表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/124

斎の言為る斉なり、体を清めるときは、まず心から②

「いったい、なんなんですか」

 趙武(ちょうぶ)の棘のある言葉に、士匄(しかい)はしらけた目を向けた。わからぬなら黙ってついてこればよいのに、という顔であった。察した趙武が、そういうわけにはいかないでしょ、とにらみ返す。巫覡(ふげき)としては、士匄を飛び越えて趙武に返答するわけにもいかず、困惑した。

 結局、士匄が神妙な面持ちで口を開く。

「……趙孟(ちょうもう)四凶(しきょう)は知っているな?」

「もちろんです。バカにしているんですか」

 貴族であれば、どのような下級のものでも知っている名を出され、趙武はかなり不愉快になった。知っているか? と問われるのもバカバカしい。(しゅん)の時代に四方――これは方角ではなく、地の果ての意味である――に追放され封じられた四柱の悪神である。彼らは血筋良く、能力もあったが、性情行い甚だ悪く、災いそのものに近い。子供でも知っている、と趙武はさすがに憤慨した。

「マクラだ、マクラ。さてそのうち四席の柱、縉雲(しんうん)氏の不才の子、飲食貪り貨賄(おか)し、侵欲(しんよく)崇侈(すうし)、満ち足りるを知らず。これもご存知であろう」

「……あの、この室は()()()なのですか」

 趙武は巫覡に聞いた。士匄があごをしゃくり、答えろ、と示す。巫覡は、大丈夫です、とだけ言った。この場は清浄かつ堅牢、不詳及ばず声は漏れず。趙武は、深くため息をつく。

「縉雲氏の不才の子、食を貪り、財を貪り、人の道に(もと)るその者、饕餮(とうてつ)。名は体を表します」

 (とう)(てつ)も食と財をむさぼるという意味の漢字であり、おのがものはもちろん、他者のものを奪い全て貪り食い、けして分け与えることはない、まさに饕餮という獣そのものの字義である。荀偃が土まで食うほどのものとなったこと、己の中にある欲をかき立てられたこと、浅ましく貪るという意味で符号の一致があるのかもしれないが、飛躍しているとも言える。そして、なにより。

「でも、范叔(はんしゅく)。饕餮は舜帝(しゅんてい)によって四方へ投ぜられ、今も魑魅(ちみ)を防ぐために場から動けぬはずです。おおいなることわり、四凶を以てしてもその(くさび)から抜け出すことはかないません。あなたは何故、饕餮の名を」

 四凶は世界の果てに縫いとめられ動けず、しかし存在するだけで不吉を撒き散らす。本来なら、口に出すのも不祥の名を、何故出したのか。趙武が士匄をひたりと見つめて問うた。士匄は一瞬だけ荀偃(じゅんえん)に目を移す。このお人好しは、己がいかに危険な状況かを知るまい。そう思うと、腹立ちが募る。

中行伯(ちゅうこうはく)を惑わした淫祠の巫女は、鉤吾の山のものらしい。この山に獣あり、その身は羊の如く人面、腋の下に目があり、虎の歯、人の爪、赤子の泣き声で人を誘い食う。その名は狍鴞(ほうきょう)。……四凶自身は確かに四方、つまり()()()から出ることあたわず、ただ舜帝の命に務めるのみ。しかし、その端末が()()()にある。四凶一席、帝鴻(ていこう)氏の子である渾沌(こんとん)は知恵者であり、悪心持つが血筋良く、こちらには神性を置いている。西山(せいざん)、三の首に連なる天山(てんざん)にいる帝江(ていこう)だ」

 西山三首(せいざんさんしゅ)の天山。晋より隣国を越えたはるか西にある山々のひとつである。趙武は思い出しながら頷いた。帝江は渾沌と同じく(かお)も目も無い神で、歌舞を司る。歌舞は神降ろしの儀式に欠かせない。

「それで、だ。狍鴞は饕餮の写し身だ。渾沌にしても饕餮にしても、四凶は悪神であるが、神には違いない。狍鴞も獣だが、山を護ってはいるのであろう……とでも、淫祠の巫女は考えたか。中行伯は狍鴞に取り憑かれている、でいいのか? おい」

 士匄は堂々かつ滔々とそこまで話して、最後に巫覡に振る。確信もないくせに力強く主張するのも士匄の悪い癖である。趙武は、またトンデモネタを、とうんざりした顔をした。

「我が主への問いにお返しします。取り憑かれている、という言葉は当たらずとも遠からず。荀氏の嗣子は、狍鴞の力を取り込んでおられる。そうならば人の形をとるなど難しいのですが、それをこの石の護符がむりやり押さえ込んでいる様子。巫女は狍鴞の力を荀氏の嗣子に捧げた上で、人として成り立たせようと無茶をしている。淫祠という言葉は間違っておりますまい。荀氏の嗣子の腋に目ができかけ、手足も半ば羊になりかけております。……趙氏の長は巫女の幻がきっと映っておりますから、おわかりになられぬでありましょうが、人でありながら獣になりかけている。獣になれば、人を食う。いや、今からでも食っておかしくない。主たちは大丈夫でしたか」

 巫覡の言葉に、士匄は、

「問題ない」

 と大嘘をついた。荀偃は確かに士匄を食おうと噛みついている。が、趙武はそれを見ていない。ゆえに、みな、士匄の嘘を信じた。

「お前の言うことを信じれば、巫女が止めているとなる。それでは、淫祠のクソ女を殺しても、中行伯は助からぬとなる。それは許しがたい、助けろ」

 士匄が、巫覡にねじ込むように睨み付け、命じた。巫覡は途方にくれた顔をしたが、頷いた。

「とりあえず、今夜いっぱい私が祓えば、狍鴞に成り代わろうとしていることを、止め、遅らせるまではできましょう。しかし、その巫女は荀氏の嗣子と繋がっており、狍鴞が消え失せるわけでもございません。明日、荀氏にきちんとお話し、巫女に責をとらせ、きちんと祓う儀を行うよう、願います。私は全てをできるわけじゃあないんです、あ、めんどくさそうな顔しないでください、あなたはいつもいつも私を便利扱いしますが、巫覡は何でもできるってわけじゃあないの、おわかりでしょう、祖霊も字引扱いされて、なんでもかんでも便利扱いしてるんじゃあないですよ」

 神妙な顔つきをしていた巫覡が、最後には親戚のおっちゃんの顔で、士匄にこんこんと説教をした。士匄は、知るか、という顔をして、け、と唾を吐いた。酷すぎる態度であった。趙武は笑って良いのか呆れて良いのか、と顔を引きつらせる。そうして、家族の会話ってこんなのかあ、となんとなく思った。

次は今週末あたり更新予定

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ