高山大川をさだむ、定められた順序を守ろうね。①
春秋時代の大夫、つまり貴族の主な武器は弓矢と戈である。戈は長い棒の先に金属でできた丁字型の刃をつけた近接武器と思えば良い。戦場は馬車で移動し闘っており、その際は矢で敵を射る。
この兵車戦はこの時代の花形である。弓射は貴族の嗜みであり誉れと言っても良いであろう。
弓の鍛錬は馬車に乗ってすることも多いが、士匄と欒黶は遊戯感覚である。射場に立った二人は、矢をつがえ的に当てていった。
欒黶は性格上集中力が弱い。引き絞った弦から矢を放つとき、気が抜け姿勢が歪む。結果、的の端に刺さったり、中には外れることも多い。
「あの的はなんだ、動いているのではないか」
バカバカしい八つ当たりをしながら持っていた矢を一本、腹立ち紛れに地に叩きつけた。それを鼻で笑いながら、士匄も矢を放った。
士匄は集中力を瞬間的に高めるのが得意である。と、いうよりは。この一族は集中力が異様に高い。父はその上で注意深く、祖父に至っては化け物じみた集中力と観察力があったらしい。こうなれば肉食獣に近い本能なのやもしれぬ。
その獣じみた集中力で、的の中央へ吸いこまれるように矢が刺さった。
終われば得意満面に、欒黶へ顔を向ける。己の力を誇示せずにはいられないのは、士匄の悪い癖であった。その額には脂汗が浮いている。雑多な鬼は欒黶に当てられ寄ってこないが、馬車を破壊したらしいこの不祥は士匄にのっかり絡みついたままなのである。それを意地とプライドと集中力でなんでもないように振る舞っているというわけであった。ここまでくれば、いつか意地で死ぬのではないかと思うほどである。
「そうだ賭け弓をせぬか。そうだな……。勝てばわたしの馬をやる。おまえが負ければ自慢の奴隷ひとつ」
「馬とは大きく出たな。乗った」
馬は貴重な消費動物であり戦場の機動力そのものである。それをやるというのであるから、士匄の自信のほどが見えるであろう。奴隷も『自慢』となればなかなかの財産だった。欒黶が今気に入っている自慢の奴隷は歌舞音曲に優れ、夜も良い女である。士匄は漁色家というわけではないが、歌舞音曲のたぐいは好きなほうであった。
そうやって互いに顔をつきあわせ話している間、先ほど士匄が放った矢がほろりと的から抜けた。深く突き刺さったそれは、自然に外れることなど無い。むろん、二人は気づかない。
その、動かぬはずの矢が向きを変え、強弓で放ったように鋭く飛び、二人の鼻先をかすめるように風を切って通り過ぎた。か、と強い力で地に刺さる。士匄は顔を引きつらせ、欒黶も同じように顔を引きつらせながら鼻を触る。ほんの少しかすったようで、小さな傷ができていた。
「俺の……俺の見目良い顔に傷ができたではないか! なんだこれは! 汝だろう、范叔!」
欒黶が顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「わたしがしたわけではないわ! お前を狙うなら堂々と目の前で弓をかまえている!」
士匄も負けじと怒鳴り返した。その剣幕に怖じることなく、頭に血が上った欒黶が士匄につかみかかって殴ろうとした。が、士匄はその腕をとり、逆になぎ倒す。背を地に叩きつけられながら、欒黶が、があ、と吼えた。
「汝は今日、俺を不祥避けにしたろう! 俺は顔も心も良いスパダリだから快く受けてやったが、俺にまで災難がくるということは、そうとうな祟られぐあいではないか! 俺はしばらくお前に会わん! その鬼か呪いか祟りか知らんが、それをなんとかしてこい!」
「会わぬと言うが、宮中で会うではないか。お前はアホか」
呆れて見下ろす士匄に、さぼる! と欒黶が噛みつくように宣言した。有言実行。欒氏の嗣子は、正卿の息子であるにも関わらず友人の霊障が迷惑だからという理由で、翌日からさぼった。
②、③、④と続きます。