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将くは其の来たりて施施たれ、ねえお願いよ、わたしのもとへいらしてね。③

「あの。あの。なに。あの人はどうして、私を掴んだのです。范叔(はんしゅく)も、どうしてあんな乱暴を」

 趙武(ちょうぶ)がとんまなことを言った。士匄(しかい)は見下ろしながら、侮蔑の顔を見せた。

「お前は、わたしの前で()()()()()()。本当に鈍くさい。……最初の女はわからんが、お前にせまった二人はおかしい」

「なにがですか」

 反射的に問う趙武のとなりに、士匄は座って話を続ける。

「ここの女官、我らのはしため。どちらも買い付けた女の奴隷だ。主ある奴隷が他者に己を売り込む。女が自ら場所を求める。思いつくことさえ、ありえんだろう」

 当時、女性は親か夫の持ち物である。そして生まれがどうであれ奴隷になれば主人の持ち物である。二重の意味で人生を選べぬ思考の者が、稚拙な方法とはいえ現状から逃げようとする。現代で言えば、酒を飲めぬものは嫌なことがあってもやけ酒を考えない、という程度の、当たり前の話である。

「いやその食われかけた、はともかく……。恐ろしいことがあって、逃げたくなるというのはあるのではないでしょうか」

 襲いかからんばかりの楚女(そじょ)の剣幕に怯えはしたが、しかし彼女に恐怖の念はあった。趙武が最後にそう付け加える。士匄は考え込んだ。

「……一番の疑問は、だ。女官二人が何故、我らの物になるのが良いと思い込んでいたか、だ。やりかたが直裁的なのは脳が無いからだろうが」

 士匄の言葉を聞いているうちに、気持ちが落ち着いてきたのであろう。趙武が今さら震えだした。

「あの、女人というものは、細く小さく柔らかそうなのに、あんな、その、おそろしいものなのですか。えっと、妻妾(さいしょう)も、ですか」

 狄女は強引でもあどけなさがあった。しかし、楚女は少々肉感的なこともあり、迫力があった。この青年は、今さらながら恐怖を感じた。本当に、童貞以下である。

「は? あの程度、かわいいものだろうが。あそこまでさせたのはお前だ」

 士匄は、呆れた顔で言い放った。

 さて、視点を変える。洛午庚辰(らくごこうしん)の女官である。

 彼女は、士匄の指摘どおり、()の出身であった。楚とは(しん)と対立する南の大国である。まあ、良くある話だが、飢饉で税が払えず売りに出された娘である。肌が少々浅黒かったが、器量が良かったため躾けられて晋に売られた。楚に残った親は飢饉が続き飢え死んだのであるから、売られて良かったというものか。

 親がどうなったかなど知らぬまま、楚女は女官として生きることを受け入れていた。受け入れていたはずであったが、今日に限ってそれが嫌だと思ってしまった。狄女と張り合うように趙武に己を誇示し、あげくに媚態まで作った。彼女は、男を知らぬため、見よう見まねである。

「恥ずかしい!」

 ぼさぼさの髪のまま、庭まで飛び出て、一人で叫んだ。

 別段職分に誇りがあるというわけではない。単に、人として女として恥ずかしかっただけである。それと共に、どうしてあんなことをしてしまったのか、と自分でも不思議でならなかった。

「……どうしよう、告げ口されて、役立たずって言われたら、追い出されてしまう」

 晋公の女官であるからこそ、それなりの衣服を着て、屋根のある場所で眠れる。食事も貧しいが、ある。実家の生活など、草で編んだボロを着て、地面の上で寝ていたものだった。食べると言えば限界まで膨らませた豆であり、木の根をかじりつづけたこともある。そんな生活が当然であった。

「ああどうしよう! 告げ口されて、罰をもらうかもしれないわ。豚の餌になってしまう」

 逃げだした奴隷が掴まり、家畜の餌になったことを思い出しながら、楚女は手で顔を覆った。

 ――この宮の中にいるものは、全て役に立たなければならないのよ。

 そう、言っていたのは誰であろうか。

「私は、なんてダメな子!」

 自虐と自己陶酔、そして精神的自慰である。そんな言葉を己に向けて鼓舞し、立ち上がろうとするものは、古今東西多いであろう。彼女も、そんな儀式をしただけであった。

 白い、美しい女の手が何本も楚女の体に絡みつき、引き倒す。そうして、悲鳴を上げる間もなく、ごきゅんと首をへし折った。嫋々とした女の腕でも、幾つもあれば、凄まじい力なのだろう。

 その体に、土がかけられる。埋葬されたいと言っていたのであるから、彼女の夢はひとつは実現した。

正直、趙武みたいな反応されたら、告白しようとしたオンナノコみんな泣いちゃうよ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] また一人、女官が犠牲になってしまった… 趙武が鈍すぎたからか? 彼が受け入れていたら違ったのか? どのみち士匄がそばにいるから無理か _(┐「ε:)_
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