ってくる。極めてくだらない、本当にくだらないことが原因であろう。しかし、それにより人が三人死んだ。いや、目の前で埋められていく女官を合わせれば四人か。人は、死ねば取り返しがつかない。世の中に取り返しがつかないことなどごまんとあるが、死んでしまっては、本当にどうしようもない。戻らぬ。
――死者は生者と歩めない
かつて、士匄の祖父范武子が、死者として言った。あの偉大な存在でさえ、彼岸の向こうから戻ることはない。趙武は人が死ぬのは、嫌だった。
「あなたがたがなんなのか。わかりませぬが」
趙武は士匄と晋女のなまめかしいやりとりなど、知らぬ。聞こえていない。ゆえに、異界の女どもとだけ思った。
「君公に尽くし、我ら大夫に侍るというなら、人を殺すな。離しなさい! 汚らわしい!」
美しいご面相は、怒りに震えても、やはり美しいらしい。埋み火のような光を目にたたえ、趙武が女の腕を振り払った。地精どもは、抵抗しなかった。
「大夫さま、何を。ご不快なことが」
「何がご不興なのですか。殺すなとはなんでしょうか」
女どもが、口々に言った。趙武はますます頭に血が上り、周囲の女たちを遠ざけるように腕を振り回すと、怒鳴った。彼らしくない、裂帛の声であった。
「あなたがたは! 狄の女官を惨たらしく殺しましたね! そこの、楚の方も。私は存じ上げませぬが、衛の女官も惨たらしく殺したのではないですか。そして今、その女官もねじり殺した。人は死ねば、何もできない、取り返しがつかない、そこで終わる。あなたがたは、その責をとるほどのものですか!」
趙武の声に地精たちは首をかしげた。
「役に立たぬものを、処分したのです。
「貴き方々は、私たちの弱い部分を処分いたします」
「お役に立てぬものは弱き部分なのではないですか」
唱和される無機質なそれに、趙武がのけぞった。地精どもを振り払いながら後ずさる。そこを士匄が見計らい、趙武を引っ張り寄せた。腕の中に後輩を入れ、肩を抱き寄せながら、士匄は用心深く周囲を見た。常にお調子者で軽々しい彼とは思えぬ、目つきであった。集中し、全方位に気を張る。もし取り込まれれば、晋女と共に地精のおもちゃとして閉じ込められる。この騒ぎに他の女官も寺人も誰ひとりかけつけていない。となれば、さらなる結界の中に放り込まれた可能性もあった。
「……わたしが見るに、衛の女はなかなか使えるやつだった。あほうであるが、バカではなかった。さて、お前たちは役立たずをいらぬという。まあ、それは理であろう。しかし、どうやって裁定した」
士匄は衛女を悼んでいるわけではない。この地精のルールを知らねばならぬ。いくつか方法を考えては、いる。が、それをいちいち試す余裕はない。絞らねば、ならぬ。本来、手っ取り早いのは晋女を士匄の支配下にすることである。しかし、そうなれば地精どもに取り込まれかねない。この地精は、晋女の浅はかな願望を世の本質と受け止め、意味がわからないまま大夫に身請けさせようとしている。そうなれば、地精の世界ができあがりかねない。最悪、異界と異界の隙間に放り込まれれ、戻れなくなるであろう。
人は、そこを仙境と言うらしいが、士匄は枯れた余生を過ごすなど、まっぴらである。
さて、士匄の問いである。地精ごときが、剪定をどうやって決めたのか。
「役立たずと申告いたしましたので、そうなのだと」
地精の一人が、表情のない声で言った。
士匄は、衛女の笑顔を一瞬思い出す。夫に売られたのか。いえ、義父に売られました。
この、花の群れは黙るということを知らぬ。秘すということも知らぬ。今まで気づかれなかったのは、偶然であった。人は一人の時に弱い己を出す。それを、見た。植物は土の中で会話をするという。そのように、誰かが見れば、誰かがわかる。内宮に溶け込んだ地精どもは、見ては、伝えたのである。そして、それを今、垂れ流していく。
衛女は士匄のめんどうをかいがいしくみていた。酒ではなく強い清めに昏倒していたのだが、衛女にはわからぬ。そのうち、そっと士匄の前髪を撫で、目尻に指を添わせた。
――大夫さまは、みなさまこのようにきれいなのかしらね。うちの旦那の次にかっこいい
そう笑い、なんとなく腹を撫でた。子を為せず、家に戻されるところを止めたのは夫であった。その夫が死に、家も受け取り拒否、石女など他の男にやるわけにいかぬと、売られた。実際、衛女の生理は不安定であったため、己の体の欠陥だろう、仕方無いと肩をすくめて受け入れた。血の穢れこそが生命を産むのだと、古代人だってわかっていたのだ。
――子供の産めない私は、役立たず、ね
衛女は若干、士匄を色めいた目つきで見て、笑った。背後に、女官が現れ、衛女を引き倒した。ぎゃ、と叫んだ口を塞がれる。
「役に立たぬあのものは、音をあげて、大夫さまのお眠りを邪魔しようとしたのです」
淡々と説明しながら、地精が士匄を見上げた。士匄は無表情に聞いた。
②③に続きます