斎の言為る斉なり、体を清めるときは、まず心から①
どちらも譲らず引かず、完全な膠着状態の時、趙武が前へ進み、口を開いた。
「士氏の巫覡としてのお役目、ご苦労さまでございます。あなたがたの守護としての使命、大変重要なことでしょう。しかし、所詮は家のうちがわの者でございます、捨てようとすることが士氏の危機であることにお気づきでない」
そこまで言い、趙武は一拍置いた。演出などではない。言葉が詰まったのである。息を吸い、胸を張ると再び口を開く。その声は、霜降りるほどに冷たい。
「……こちらは荀氏の嗣子、中行伯です。今、不祥に見舞われ惨い目にあっているご様子、范叔が心をいため、お連れしました。もし、士氏が荀氏の嗣子を捨て、見殺しにしたならば、両家の交誼は潰えるでしょう。また、士氏が己かわいさに人を見捨てたとして不義不仁の家と皆は見なすことになる。あなたが黙り、范叔が口をつぐんでも、私という証人がおります。卿の家に連なる方を自儘に捨てる嗣子がいるお家が、この後、どのように国を背負うというのです。いえ、誰もそのような責を負わせず、人は離れ、終わり良くない。范武子の余光ありといえど、いずれ滅びることとなる。士氏の巫覡は目の前の小石を許せぬとして、大きな災いを呼び寄せるおつもりですか。文公を支えた趙成子の裔、趙氏の長としてそのさまを見届けましょう。ところで、卿の血筋を絶えさせようとした先代景公は、祟られ、夢の中で寿命を食われたそうですよ。ええとぉ。たしか、趙の筋を滅ぼそうとは許せぬと我が曾祖父じきじきに――」
巫覡が、息を飲んだ。趙成子は穏やかな人であったと伝えられている。その彼をして、趙氏を粛正した景公の夢に現れ、怒りのあまり踏みつけ呪った、というのも一部で有名であった。それほど、祖霊というものは激しさを持っている。荀偃を見捨てることで、士氏が荀氏に祟られ呪われる、と趙武は指摘したのである。その上で、国から浮き上がり社会的に死ぬ、と。巫覡一人の手に余る話であった。
巫覡は、拝礼し、士匄を通した。嗣子から漂う気配に、泥のような不祥だ、と眉をひそめる。持っている荀偃から怖気が走るような瘴気がダダ漏れであり、霊感体質の士匄がほとんどを吸ってしまっている。せめて、一番守り固く浄い場所に連れて行くしかない。巫覡はため息をついた。なんというか、もったいない、と常に思う。士匄はこの世において多才らしいが、巫覡からすればこちら側の天才だ、と言いたい。研鑽もなく祖霊を呼び出し、おぼろげなほどの鬼を見る。空に飛ぶ鳥に祖霊を見ることができるのは、なかなかにいない。少し修養すれば、天の声も聞けるであろうし、己の筋でもない祖霊とも会話できるであろう。下手をすれば、天帝の元へ魂を飛ばせるほどの天稟の才を持っている。が、彼は士氏の嗣子として生まれた。民の子であれば、保護し、後継者としてしまいたいくらいであったが、こればかりはどうしようもない。こんな自儘で我の強いガキが次の主というのも気が重い。結局、ただの境界が危うい青年ができあがっただけである。才能など、磨かねば石ころと同じ、という良い見本であった。
扉が南向きに面した室のひとつに、士匄たちは落ち着いた。最も南に面した室は主人の棟である。つまり、もっとも堅牢で浄い。が、そこはさすがにいれられぬと、巫覡が卦を見た結果の場所であった。士匄は巫覡に子細を話しながら、荀偃を床にそっと寝かせた。こういったときの士匄の弁は見事である。短く的確、要領を得ている。趙武は羨ましいと思いながら聞いた。
「その淫祠は鉤吾の山の者と仰ったのですな」
巫覡の言葉に士匄は頷く。巫覡がそのまま
「荀氏の嗣子の腋に、目がございませぬか」
と、おおよそ、まともとは言えぬことを問うた。趙武があっけにとられている前で、士匄が荀偃の服を剥ぎ取っていく。貴族は人前で肌を見せぬものであるから、士匄のこれは、非礼甚だしい。趙武はあわてて止めようとしたが、手で払いのけられる。あわれ、荀偃はやせこけた体を趙武の前にさらすことになった。そう、趙武にとってはやせこけた体であるが、士匄と巫覡にとっては、毛が生えだした異形である。
士匄は荀偃の腕をあげ、腋を見た。うっすらと、まぶたらしきものができており、閉じられた目が浮かび上がっている。
「これか」
「……まだ、成っておりませぬが、このままであれば、人でなくなります」
「ちっ。どこまでこの御仁は手がかかるのだ! 全く、わたし以外のものの言うことなど聞くから」
巫覡と士匄の話についていけず、趙武はあわてた。意味が全くわからず、そして忘れられていると気づき、不快でもあった。
②に続く